第33話 予想外のお願い事②
(1)
「ほんの時々でいいんです。セイラお嬢様の授業を、私も一緒に受けさせてほしいのです!」
「えぇっ?!」
驚きの声を上げると、クリシュナは「あ、えっと……」と顔色を変え慌てふためいた。が、ナオミが言葉を返すよりずっと早く、口早に更に続けた。
「
一介の使用人が、(養女とはいえ)主人の娘と共に授業を受ける。
前例のないことなのは確かだ。確かではあるが──、なければ作ればいい。
「勉強したい、学びたいと強く想う気持ちに性別も年齢も貴賤も関係ない。私は常々思っています。私は貴女みたいに向学心ある方がとても好きですよ」
「いえ、そんな……」
クリシュナの浅黒い頬にほんのり朱が差し、ふるふると頭を振った。
その表情、仕草が黙々と仕事している時と比べて幼く見える。
「ですが、一口に授業と言ってもセイラさんは複数の教科を習得中です」
「はい。存じております」
「貴女も本来のお仕事があるでしょう。Mr.デクスターもおそらく『仕事に支障をきたさないなら』という条件つきで許可を出したのではないかと。違いますか??」
「はい。その、通りです」
「でしたら、中途半端に色んな勉強をするより、どれか一つに絞って集中的に学んでもらうのがいいと思います。どうでしょう??」
「はい!問題ないです!!あ……、その、申し訳ありません」
大きな返事の直後、しまったと口を抑えてぺこり、頭を下げるクリシュナに気にしないで、と掌を軽く振ってみせる。
「ところで、貴女……、クリシュナさんは特に何を学びたいと考えているのかしら??」
「ナオミさん、お待たせしました。馬車の用意が整いました……、あの、何か??」
なぜ、肝心な本題に入りかけた時に限ってやってくるのか。
ルードに全く悪気はないけれど、反射的に渋い顔をしてしまった。
「いいえ、何でもありませんわ」
渋い顔のまま席を立つと、クリシュナがテーブルの茶器類を片付け始める。
さりげなく視線を交わし合い、小さく「今度またお話しましょう」と言って席を離れた。
(2)
屋外へ出ると、薄暮からじわじわと夜の気配が降り始めていた。
二頭引きの箱馬車へルードに手を引かれて乗り込む。
前回同乗した時は物凄く嫌々差し出した手を、何の躊躇いもなく差し出せば、なぜかルードの方が一瞬躊躇していた。きつく当たり過ぎた反動かしら、と若干反省し、座席で向かい合う。
「シュナと随分親しくなったみたいですね」
「え、えぇ、まぁ」
「あの子はよく働くし、人懐っこくてとても良い子です。可愛がっていただけたら嬉しいですね」
クリシュナについて語るルードの表情も声もとても柔らかくて優しい。普段の褪めた雰囲気とは大違いだ。
ガーランドの別荘でセイラをあやしていた時とよく似た類の顔に、彼にとって使用人も家族同然の存在なのだと見て取れた。
「それで、話の続きを聴かせてもらえますか??」
柔らかな表情から一転、ルードは背筋を一度正した。つられてナオミの背筋も伸びる。膝上に添えた両手の指先を揃え直し、正面の暗緑の双眸を見据える。
「まず一つ質問があります」
「どうぞ」
「チャヤを私以外の方にも試飲を勧めましたか??」
「いえ。あぁ、正確には父には一度頼みました。ただ、身内ですし、父は僕以上にインダスの味に馴染み深いので数の内に入れませんでした」
「でしたか。では、差し出がましい提案になりますが……、私以外にもチャヤの試飲を勧めるべきかと。性別、年齢層問わず、できたら階級も」
ルードの視線が鋭く、やや険を帯び始めた。
思いがけない険しさに怯みかけたが、口を挟む隙を与えないよう、ナオミは気づかない振りで話し続ける。
「もし貴方がご迷惑でなければ、私の家族や友人知人、彼ら彼女らの使用人にもチャヤの試飲を勧めたいのですが」
ルードは異論も反論も口にしなかった。背もたれに深く背を預け、腕を組み、ひたすら黙り込む。鋭く褪めた視線はナオミから天井を、天井から下がる小ぶりの照度類へ向けられた。
沈黙は時にうるさいほど饒舌だ。彼の沈黙は完全に『
ガタガタと大きく揺れる車体が不安をどんどん煽っていく。
「……出過ぎた発言でした。申し訳ありません」
友人だからといって仕事に口出しするなんて無遠慮過ぎた。
(以前は彼に原因があったとはいえ)心の片隅のどこかに、彼になら少々行き過ぎた言動も態度も許されるのでは──、と、甘えをいつの間にか抱いていた。
そのことをナオミはたった今気づき、思い知らされ──、ひとり青褪めた。
「すみません、違うんです」
今すぐ馬車から飛び出したい。
自己嫌悪で頭を抱えたナオミの上から、感情を抑えた声が降ってきた。
「いえ、私が余計な」
「違います。貴女が悪い訳じゃない。貴女はあくまで親切心で考えてくれた。充分理解しています。だから顔を上げてください」
「でも」
「貴女は何も悪くない。僕の悪い癖が出ただけですから」
悪い癖とは、と、無邪気に問うにはルードの声は固い。
おそるおそる顔は上げたが、ルードは背もたれに身を預けたまま大きな掌で目を覆っていた。
車体の揺れが大きくなる一方なのは、道の補正が甘くなっていること。つまり、下町のイースト地区に近づきつつあるということ。
このまま気まずい状態で別れてしまうのか。
嫌だな。でも、鉛玉を詰められたかのように喉が胸が詰まって、気まずさを解消するのに相応しい言葉が出てこない。
「……ないんです。たより……たくないんです」
ルードは掌を目元から外し、苦笑交じりに身を起こした。
彼が放っていた拒絶の空気は格段と薄まっていた。
「他人に頼りたくないんです。否、頼れないんです。本当に、心の底から信頼できると判断しない限り。頼るということはその分弱みを見せることですから」
そう言って、寂しそうに笑ったルードにナオミは返す言葉がなかった。
なぜなら、ナオミにも身に覚えがありすぎるから。
だが、同時に強い憤りが沸々と湧き上がってきた。
「貴方、本当に子供ねぇ!仕事でしょう??仕事に個人的な自尊心持ち込んでどうするの??」
「そんなつもりは」
ルードは不服そうに唇を尖らせたが、かまうものか。
「新しい商品を世に出す、世に出した以上利益は欲しい。ですよね??」
「当然でしょう??」
「保守的なこの国ではどうしたって新しい物より伝統的な物の方が好まれます。ですから、より多くの意見を求めることは必要じゃないでしょうか??」
座席から身を乗り出し、淡々と力説する。
反発されるかと思いきや、ルードはおとなしく話に耳を傾けていた。
「ではこうしましょう。あくまで私が個人的にチャヤを家族友人に勧める形で試飲してもらい、私からそれぞれの意見感想を貴方にお伝えする。これならどうです……、ひゃあ!」
「危ないっ」
大きな石ころにでも車輪がぶつかったのか、車体が一際大きく揺れ動き、止まった。
弾みで前へ押し出され、ナオミはルードに飛び込む形でその身を投げ出された。
「す、すす、すみません!」
自然、広い肩に両手をつき、膝に乗り上げた姿勢に我ながらなんてはしたない!と、即座に自席に戻ろうとして──、できなかった。
「……Mr.デクスターJr.放してもらえます??」
「お断りします、と言ったら??」
大柄な成人男性に腰をがっちり掴まれていては逃げるなんて不可能。
せめてもの抵抗できつく睨みつけても、にっこりといい笑顔が返されたのみ。
他の女性なら一発で恋に落ちるだろうが、ナオミには不機嫌に拍車をかけるばかり。
「いいですね。悪くない」
「……私には凄く、物凄く悪いのですが」
「お言葉に甘えて申し訳ありませんが」
「……話、聴いてます??」
「試飲の件、ご協力いただけますか」
笑顔から生真面目な顔に切り替わったルードに、消えない混乱と羞恥で冷静になりきれないなりに、ナオミは言った。
「わ、私が言い出したことですからねっ。協力はもちろんしますっ、協力しますから……!代わりに放してくださいっっ!!」
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