第45話 美しき泥棒猫①
(1)
「これは一体どういう状況なの」
エメリッヒ家の夜会当日の夜。
下宿アパートの前に停まったデクスター家の馬車に乗り込むなり、ナオミの目が据わった。
確かに、事前にレッドグレイヴ夫人からは聞いていた。
彼女の今宵のパートナーはルードと共にデクスター家の馬車に乗って来ると。
だがしかし。だがしかし!
そのパートナー役が、ナオミとレッドグレイヴ夫人の向かいの座席にルードと共に座すクインシーだなんて、夢にも思わないじゃない??
燕尾のない黒のディナージャケット、ベスト、ズボン、白のタイとドレスコードに沿った正装姿の麗しき父子ではなくレッドグレイヴ夫人を凝視、問いつめれば、いともあっさりと答えてくれた。あっさりしすぎて拍子抜けするほどに。
実はガーランドの別荘で過ごした夏の休日の間、夫人とクインシーは仕事絡みの話を通じ、会社経営者同士としての交流を深めていた、らしい。
ルードに知っていたのか、と目線で厳しく尋ねるも、今日初めて知ったのだと言わんばかりに何度も頭を振られた。必死さを感じられるので嘘はついていないだろう。
別にやましい間柄でないのなら打ち明けてくれればよかったのに。
少し裏切られたような、寂しいような気持ちになるも、特に何もないからこそわざわざ話題にすることもなかったのだろうと結論付ける。そして、自分がルードと色々あり過ぎなのだとも改めて自覚させられる。
初手から予想外のことが起き、この先が少し思いやられてしまう。
どうなることかと頭を抱えている内に、馬車はエメリッヒ邸へ到着した。
エメリッヒ邸はデクスター邸やガーランド本邸と同じウエスト・エンド地区にあり、赤煉瓦の外壁、鱗瓦の三角屋根、テラコッタタイルの棟、飾り破風板の大きなアーチ窓など同地区の他の邸宅とよく似た造りの屋敷だった。
玄関で出迎えた執事の案内で廊下を挟んで男女別々に控室へ通され、ナオミとレッドグレイヴ夫人はドレスの全容を隠すべく纏っていた、重たいケープを脱ぐ。
若くとも未亡人の肩書ゆえか、夫人は七分袖に首元高くまでレースをあしらい、肌の露出を抑えた臙脂色のデミ・トワレット。見事な金髪を高く上げているのも落ち着きを演出している。
対するナオミは深い襟ぐりに袖なし、後ろで長い裾を引く濃紺のフル・ドレス。
ドレスの色味や肘まである黒レースの長手袋は地味で華美さに欠けるようで、ハーフアップに結った美しいブルネットの髪が存分に魅力を引き立てていた。
控えていたメイドが二人の衣装を整え終えると、折よく会場の広間へ向かうよう、従僕から声がかかる。退室すると、先に廊下に出ていたルードとクインシーが二人を待っていた。
「やあ、お二人ともなんと美しい!レッドグレイヴ夫人は美しく暖かな大地の女神のようだし、Miss.ガールは凛と輝く月の女神のようだ!!」
チョット、ナニイッテルカワカラナイ。
くさすぎる賛辞を贈るクインシーにナオミもレッドグレイヴ夫人も鳥肌が立ち、揃って腕を擦る。おかげで夫人がクインシーに特別な感情は抱いていないことがはっきりわかり、ホッとしつつ。
「あの、なんでしょう」
「いえ別に」
ルードをチラッと見やったのに、特に何を言われるでもなく怪訝な顔をされたのみ。
いや、別にいいのよ??下手に褒められてもむず痒いだけだし。
「さあ、早く参りましょうか」
そう言って差し出されたルードの腕に自らの腕をさりげなく組ませ、ナオミは廊下を一歩踏み出した。
(2)
広間へ足を踏み入れるとすでに人が大勢集まり、何脚も点在する丸テーブルを数人ずつで囲んでいた。
清潔且つ美しい絹素材のテーブルクロスの上には大皿に盛った料理の数々。現代風に一品ずつ大皿で運ばれ、執事が全員分取り分けるのではなく、少し古い年代のあの国風に一度に多くの料理が並び、各々が求める料理を数人の従僕がその都度取り分けている。
一見すると時代遅れな上に無駄と手間を掛けているようだが、数種類の料理を同時に並べ、多くの使用人も同時に使い……、と、まるで自らの財力労働力を参加者に見せつけているかに見受けられる。
もしそういう意図があっての事なら、少々品性を疑ってしまう。ナオミの見方がひねくれているのかもしれないが。
ひねくれた見方ついでに、他にも気になっていることがある。
立食とはいえ晩餐会の場合、招待客が控室で待機する間に女主人(今回の場合はエメリッヒ夫人)がペアにする男女や席順を決める。しかし、この夜会に限っては始めから男女ペアで来るようにと通達されていた。
晩餐会では会話がいかに盛り上がるかに成功がかかっている。
初対面の男女より元々知己の仲である男女の方が断然会話は盛り上がる。だが、それでは交流会という目的からは少し趣旨が外れてしまう。この手の夜会は独身男女の出会いの場としても活用されるからだ。
とはいえ立食という辺り、ある程度の自由は利きそうだけれど。
一通り会場内での挨拶回りを終え、デクスター父子、ナオミとレッドグレイヴ夫人とで一旦分かれた。
パートナー役と言っても、自分と夫人は彼らの妻でも婚約者でもないので、簡単な挨拶と会話の聞き役に回るだけ。立ち入った話には加わらない。
そのうちに自分たちは聴くべきじゃない内容の話になってきたため、壁の花よろしく二人で好きに過ごすことにしたのだ。
「それにしても……、うっ」
目の前に美味しそうなフルコース料理が大量に並んでいるというのに!
コルセットがきつすぎて全然食べられないじゃないっ!!
ドレスの裾がどんどん細くなっていき、コルセットの締め付けもどんどんきつくなっていく昨今の流行事情。特に社交場では流行最先端のドレス着用が
自分だけならいざ知らず、
「ナオミさん、気持ちは分かるけど耐えて」
「わ、わかってます……」
せいぜいシェリー酒や白ワインなどの飲み物を煽ることで精いっぱい。
恨めし気に自らの腹囲をしきりに撫でさすり、テーブルの料理をそっと物欲しげに見つめる。
女性客は基本的に出された食事にほとんど手を付けないのが礼儀だが、食べることが好きなナオミには拷問に近い作法である。誰よ、そんなこと作法に設定したのは!
通常の一人分ずつ用意された料理を着席していただくのであれば、多少は食べられるが、立食で取り分け式だと殊更料理に手をつけにくい。
他の令嬢たちの様子をさりげなく観察すれば、みな、料理に手を付けるなんて持っての他!とばかりに飲み物にすら手を付けないでいるのが大半だった。
「お腹が鳴りそうだわ……」
「大丈夫、生演奏の音楽で掻き消されますわ」
「そういう問題です??」
空腹とコルセットの締め付けで気分が悪くなりそうなのを、グラスワインでごまかす。
空腹時の飲酒は悪酔いしやすいが、気分の悪さ同士の相乗効果(?)か、だんだん感覚が麻痺し始め、却って平気になってきた。
「ナオミさん、少し飲み過ぎですよ??」
「大丈夫。酔ってもないし気分も悪くありませんから」
そう言って、空のグラスをテーブルに置くと新しいグラスに手を伸ばす。
「夫人の言う通り。飲み過ぎはいけませんよ」
ナオミがグラスに触れる直前、ルードが先にグラスを奪う。
「返して」
「駄目です」
露骨にムッとしてもかまわず、ルードはグラスをぐい、と煽った。
グラスの脚を持つ骨ばった大きな手、こくりと鳴らした喉仏に目を奪われたのも束の間──
「ちょっと!私のグラスだったのに!」
「酔ってる方にはお預けです」
「酔ってなんかないわ」
「いえ、酔ってますよね。飲んでもかまいませんが、少し休憩してからにしてください」
「あらあら、うふふ」
「ルシンダさん!私、別に酔ってるように」
「充分見えますわねぇ、うふふふ」
悔しいけれど、レッドグレイヴ夫人に指摘されては素直に認めるしかない。
「ほら、もう認めるしかありませんね」
「なぜ貴方が勝ち誇った顔をするのよ……」
「まあまあ、そう突っかからないの」
「ははっ、若い方々は活気に満ちていていいですねぇ」
聞き慣れない声に、誰、と三人の視線が一点に集中する。
声の主はクインシーと共に並ぶ、小柄でやや小太りなグレイヘアの中年紳士だった。
いかにも新調したばかりのぴかぴか黒光る燕尾服、大粒ダイヤモンドつきタイピン、燕尾服のポケットから覗く懐中時計の鎖にもダイヤが埋め込まれ、その輝きが妙にくすんだ顔色や皺を目立たせている。
一見、どこにでもいそう成金紳士。しかし、彼はただの紳士ではない。
「これはこれは、Mr.エメリッヒ。おひさしぶりです」
「君と会うのも何年ぶりかな、ルードラ君。少し前にデクスター商会から売り出されたチャヤの売れ行きはどうかね??」
「現段階ではひとまず好調、でしょうか」
「ふむ、そうか。いや、実は私はね、チャヤよりもチャヤに使用するティーバッグが気になっていてね。あれは素晴らしく画期的だ」
「ありがとうございます」
大商会の会長から褒められ、満更でもないのか、少し照れたようにルードは礼を述べる。
「ただ欲を言えばね、もう少し丈夫な素材だといいと思う。そうだ、よければ我が商会が取り扱う
さりげなく自社と提携させようとする辺り、遣り手というのも頷ける。
よそ行きの笑顔を保ちつつ、ルードとクインシーから警戒が滲みだす。
「まあ、お父様ったら!わかりやすく
きゃらきゃらとした、一段と華やぎに満ちた声が微妙な空気を打ち破った。
あまりに華やいだ声にナオミたちは一斉に声の主を振り返る。
綺麗に巻き上げたアッシュブロンドの髪。若さを強調する明るい桃色のフル・ドレス。ドレスよりも明るく色づいた瑞々しい唇。己の魅力に対する絶対的自信に溢れた薄灰の瞳。完璧なまでに整った鼻筋。
寄宿学校時代や家庭教師の仕事でもときどき容姿の優れた少女と出会うことはままあるが、この少女はナオミがこれまで出会った中でも五指に入る、とびきりの美少女だ。
「Mr.エメリッヒ。こちらの令嬢は……??」
「失礼。彼女はキャロライン。私の娘だ。半年前に社交デビューしたばかりの不束者だが、どうかお見知りおきを」
「あら、お父様ったらひどいわ。私よりクラリッサお姉様の方がよっぽど……」
「キャロライン。客人の前だ。慎みなさい」
「申し訳ありません、お父様。私ったら、皆様の前ではしたないことを。失礼いたしました」
元々の美貌に加え、殊勝に謝罪する所作の美しさに同性のナオミでさえつい目を奪われてしまった。そのせいで、キャロラインがルードにこっそりと熱視線を送っていたことに気づきもしなかった。
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