第55話 閑話休題⑥

 投石事件から数日後。


 十五帖程の広さの室内、扉近くの壁に黒い電話機、左右両端に本棚が伸びる最奥の暖炉を広い円卓、一人掛けのウィンザーチェアー、もしくは二人掛けの花柄の長椅子が囲う部屋──、デクスター商会本部の会議室では、クインシー、ルードなど商会幹部らが集まり、海賊船によるティー・クリッパー船茶葉を積んだ船損失について話し合っていた。


 年末から年明けにかけて寒さが益々厳しくなっていく今、身体を温める効能のあるチャヤの需要は高まりつつある。北国のこの国の冬は長く、春もしばらくの間は寒さから解放されない。初夏に入っても雨が続く日は冬の再来かのような寒さが戻ることもしばしば。


 現在のチャヤの売れ行きを予想するに、ダストは晩冬までは持つだろう。

 問題は春以降の分だ。襲撃されたティー・クリッパー船に積んでいたのはまさにその、春以降の販売使用分だった。

 予想以上に好調なチャヤの売れ行きに、今冬限定販売だった当初の予定は変更。

 今後は生産拡大し、春以降の販売も決定したというのに。


 当初の予定通り、チャヤは今残っているダストの分だけ販売。

 あとは急ぎ新たにダストを積ませた船が到着、製造再開できるまでの間は一旦販売停止。

 チャヤの工場従業員については少人数ゆえに、商会傘下の紅茶加工製品工場(紅茶の茶葉を使用した菓子等製造)へ一時移動して働いてもらうことに。


 しかし、実は襲撃された船にはダストティーの他、チャヤを詰めるティーバッグに使用する綿コットンも積んでいた。どちらかと言えばダストティーよりそちらのが商会としては痛手だった。

 なぜなら、今後は一部の紅茶にティーバッグ使用予定だったから。他の商会がこちらのやり方を真似する前に実用化させたかったのだ。


 ただちにティーバッグと質の似た綿をいくつか探し出し、取り扱う商会へと交渉。

 しかし、どの商会も示し合わせたかのように断られてしまった。

 他の幹部から『やはり次の船便が来るまで待つ方が』という意見も出てくる始末。


 インダスからこの国への航路は主に二通り。

 南の大陸を大きく迂回するか、東から南の大陸間の運河、途中の砂漠を越えるか。

 南大陸迂回より運河と砂漠越えの方がかかる日数は少ない。

 よって次の船便は運河と砂漠越えの航路を選択したが、それでも今から(厳密には年明けから)では冬を越えてから届きそうだ。


 結局、クインシーの『焦っても仕方がない。もうすぐ聖誕祭、そしたら年越しと新年も差し迫る。今慌てて動いたとしても、どんなに早くとも年明け以降にならなければ事態を動かすことすら厳しい』との言が決定打となり、綿の取り寄せは来年以降。

 国内の他、海を隔てた近隣諸国の綿製品を扱う商会にも問い合わせることが決定した。


 折角、チャヤの売り上げ好調、ティーバッグという新たな発明で軌道に乗り出しというのに。納得はできないけれど、せざるを得ない。

 渋々了承しつつ、たしかに一理あるとも思う。だが、どうもルードはきな臭く感じていてもいた。


 海賊船は悪い偶然ではあるが、過剰なまでのカストリたちの取材といい、今回の立て続けの綿の取引交渉失敗といい、誰かがそのように仕向けているように勘繰ってしまう。


 だが、あの時の投石の犯人をクインシーは結局捕縛できなかったため真相は闇の中。

 だから今は黙っているより他がない。


 話がまとまり、各自会議室から出て行く中、クインシーとルードも退室した。


「久々に仕事でもしよう」


 ほぼ隠居状態だった反動で、どことなく嬉しそうに商会に残る気満々のクインシーを尻目に、ルードは廊下から一人裏口へ向かう。

 今日も商会本部へ向かう途中でカストリ記者を数人見かけたせいだ。ただ仕事へ行くだけで彼らが喜ぶことは何も起きないだろうに。寒い中ご苦労なことで。


「本来なら僕も父や貴方たち同様働くべきなんですが……」


 会議室から退室する際、クインシーや他の幹部らに心から謝罪すると、皆口を揃えてさも当然のごとく「状況が状況ですし、副会長の身の安全が大事ですから」と。


「副会長」


 ひたすら申し訳なく思いながら、裏口の扉の前まできたところでルードに、インダス人ではなく栗毛に栗色の瞳、この国によくある容姿の使用人女性が呼びかけてきた。


「副会長にお電話です」


 先日の海賊船襲撃の一報を思い出し、身構えながら踵を返す。

 電話機は先程までいた会議室にある。誰もいなくなり、照度類も暖炉の火も消された会議室へ再び入る。

 火が消えたばかりでまだ空気に暖かみが残る中、受話器の向こう側では最近身近で接した人物の名を、交換手が告げる。

 途端に違和感と警戒心が持ち上がるが、断る理由もないのでそのまま繋いでもらう。


『ご多忙の中、突然すまないねぇ。少し前になるけれど、先日の異業種交流会へのご参加ありがとうございます。大勢の参加者の中でも貴方がたデクスター父子のお話は特に感銘を受けることが多くてですね……』


 電話越しでもエメリッヒ氏のわざとらしいほどの上機嫌が伝わり、顔が見えないのをいいことにルードは徐に眉を潜めた。

 何よりあの夜からしばらく経過しているのに今更な上に、わざわざ商会本部へ架けてくる内容ではない。絶対裏がある。最大限まで跳ね上がった警戒心で心臓が激しく波打つ。


 ルードの警戒などおかまいなし。エメリッヒ氏はルードにとって取るに足らない世間話をいくつか述べたのち、言い放った。


『実は、そちらの商会の茶葉と綿コットンを積んだ船が海賊に襲撃されたと小耳に挟みましてね』


『なぜ知っている。どこから話を聞いた』と詰問しかけ、踏み止まる。

 代わりに「……ええ、本当です」と努めて平静を装って答える。


『いえね、商売人としては色んな情報は網羅しておくべきじゃありませんか。その辺り私も抜かりないですから。それにしてもお気の毒に。インダスからこの国へ物資を運ぶには何か月も費やし、船であの大陸を渡らねばなりませんからねぇ。我が商会も何度海賊や大しけで損害被ったことか。ええ、お気持ちはよーくご理解できます。胸が痛くなる程に……』

「重ね重ねご心配ありがとうございます」


 放っておいたらいつまでもだらだら長口上述べられそうだ。

 失礼は承知の上で、ルードはあえて話を遮った。


「ですが、ただご心配のお言葉のためだけにわざわざ電話をくださった訳では……、ありませんね??」


 気を悪くさせるかもしれない。が、中途半端な言い方でははぐらかされる可能性も。


『ご名答だよ、ルードラ君』

「いえ。それでは本題をどうぞ」

『チャヤに使用するダスト、及びにティーバッグ用の綿を我がエメリッヒ商会と提携する商会から買いませんか??』


 やはりそうきたか。概ね予想通りの返答に深く納得する。

 もちろん答えはすでに決まっている。


『そうですなぁ。ダストとはいえ紅茶に関してはそちらも妥協できないやもしれませんなぁ。しかしながら、あのティーバッグとよく似た品質の綿ならば代わりは利くでしょう??交流会の時、Mr.デクスターは『ティーバッグは今後も活用していきたい』とちらりと仰っていましが、通常の紅茶にも流用したいとお考えなのでは??他の商会に後追いされる前に定着させたいですよねぇ??』


 あの夜、クインシーが漏らした些細な一言二言から、ここまで状況を言い当てられるなんて。一介の商人から一代で成り上がるだけはある。


「関係者の方以外に詳しい内情まではお答えでき兼ねます」

『これは失礼!いえね、Mr.デクスターとも君とも付き合いは短くないし、どうも他人事のように思えなくてねぇ』


 などと言いつつ、エメリッヒ氏が言う程デクスター家と彼の間に深い交流はない。どう考えても彼の発言には裏が見え隠れする。

 しかし、ルードの警戒と猜疑心は頂点にまで達する一方、商会としては救いの一手となる訳で──、おそらく、否、必ず交換条件がある筈だ。


「……会長クインシー始め商会幹部たちとよく相談させてください。私の一存だけで進める訳にいきませんので」

『ええもちろんです!かまいませんよ!』

「では私からも一つ質問を」

『ええ、どうぞ!』

「仮に、エメリッヒ商会経由での綿購入が決定した場合です。我が商会はそちらへ仲介料を上乗せで支払いを行えばよろしいですか??」


 余程法外な金額吹っ掛けられない限り、仲介料支払いだけなら取引成立はまだ悪くない、かもしれない。


『仲介料??そんなもの取る程うちはケチではありませんよ。まぁ、今回は特別であって、他の商会であれば多少なりとも頂いていますがね。ただ……、そうなると贔屓を疑われるかもしれません。実際贔屓ですけどね、わははは!だったら、エメリッヒがデクスターを贔屓しても文句が出ない関係になればいいのです』

「……どのような風に??」


 少し、否、だんだん話が読めてきた。

 ルードにとって一番最悪な形での取引が。


『私の自慢の愛娘キャロラインとルードラ君との婚約が条件、ならどうだろう??』

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