第51話 人の噂も七十五日……よりも前に消えるべき②

 屋敷を囲う鉄門にはオーナメント付の房状の長いリース。

 玄関前には豪華なオーナメントを飾り付けたモミの低木、扉には柊のリース。

 数か月ぶりに訪れたガーランド邸は聖誕祭仕様に変わっていた。


 しかし、執事に案内された応接室に入ると、聖誕祭のどこか浮かれた空気は瞬く間に霧消。赤、白、緑の聖誕祭カラーを基調に、夏に訪れたときからすっかり様変わりした室内は息苦しくどんよりした雰囲気に埋めつくされていた。


 重苦しい空気を醸しだすのは、ナオミの目の前──、ローテーブルを間に、向かいの長椅子に座す義母イヴリンと父エブニゼル。

 いつになく険しい顔の父に、怒りを隠しきれない中途半端な笑顔の義母。

 世間一般の従順な質の令嬢ならきっと、両親の怒りを買うなど最も恐れる事態。とにかく平身低頭に、必死で赦しを乞うところだろう。


 だが、ナオミは逆に挑むような面持ちで両親と対峙していた。

 エヴニゼルとイヴリンの席の背後、低い飾り棚の硝子扉に映る自分の顔は、まるで戦いに出向くかのような目つきだった。


「ナオミさん、一年程あの国へ遊学していただけませんか??」

「承諾致しかねます」


 ほとんど命令に近いイヴリンの申し出を間髪入れずにきっぱり拒否する。

 イヴリンの頬は引き攣り、口元は歪む。五十路近い身とは思えぬ美しい童顔が、歪みによって年相応に見えてくる。


「どうして??貴女、ずっとあの国で暮らしたがってたじゃない。ある意味良い機会……」

「私にとって思い入れのある国だからこそ、逃げ場所になんか使いたくありません」

「じゃあ、他の国に」

「そもそも逃げるという選択自体が私の中にありませんから」


 イヴリンの歪んだ笑顔を強く見据えれば、怯んで言葉を失った模様。

 ナオミの鋭い視線を避けるつもりか、手元の扇子を意味なく顔の前で振る。


「ナオミ。お前だけの問題じゃない。事態が悪化すれば、我が商会にもデクスター家にも事が及ぶ」

「ええ。充分承知の上です」

「だったら……!」

「下手にこそこそ逃げたら逆に勘繰られ、余計にいらぬ詮索されるのでは??堂々と今まで通り過ごし、時間が解決するのを待つ方がいいと思いますが」

「お前はどうしてそんなに強情なんだ!」


 温厚な父が珍しく激高してさえ、ナオミは恐れどころか何の感慨も抱けない。

「貴方、落ち着いてくださいまし」などと、いつも父に宥められる側のイヴリンが宥める側に回ることもあるのだな、と、他人事めいた目でしか二人を見られない。


「遊学の件は一旦保留します。でも、ナオミさん。デクスター家の家庭教師の仕事はすぐにお辞めになって」

「あちらから解雇を申し渡されない限り、私は辞めません」

「いい加減にしてちょうだい!!」


 とうとうイヴリンは扇子をローテーブルに叩きつけ、声を張り上げた。


「だったら、どうしてあんないかがわしい記事を書かれる前にルードラ様と婚約しなかったの?!さっさと婚約さえしていれば、事前に報道規制かけることできたのに!!どうして今頃になって……!言っておきますけど、今更婚約したいと仰っても認めませんからね。散々噂になった後で婚約なんて発表した日にはまた何を書き立てられることやら……。こうなっては下手に規制もかけにくいですし」


 なぜ、ルードと婚約する、しないにまで話が飛躍する??

 デクスター家の家庭教師を辞めないと言っただけで、ルードの話題は一言も持ち出していないのに。


「とにかく!デクスター家養女セイラの家庭教師だけはすぐに辞め」

「絶対辞めません」

「ああもう、嫌よ……!目つきと強情さが本当にあの女そっくり……」

「イヴリン!」


 エヴニゼルの制止に、イヴリンはハッと口を抑える。が、時遅し。


「あの女とは別荘に出没する幽霊のことですか??」


 揃ってナオミを凝視する両親の顔に驚きと怯えの感情が入り混じる。

 完全に凍りつき、返事ひとつ返せない二人にナオミは更に畳みかける。


「今年の夏、偶然別荘で出くわしたのです。マダム・ドラゴンという幽霊に。私以上に彼女の存在もまた、世間に知られれば状況悪化に繋がります」


 自分を棚上げでマダム・ドラゴンを何とかしろ、と暗に告げて見せれば、二人は絶句してしまった。

 幽霊などと子供じみた噂を流してまで守り続けた(イヴリンは好きでそうした訳ではないだろうが)者が今、その存在自体がガーランド家の立場を危うくさせている。

 最も、ナオミ自身だって出自を踏まえると爆弾ではあるが。


 ごくり、大きく喉を鳴らしつつ父は喋らない。

 代わりに、動揺しながらもイヴリンが口を開く。


「あの女……、失礼、マダム・ドラゴンでしたら……、出て行きましたわ」

「追い出したのですか」


 彼女がナオミの醜聞(便宜上あえてそう呼ぶ。気に食わないけど)程度で、出て行くだろうか。出て行ってくれと頼まれ、おとなしく出て行くとも到底思えない。


「随分な言い様をなさるのねぇ。しばらくの間別荘を離れて欲しいとお願いする気ではいましたけど」

「まさか……」

「そのまさか、だ!」


 エヴニゼルが拳を強くローテーブルに叩きつける。

 三人分のカップがカタカタ揺れ、紅色の液体がソーサー、机上へ飛び散っていく。


「お前の記事が出たその日のうちにタツノ龍乃は忽然とどこかへ消えてしまった……」


 再び逆上したかと思うと、エヴニゼルは今にも突っ伏しそうな勢いで頭を抱えてしまった。すぐ隣で、イヴリンがゾッとする程冷ややかな視線を向けていることさえ気づかずに。


 バカみたい。

 くだらない。


 口にも顔にも出さず、けれどナオミの胸の奥もどんどん凍てついていく。


「お父様、お義母様。お話はもうよろしいでしょうか」

「待て、ナオミ。話はまだ終わって……」

「申し訳ありません。仕事の時間が差し迫っていますので。今日はこれで失礼します」

「ナオミさんお待ちなさいっ!!」


 誰が待ってなどやるものですか。


 扉に向かう背中越し、喧々諤々とした両親の声が矢のようにいくつも突き刺さる。

 ちっとも痛くもなければ、胸に響きもしない。


 勝手なのはどっちもどっちじゃない。


 両親に対してか、はたまた自分に対してか。

 どちらにも向けたものかもしれないが、内心で吐き捨て、玄関ホールへ足早に向かう。


「お待ちください、ナオミお嬢様」


 綺麗に磨かれた玄関扉のドアノブに触れる直前、執事に呼び止められた。


「大変申し訳ありませんが、正面玄関ではなく裏の通用口からお帰りください」


 別に使用人が利用する裏口から出ること自体は気にならない。仕事の時は基本通用口を利用しているし。とはいえ、ここでのナオミの肩書はガーランド家の令嬢だ。

 ナオミの不審を感じ取ったらしく、執事は気まずげに言葉を続けた。


「いえ、ひょっとするとカストリ記者が張っている可能性がありますので」

「……張り込みまでしているわけね」


 さすがに憤懣より罪悪感が勝ってきた。

 近頃めっきり増えた嘆息がまたひとつ。


 憂鬱な気分を払い落とすかのように、通用口へ向かう足はさきほどよりずっと早い。とにかく一分一秒でもこの屋敷から離れてしまいたい。


「お嬢様」


 執事が通用口の扉を開きがてら、真摯にこう告げてきた。


「貴女は決して自ら道を外れたわけではありません。ただし、強風で薙ぎ倒された樹、増水した河川の氾濫、激しい嵐や大雪……、理由は様々ですが、道半ばで足止めや遠回りを余儀なくされる時が必ず一度は起こります。今はそういう時なのでしょう。今少し、今少しばかり、じっと耐えて待っていてください。きっとまた元いた道に戻ることができますから」


 最もらしい話のようで、執事の話はごくありふれた一般論に過ぎない。

 それでも、例え気休めであっても、暖かな気遣いには違いない。

 両親との応酬でささくれ立っていたナオミの心に、その言葉たちはじんわりと沁み込んでいく。


「ありがとう」


 素っ気ない一言の中に多大な感謝の念を込める。

 伝わったかは定かじゃないが、老年の執事の表情がほんの少し和らいだ気がした。

 お陰でこれから気分よく仕事に、デクスター家へ向かうことができる。

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