第41話 離れたい時ほど引き寄せてしまうのはなぜ
(1)
5+3=
8+6=
7+10=
4+12=
12+14=
――――――――
室内の真ん中、大小一脚ずつ横並ぶ机。
そのうちの、小さな子供用の机に着席するセイラの前には簡単な計算問題用紙が拡げられている。
今日の授業は、クリシュナは仕事を抜けられないとのことで欠席。
授業のわずかな合間におしゃべりする相手がいないため、セイラは黙々とひたすら問題用紙に取り組む。途中で飽きることも、解答まで辿りつけずペンが止まることもなく。
すらすらと順調に問題を解いていくセイラの様子を見つつ、ルードはちゃんと寝ているのかなど気になり、どことなくナオミの気持ちは落ち着かない。
寝ていて欲しいのは顔を合わせづらいのもあるが、彼の体調が心配なのもあってのこと。帰りにさりげなくセバスチャン辺りに訊いてみようか。でも余計なお節介かも。
などと悶々としていると、すべての解答を書き終わったセイラが「せんせー!できましたぁ!」と元気に挙手したため、ナオミは現実へと引き戻された。
そう、これは友人として心配しているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
頭を切り替え、セイラの解答を確認。見事全問正解!
「セイラさん、素晴らしいですわ。頑張りましたね」
「えへへ、計算するの、たのしいからすきー」
本心から褒めるとセイラはえへん、と胸を張り、笑った。
「おやしきにきたばっかりのときね、お兄さまにいわれたんだぁ。セイラはきっと
確かに。好きこそものの上手なれで、セイラは国語より算数の方が得意そうな気がする。とはいえ、国語能力も相応に身につけなければ、算数もいずれつまづいてしまう
。算数をもっと得意にするために、国語もちゃんとお勉強しましょうね、と言おうとして──、ナオミは口を噤んだ。
セイラから先程まで浮かべていた笑顔が消え、寂しそうに項垂れたからだ。
「どうされましたか??」
心配になり、セイラの顔を覗き込む。
「おにいさまとあんまり会えてないの、思いだしちゃったぁ。さみしい」
「…………」
「おしごといそがしいのかもだけど……、セイラ、おにいさまと会いたいの……」
しょんぼりと鼻をすするセイラに掛ける言葉が見つからない。
どうしたものかと困惑していたが、セイラは元気をなくしつつも「せんせー、まだ計算のお勉強あるー??」と、精一杯の笑顔でナオミに手を差し出した。
「え、えぇ。あと一枚、今日の課題があります」
ナオミが残り一枚となった問題の紙を机へ置くと、セイラは黙って問題を解き始めた。
(2)
授業が終わり、セイラと共に廊下へと出ていく。
歩き始めて数秒後、「お待ちください!」とセバスチャンの厳しい声が前方に伸びた廊下、ではなく、廊下の途中にある階段から響いてきた。セイラ共々、肩が大きく跳ねる。
何事……??と、セイラの手を引き、おそるおそる階段へ近づいていこうとしたが、セイラはナオミの手を振り払い、廊下を駆けだした。走ってはいけません!と手を伸ばすが、間に合わず。セイラは転がりそうな勢いで階段へ向かって駆けていく。
「おにいさまぁ!!」
セイラの後を追い、階段に近づきつつあったナオミは、セイラが叫んだ名前に思わず足を止める。
「ルードラ様いけません。旦那様の、最低でも半日は必ず休むようにとのご指示に従って下さい」
「子供じゃないんだ。自分の体調くらい自分でよくわかっている。大丈夫だと判断したから作業所へ」
「いけません。そう言って、過労で何度倒れたと思いますか??」
「大丈夫だと言っている。今日は夜遅くまで留まることはしない」
いっそ冷淡なくらい、突き放したようにセバスチャンに告げると、ルードは中途半端に着ていた黒に近い、濃灰の背広に腕を通す。
「ルードラ様」
「おにいさまぁ!」
尚も引き止めようとするセバスチャンの足元をすり抜け、セイラがルードの足にしがみついた。長い脚が一瞬、くん、と引っ張られ、驚いたルードはその場に足を止めざるを得なかった。
「おにいさまぁ、行っちゃやだぁあああ!うわぁあああん!!!」
「セイラ……」
ルードにしがみついた途端、堰を切ったように泣きじゃくるセイラに、ルードもセバスチャンも大いに戸惑い、困惑を隠せないでいる。
階段の踊り場で立ち尽くし、大泣きするセイラを持て余す二人が心許なく、静観していたナオミは渋々階段を下りていく。
「セイラさん、お義兄様とセバスチャンさんが困っています。泣き止んでください。レディたる者、人前で大泣きしてはなりませんよ。それから……、無礼を承知で言わせていただきます。Mr.デクスターJr.も意固地にならず、周囲の心配にもう少し耳を傾けるべきかと思いますわ」
セイラとルード、両者を軽く窘めると、セイラの方はすんすん鼻を啜りつつ泣き止んだが、ルードはまだ不服そうに見える。階段を下りていこうとしないだけ、一応足止めは成功、したかもしれない。と、思いきや。
「お言葉ですが、立ち上げてまだ日の浅い作業所を、猫の手程度であっても手伝いたいんです」
あ、駄目だこれ。
全然伝わっていない。否、伝わってはいても、ルードの意思は鋼のよう。
見合わせたセバスチャンもナオミ同様に渋い顔で頭を振っている。
「じゃ、じゃあ!セイラも、セイラもつれてって!!おにいさまと一緒にいきたいの!!」
「セイラ?!」
「セイラお嬢様。作業所はお仕事の場所であって」
「やだやだやだ!いい子でおとなしくするからつれてって!!」
セイラはルードの背広の裾をぐいぐいと強く引っ張り、地団駄さえ踏み始めた。
こぼれんばかりの碧眼に大粒の涙をため、さっきより更に激しい泣き落としの準備万端だ。
「セイラさん、いけま」
「わかった、わかったよ……。見学の名目でセイラを作業所へ連れて行くよ」
「ルードラ様!」
「えぇ、ほんとぉ??」
セバスチャンの叱責とセイラの明るい声が辺りによく響いた。
「セイラがいれば、帰りは遅くならないから無理のない範囲で仕事に臨める」
「しかし」
セバスチャンの、銀縁眼鏡の奥の黒い双眸は不安しか映っていない。
ルードの健康の心配もだが、幼いセイラを連れて行って大丈夫なのかという心配。
執事の不安を汲み取ったルードは、ナオミにちらと見やる。なんか、嫌な予感がする……。
「セイラの付き添いと称してナオミさんにも同行いただく、ということなら、問題ないと思わないか。セイラとナオミさんがいる以上、僕は無茶できないし、万が一しようとしたら……、止めてくれますか??」
「はあ?!」
思いきり怒声混じりで叫んでしまった。直後、咳払いし、「失礼しました」と謝罪。
「えっ!!せんせーもいこーよー!!」
「ルードラ様、お嬢様。それはガーランド先生のご迷惑になるのでは……」
セバスチャンは気遣わしげにナオミを振り返ってきたが、セイラは構わず「ねーねー、せんせー、いこーよーいこーよー!」とナオミの両手を握ってぶんぶん振り回してくる。
本日の仕事はデクスター家で終わり。遅くならなければ予定的には問題はない。問題はないのだけれど。
「セイラさんはともかく私は部外者ですけど」
「まったく問題ありません」
食い気味に断言され、その自信はどこからと呆れてしまう。
セイラはセイラで「え、せんせー、いきたくないの……??」とだんだん涙目になってきているし、収拾つかない事態にセバスチャンもついには虚無顔に。
「……わかりました」
根負けして承諾したナオミに、ルードとセバスチャンが同時にぎょっとし、「い、良いんですか?!」と叫んだ。
いやいやいや、執事の反応はともかく、貴方が言い出したことなのに何を今更?!
呆れる気にもなれず、ナオミは引き攣った笑みを保つだけで精一杯だった。
なんでいつもこうなってしまうの。
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