第57話 ヤドリギの下に立っていいのは➁
(1)
冬を彩る数少ない花々、パンジー、エリカ、ヒースなどが雪化粧を施した庭園で、セイラのはしゃいだ声と一緒に飛んでくる雪玉を避ける。
雪玉を外し、残念そうながらも楽しげなセイラへ今度はナオミが雪玉を投げつける。当たっても痛くないよう、ゆるやかに。
雪合戦する二人の傍らでは、
「えーい!」
「あ」
セイラが力一杯放り投げた雪玉がルードの後頭部に直撃。
振り返ったルードの、顔の半分以上覆ったマフラーから覗く暗緑の目から無言の呆れと抗議が伝わってくる。その目が可笑しくてセイラは笑い転げ、ナオミも堪えきれず吹き出した。
「セイラさん。雪だるまの頭を私たちで作りましょう」
「はーい!」
かき集めた雪をルードがしているように、セイラと二人掛かりで固めながら転がしていく。ごろごろと雪玉を転がしていくのが面白いのか、セイラはけらけら笑っている。勢いでセイラが雪玉と一緒に転がっていかないよう、彼女の後ろから慎重に転がす。
やがてルードが作った物の半分近くの大きさになり、ナオミは雪玉を持ち上げ……、かけて、横からルードがひょいと奪い去った。
仕事を奪われ、いささかムッとするナオミに構わず、ルードは胴体の雪玉へそれを乗せる。雪だるまの完成だ。
ぴょんぴょん飛び上がって大喜びのセイラに揃って満更でもない気分で微笑む。
「くっしゅんっ……、すみません」
「いえ、少し吹雪いてきましたし。そろそろ中へ入りましょう。セイラもだ」
「ええー……、せっかく雪だるま作ったのにぃ。おめめとかおくちはまだできてないのにぃ」
「吹雪は一時的だろうし、顔は雪が止んだあとまた一緒に作ろう」
「うー……、くしゅっ!んー……、わかったぁ……」
セイラはまだ不服そうではあるが、おとなしく頷き、頷くと同時に一目散に玄関へ向かって駆けだした。はしゃいではいてもやはり本当はかなり寒かったのだろう。
「僕たちも行きましょう。早く暖を取らなければ。着替えもシュナに用意させています」
「至れり尽くせりで恐縮で……」
恐縮です、と言いかけ、言葉を失う。
さも当然のようにルードが手を引いてきたからだ。
狙ってやったというより無意識の行動なのか、ルードはナオミを一秒でも早く屋内へ連れて行くことしか念頭にない。
わざとなら腕を振り払う。そうでないなら……、と思いかけ、我に返る。
わざとにしろそうでないにしろ、以前であれば触れられた時点で生理的嫌悪が込み上げた。
今は??どきりとしなければ嫌悪もなく、何とも感じていない。
単純に慣れてしまったのだろうか??それもそれで問題が……。
「ナオミさん??」
玄関扉を開けながらのルードの呼びかけに危うく変な声を上げそうになり、違う意味で鼓動が激しくなった。考え込んでいる間に玄関先まで来てしまったみたいだ。
さりげなく腕へ視線を向ける。ルードの手はとっくに離れていて、一抹の寂しさが胸に去来した。が、何を考えているのかと即座に掻き消す。
「……失礼しました。一瞬考え事をしていました」
「でしたか。珍しくボーッとされていたので、寒さのせいなら一刻も早く中へ、と思いまして」
「いえ、寒さには強いですから」
そうは言いつつも、マフラーで覆った頬も手袋に包まれた指先もすでに感覚を失っている。帽子で隠した耳の奥も刺すような痛みで少々聴こえづらい。
「嘘はいけませんね」
一度開いた玄関扉を閉めると、ルードはナオミの右手を両手で包み込むように握りしめた。先程は無意識だったけれど、今度は違う。
なのに、ナオミは倍以上大きな掌を振りほどけずにいる。
「分厚い手袋をしていてもこんなに冷え切って」
「あ、貴方も人のこと言えませんけど??」
「でしょうね」
カストリ記者の張り込みがなくなった途端こうなるんだから!
振りほどけない代わりに、羞恥とせめてもの抵抗(にならない抵抗)でふい、と目を逸らす。逸らした目線の先、玄関扉にリースと共にヤドリギの枝が飾られている。
『玄関のヤドリギの下に立った女性に、その家の男性はいくらでもキスをしてもかまわない』
まずい。非常にまずい状況に陥った。
聖誕祭期間の風習なのだが、今、まさに二人はヤドリギの下。
ナオミの内心の焦りを知ってか知らずか、ルードは片手はナオミの手を握ったまま、口元を覆っていたマフラーを引き下げた。
キスをするごとにヤドリギの白い花を摘んでいくので、せめて花が咲いていなければ──、うん、リースの緑に白い花がたくさんでよく映えてきれいねっっ!!
ふ、風習だし、別に絶対にイヤと言う訳でも……、って、何を考えているのよ!
「え……??」
「え??」
ルードの唇はナオミの唇ではなく、手袋越しに掌の甲に触れただけだった。
いつくるか??いつくるか?!と身構えていただけに、盛大に拍子抜ける。
呆然とするナオミの頭上に手を伸ばし、ルードは白い花を一つ手折った。
「入りますよ??」
「え、ええ……」
何事もなかったように玄関扉を潜る広い背中に慌てて続く。
ホッとしている自分、残念に思う自分。
二つの相反する感情がナオミを酷く混乱させている。
玄関ホールの壁際にいくつも並ぶ、壁と一体化させたテーブルや鏡台の一脚に置いてある呼び出しベルを鳴らすルードをじとり、横目に睨む。
二人無言で待つこと数分。ぱたぱたと大急ぎでクリシュナがナオミの前に現れた。
「ガーランド先生。着替えを用意しましたのでお部屋へ案内します!」
「聖誕祭の準備で忙しいのにごめんなさいね」
「いいえ、お風邪を召してはいけませんから!ルードラ様も早く自室にお戻りになってくださいっ」
早く早く、と焦れた様子でナオミとルードを急かすクリシュナの勢いに押され、案内に従いかけた、その時。
玄関扉のドアノッカーを叩く音がホール中に響き渡った。
(2)
クリシュナの歩みが止まる。
客人を出迎えるべきか、ナオミを部屋へ案内すべきかの判断を目線でルードに仰ぐ。
「直にセバスチャンが来るんだろう??シュナはこのままナオミさんを案内すればいい」
「わかりました」
シュナの顔から迷いが消えていく。
「ガーランド先生、さぁ早く」
先程より更には足取りを速めたクリシュナの後に慌てて続く。
すると、クリシュナ以上の速足かつ静かな足音でセバスチャンが玄関ホールへやってきた。
「ルードラ様。着替えの用意は終わりました。客人の出迎えは私がしますから、早くお部屋へ」
「ルードラ様?!やっぱりいらっしゃるのね!!私です。キャロライン・エメリッヒですわ!」
扉を開け、こちらが顔を見せる前に声を掛けてくるとは無作法にも程がある。
だが、この場の全員が眉を顰めたのは無作法ゆえではなく──、声の主が誰なのか理解できたせいだ。
「一日に二度も訪問するのが無作法だということ、私、充分承知しています。どうかお叱りにならないで。それほどまでに貴方にお会いしたかったの。とっても寒くて震えながらね」
きゃらきゃらと華やぎに満ちた若い声は、己の無作法すらも切なる恋情への訴えにすり替えてくる。
「ねぇ、開けてくださらない??一目でいいの。一目でもお会いできれば、私、満足して帰りますから。ね??将来の婚約者のために扉を開けてちょうだいな」
首が捥げそうな勢いで扉の前のルードとセバスチャンを振り返る。
いつの間にか自分の隣に並んだクリシュナが「婚約って……、どういうことですか??」と、怒りを押し殺し、小声でセバスチャンへ問う。
「……あとで説明する。シュナは一刻も早くガーランド先生をお部屋へ」
クリシュナは反論したそうに口を二、三度開閉させ──、るも、すべての言いたい言葉をぐっと飲み込み、唇を真一文字に引き結んだ。
「先生、行きましょう」
寝耳に水の事態に加え、朗らかなクリシュナが見せる険しい表情。
それらを前に、ナオミが口を挟む隙などある筈もなかった。
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