第43話 それは友情なのか、はたまた②

 白い石積みの壁に囲まれた廊下を二人分の影が駆け抜けていく。

 影が駆け去る瞬間、壁の燭台の炎が大きく揺れ、消えかかる。

 血糊が染み付いた剣を固く握り、己の真後ろを走る背の高い青年の手を強く引く。そして一瞬だけ彼を振り返る。


 美しく精悍な顔は酷く腫れ上がり、少し伸びた金の髪はくすみ、頬も痩せこけてしまった。敵国捕虜の投獄生活の過酷さが滲み出ていて、掴んだ手をぎゅうとより強く握りしめる。


 満身創痍なのは自分も似たようなものか。

 以前よりも伸びた、彼と同じ色の髪はぐしゃぐしゃに乱れ。着の身着のまま、脱がされるために着せられた薄い寝間着と裸足で飛び出したのだ。

 おまけに寝間着には大量の返り血が──、今宵夫となった敵国の王の血の色と臭いが派手に染みついていた。


 否、寝間着の血糊は敵国王のだけじゃない。

 地下牢の見張りもこの手にかけた。他にも邪魔立てする者は容赦なく斬り捨てた。

 王を討ったのは、今彼に持たせている手持ちの短剣。王以外の連中は王の寝所から盗み出した剣を使った。


『姫!』


 甲冑が激しく軋む音と軍足で駆ける音が複数。

 予想よりも多い、と警戒を強めた矢先、廊下の前後を敵兵たちが立ち塞ぐ。


『お前たちの王なら私が屠った!邪魔立てするな!』


 そう、誰にも邪魔なんてさせない。

 私たちの幸せの道を塞ぐなんて何人たりとも許さない──











 安息日の昼下がり。

 下宿アパートのリビングで、ナオミは白黒二色のブロック模様の盤上、同じく白黒の駒を必要以上にじっと見つめていた。


「あらあら、まぁまぁ。それで今回Mr.デクスターJr.のお手伝いを」

「…………」

「あら、クイーンが取れちゃいました」

「あ」


 ナオミの陣地から女王の冠を模した黒い駒が、レッドグレイヴ夫人が進めた一番シンプルな形の白い歩兵の駒に持ち去られていく。

 ただでさえこの勝負、駒をどんどん持っていかれてるのに。万能の駒であるクイーンを取られては痛手が大きい。残る手駒は王の他は歩兵が三つ、騎士が一つ、城も一つのみ。

 ゲーム開始直後はナオミが優勢だったのに、夫人に徐々に追い詰められている。


「ナオミさんの番ですわよ」

「え、えぇ」


 起死回生の一手を図ろうにも、どの駒も良い位置へ進めることはならず。

 せいぜい王を取られまいと守りの一手を尽くすことに注力するのみ。


 ゲームの行方が己の敗色濃厚になってきた。

 焦りばかりが募るナオミに、夫人はうふふ、と、嫋やかに微笑みかける。


 おっとりと優しげに見えてレッドグレイヴ夫人はかなりの負けず嫌いだ。

 チェスやカードゲームなどを始めたら最後、相手が誰であれ遠慮や譲歩は皆無。ナオミ相手であっても変わらない。


 ナオミの番が終わり、自分の番が来ると夫人は盤上ではなくナオミに視線を向ける。なんだか嫌な予感がする。


「ところでさっきのお話の続きですけど」


 やっぱりまだ続ける気なのね……。


「あの、ルシンダさん。激しく誤解されてるようなので訂正するとですね……。今回は成り行きと言うか」

「大事なことですから、二回言わせてもらいますけど。今回ではなくて??たしかに最初に言い出したのはMr.デクスターJr.の方からですが、チャヤの件含めてナオミさん自ら協力を言い出したでしょう??」

「……異論も反論もありません……」

「騎士貰いますね」


 あー!また取られた!!


「ごめんなさいね。勝負事はどうしても熱くなってしまうの。団体スポーツと違って、こういったゲームの勝敗は自分の能力にかかってますし」

「いえ、お気になさらず……」

「私、前回の時から感じていたのですけど」


 そ、そろそろ、ルードの話題を終わらせて欲しい。

 精神攻撃などしなくても勝ちは目前ですよ……??というナオミの願いは虚しく絶たれた。


「ナオミさんは彼に惹かれ始めたんじゃないかしらって……、まあ!」


 思わず突っ伏した先が悪かった。

 机の端に両手をついたと思いきや、ナオミはチェス盤へ両手を突っ込んでいた。


 白黒の各駒が盤上を跳ね上がり、宙に乱舞する。

 盤上に落ち、再び跳ねる。机に跳ね落ちる。机の角や端まで跳ね飛び、床へ落ちる。


「この勝負、ナオミさんは棄権、でよろしいかしら??」

「え、えぇ……、かまいません……」

「では、私の勝ちということで」


 口元に手を当て、上品ににっこり笑うレッドグレイヴ夫人の顔をナオミはまともに見れずにいる。

 さっさと机上や床に散乱した駒を拾い集め、チェス盤と一緒に片付けなければいけなのに。羞恥の極みでどうしても顔を上げられない。


 ナオミの気持ちを知ってか知らずか。

 机に突っ伏したままのナオミにかまわず、夫人は床にしゃがみ、優雅且つ手際良く駒を拾い集め、机上へ並べていく。


「ナオミさんは充分賢いのですけど、少し真っ直ぐ過ぎます。だから駒の手もわかりやすくて。ほら、お顔を上げて」


 夫人にそっと肩を叩かれ、ナオミはやっとのことでのろのろと顔を上げた。


「つまり、私が言いたいのは、ナオミさんはご自分で考えていらっしゃるよりずっと、気持ちがわかりやすく態度に出やすいということです。普段のナオミさんはあまり積極的に人と関わろうとしませんよね??私や義弟おとうとさんみたいに相当気を許した人じゃない限り、他人に踏み込まないし自分にも踏み込ませない」

「え、えぇ、まあ」

「なのに、Mr.デクスターJr.に対しては、珍しく関わり合いが深くなってきているように思うのですわ」

「それは、彼がちょっと放っておけないところがある友人だから……」

「本当に??」


『本当よ!!』と即答が──、どうしてもできなかった。


 今までナオミはパーシヴァル以外の異性と親しくなったことなど一度もないからか、誰かに憧れたり、想いを寄せること自体よくわかっていない。

 ルードと一緒にいると腹も立つし呆れることがやたらと多い。生徒に対してだってあんなに叱ったりしない。彼の母親か姉にでもなった気に陥るくらいだ。要はパーシーと同じ──、『本当に??』


 レッドグレイヴ夫人の問いが頭の中、繰り返し警鐘のごとく鳴り響く。

 同時に今朝方見た、キャサリン姫と恋仲の騎士との夢まで鮮明に脳裏に浮かんできた。


 無謀な二人はあの後どうなってしまったのだろう。

 あの夢もまた、現在の何かに対する、自分への警鐘なんだろうか。


「頭から湯気が上りそう。難しく考えすぎなくてもいいと思うし、ゆっくりと少しずつ、自分の気持ちを見つめていけばいいんじゃないかしら」


 夫人は駒とチェス盤を手に離席し、奥へと消えていく……、かと思われたが、リビングから去り際、思い出したようにナオミに告げた。


「あぁ、すっかり忘れていたわ。ナオミさん、来月頭の週末はご予定あるかしら??」

「いえ、特に何もありません」

「でしたら、気晴らしに一緒に夜会へ出掛けませんこと??夜会と言っても立食の晩餐会でそんなに格式ばった会じゃありませんし。あぁ、ただ、パートナー同伴との条件有りますけど」

「パートナー同伴??でしたら、私には無理じゃないですか」

「Mr.デクスターJr.をお誘いすればいいでしょう??きっと彼なら喜んで引き受けてくれる筈よ」

「ルシンダさん……、一体何をお考えに」

「ナオミさん。貴女はもっと自分に素直に、正直になって。ね??」


 扉が閉まる直前、レッドグレイヴ夫人はたっぷりと慈愛に満ちた笑みをナオミに向けてきた。お陰で胸の中のもやつきは否応なく消えてしまい、反論の言葉もすべて消え失せてしまった。

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