第44話 粘られ、絆され、崩れていく 

 レッドグレイヴ夫人にルードを夜会に誘えと言われたものの、顔を合わせなければ誘うも何もない。夜会当日まで約二週間しかないし、顔を合わせなければ──


「って、なんでこういう時に限って居るのよっっ!?」

「えぇ……、なにがですか……??」


 なんと、夜会の話を聞かされた翌日、デクスター家に訪問早々玄関先でルードとばったり出くわしてしまったのだ。

 出会い頭にいきなりナオミに怒られ、ルードは目を白黒させ、一、二歩後ずさる。


「あ、いえ、申し訳ありません。こちらの話です。Mr.デクスターJr.は関係なくてですね」

「よかった、また僕が原因で機嫌を損ねてしまったかと。今日は二つ商談があって、隙間時間にここで休憩を取っていたんです」

「でしたか」

「……と、いうのは口実で」


 ルードはナオミからサッと目を逸らし、忙しなく視線を泳がせた。

 言いたいことがあるなら早くして欲しい。セイラとクリシュナが待ってるのに。

 そう言いたかったが、彼の後ろにはセバスチャンが控えているので黙っておく。そのセバスチャンですら早く言えばいいのに、と、静かに焦れていた。


「ルードラ様、お時間がありません。同様にガーランド先生も授業の時間に遅れてしまいます」

「あ、あぁ、そうだな……」

「あの……??」


 軽く咳払いすると、ルードは緊張した面持ちでナオミをちらちら見やりながら告げる。


「実は……、近々参加しなければならない夜会があって。ナオミさんにパートナー役をお願いしたいんです」


 ナオミが屋敷に訪問する時間を見計らい、休憩に戻ってきたのはこのためか。

 相変わらずな周到さは引くどころか、あぁ、またか、と慣れてしまった。それよりも。


 以前だったら皆まで言うより先に、有無を言わさず断っただろう。が、今は少し悩む自分がいる。


「夜会はいつ開かれるのですか??」


 もし、レッドグレイヴ夫人に誘われた夜会と同日だったら断ろう。

 そうじゃなければ──、いやいや、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ考えてみてもいいってだけであって、行く気があるわけじゃあ──


「夜会の日にちは少し先、十二月の──」


 ルードが告げた日にちは例の夜会と同日。

 断りを口にしようとして、続く言葉にナオミは口を噤んだ。


「夜会とは言いますが、実質は立食の晩餐会と格式ばったものじゃありません。異業種交流が目的、中流以上の家の者なら誰でも参加できるんです」

「ちょっと待ってください」


 レッドグレイヴ夫人から聞かされた、例の夜会の概要と似通っていないか??


「ひょっとしたら、私がルシンダさん、いえ、レッドグレイヴ夫人からお誘い受けた夜会かもしれません」

「……もしや先約がおありですか??」

「先約??」


 ルードは一瞬ムスッとふてくされ、すぐに平素の怜悧さを取り繕おうとして、失敗。少し厚めだが整った唇はえらく歪んでいるし、目つきが明らかに苛立っている。

 成人男性が叱られた幼子みたいな顔されましても、と呆れつつ、ナオミは誤解を解くために経緯を説明した。ルードを誘えと言われたことだけは伏せて。


「私を誘う物好きな男性ひとなんてそうそういません。大体、仕事とアパートを往復するだけの生活、生徒の家族以外で大人の男性との接触などほとんどないんですよ??」


 女家庭教師ガヴァネスの仕事先での色恋沙汰は最大の禁忌。

 最も危惧される事柄は女主人である妻を差し置き、家の主と関係を持つこと。

 そうでなくとも女家庭教師は一使用人であり生徒の規範。相手が未婚の男性家族であっても、誘惑したなどと不名誉な噂が付き纏えば廃業の危機。また男性側も女家庭教師などを相手にしては評判が著しく悪くなる。諸々の問題を避けるため、若く美しい女家庭教師は敬遠されがちだ。


 ナオミも美しくはないが決して醜くはないし、年齢も若い方に当たる。

 この仕事を始めた当初、父やレッドグレイヴ夫人の伝手がなければ仕事にあぶれただろう。仕事の実績といっそ冷淡な程の生真面目かつ身持ちの固さから信頼され、仕事が増えていったけれど。


 本来はこのような誘い、戯れと捉えて受け流すのが正解。

 ナオミの本来の身分がデクスター家と同等であろうと、デクスター家では特例も特例と言える高待遇を受けていようと。


 高待遇過ぎて忘れていた。

 ナオミが度々出過ぎた真似をしても許されていたのは、偏にデクスター家の人々の優しさと気遣いあってのこと。


 やっぱり断らなきゃ。


「せっかくのお誘いですけれど、私には身に余る……」

「僕はセイラの女家庭教師ガヴァネスなど誘っていません」


 なにそれ。

 突き放した口調も腹立つし、意味が分からないのも腹立つ。


「僕がお誘いしているのはナオミ・ガーランドという名の令嬢です。それならば何の問題もありませんよね??」


 腕を組み、自信満々の勝ち誇った顔で言われましても。

 あんまりにもなドヤ顔の決めっぷりに、ありとあらゆる断り文句が頭から消えていく。

 ルードの影でセバスチャンが「何でもいいので、とにかくYESと仰ってください、お時間が……」と、疲れた顔でナオミに懇願の眼差しを送ってくる。


「お誘いありがとうございます。では、僭越ながら……、お受け致しますわ」


 そう、デクスター家は色んな意味で常識を破る、自由過ぎる家だった。

 ナオミの、世間の常識など簡単に通用しないと、改めて思い知らされる。


「ありがとうございます」


 そっとルードを見上げてみて、ナオミはハッと息を飲み、視線を逸らす。

 笑顔とまではいかなくとも、喜びを嚙みしめた様子に心がぐらぐら揺らいでしまう。


「それはそうと……、夜会の主催はどなたなのでしょうか」


 すると、ルードは即座に表情を引き締め、答える。


「貿易商のエメリッヒ家です」

 

 エメリッヒ家──、首都及びこの街、南方に位置する地方都市の三か所にて貿易会社を経営す一族。


 元々は、小さな貿易会社を経営していたが、インダスから香辛料や紅茶、キャラコなどの輸入を始めたことで莫大な利益をもたらし、中流から上流へと一気に駆け上がった成金だ。


「成金と呼ばれようと会長の経営手腕は確かなもの。話を伺い、人脈を広げる良い機会です」


 なるほど。ただ浮ついたお遊び気分で参加する訳ではないのね。

 レッドグレイヴ夫人も不動産会社関係を通じて誘いを受けたのかもしれない。


「そういうことでしたら、喜んでいたしましょう」

「協力……」

「あら、なにかご不満が??」

「いえ、とんでもない」

「ひとまずお話は済みましたので、私はセイラさんのお部屋へ向かいますね」


 まだ何か言いたげなルードを置いて、ナオミは玄関ホールへ入っていく。

 話がひと段落ついたからか、ナオミはこの夜会に関する不可解な点をまったく気づいていなかった。


 仕事関連の話だけであれば、紳士のみが集まる倶楽部でいい筈なのに。

 わざわざ異業種交流会と銘打った上で、パートナーの付き添い必須との条件つきで夜会が開かれるのはなぜか。


 ルードは少なからず勘づいていた。

 ナオミを誘ったのも多少はそこに理由があった。

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