第28話 マダム・ドラゴン

 家政婦長、ルード、そして母だと名乗るマダム・ドラゴンなる女性と共に、ナオミは再び地下へと逆戻り。家政婦長の勧めで通されたのは使用人専用ダイニングだった。

 この部屋なら少々声が大きくなっても上階の者にも気取られることがないからだとか。


 家政婦長曰く、マダム・ドラゴンは二十年近くこの別荘で暮らしており、使用人全員が彼女の存在を周知している。

 真夜中に廊下を徘徊していた理由は──、客人と鉢合わせるとまずいので昼間は部屋から一歩も出られず。散歩代わりに人気が寝静まったのを確認し、邸内を歩いていたという。客人のない普段の日常でも外部になるべく姿を晒さないよう、極力外出せず、夜型の生活を送っているらしい。

 大仰な呼び名の由来は『龍乃たつの』という本名からとか。


「訊くも愚問だけど父の許可は」

「勿論了承済みです」


 喧々した態度はどこへやら、家政婦長はナオミの顔色を窺いながら神妙に答える。

 頭がくらくら痛む。こめかみを擦り、顰め面で続けて問う。


義母ははは」


 質問直後、家政婦長のマダム・ドラゴンへ目配せで答えは出ていた。

 頭の痛みは増す一方、八帖ほどの広さの室内、中央に置かれた古いテーブルに元凶であるマダム・ドラゴンは凭れていた。ふんわり横に広がったスカートでは長椅子とかでないと座れない。(長椅子ですら座るとき気をつけないと自分の身をひっくり返してしまう)また、スカートの広がりによってナオミ(ルード)との距離も一定開いていた。


 まるで二人の間の心の距離みたいだ。

 最もついさっき初体面したばかりで距離も何もあったものじゃないけど。


「なに??さっきからスカートばかり見てるわね。古臭いと思ってるんでしょ??言っておくけど、私だって流行遅れの服なんて着たくない。でも、年に数回主一家が訪れるだけの別荘にしょっちゅう最新の婦人服運び込まれたら怪しまれるじゃないの」

「そんなことはどうでもいいです。私の質問にちゃんと答えて。義母は貴女の存在を知っているんでしょう??」

「もちろん知ってるに決まってるわ」


 やっぱり。

 したくはない納得の反面、判明した謎から新たな謎が発生していく。


 夫の元交際相手を、別荘とはいえ己の領域内テリトリーに住まわせる度量、許容力をイヴリンが持ち合わせているだろうか??あるとは到底思えない。

 存在を知った途端、舞台女優顔負けで大仰に騒ぎ悲嘆に暮れ、離婚裁判起こして多額の慰謝料を請求する筈。だが、彼女は正式な女主人としてガーランド家に君臨している。


「貴女のことを知っているとして……、父が愛人を囲うなんてあの義母ははが絶対許す筈ない」

「愛人??私が??」


 闇よりも深い、漆黒の切れ長の瞳が糸のようにスッと細まった。

 東方人独特の一重瞼はナオミとは全然違うが、冷淡でキツそうな雰囲気は似ている、かも。


「何を勘違いしているか知らないけど、誓って言う。私はエブニゼルの愛人なんかじゃない」


 今し方話した内容のどこをどう切り取っても、囲われ者の生活としか思えないのですが。

 喉元どころか舌先から飛び出そうな悪態を必死で押しとどめ、胃の腑まで飲み込む。

 巻き込んでおいて申し訳ないが、ルードがいてくれて助かった。

 無関係な第三者がいるお蔭で平静を保てているような気がする。


「再会してから、彼は私に指一本触れてなんかいない」

「そ、そうですか」


 言い方ぁ……。

 生々しいのよ!


「ここで私が暮らしているのはあくまでエヴニゼルの厚意。あぁ、あと、あの頭ゆるふわ女イヴリンが知ってて黙認してるのは私を怖がっているから??」

「頭ゆるふわ女……」


 言い得て妙ではあるけど、あまりにあんまりな言い草では。


「あ、貴女はそう言うけど、何か弱みでも握って黙らせたのでしょう?!」

「まぁねぇ。弱みと言えば、弱みかしら」

「義母に何をしたの」

「初対面で、ゆるふわの癖にさりげなく嫌な皮肉と挑発かましてきたから、髪の毛掴んでここの庭園二、三周引きずり回してやったわね。見下してる東の黄色い猿に散々泣かされまくったなんて、墓場まで黙って持っていく秘密にしたいでしょうよ」

「…………」


 ふふふ、と浮かべた上品な笑みも自慢げに語った蛮行の前では台無しである。

 隣に並ぶルードですら頬を引き攣らせているし、家政婦長も閉口しきっている。

 ナオミもじゃじゃ馬気質ではあるが、理由もなく苛め紛いの蛮行に及んだりは絶対しなかった。


 そりゃあ、イヴリンがナオミを厭いたくなるのも頷ける。

 継子かつ人種の問題含め、とんでもなく酷い目に遭わせた女の子供ナオミなんて全然可愛くないだろう。全寮制の寄宿学校へ送ったのも納得だし、あからさまな継子苛めに発展しなかったのは奇跡と言っていいかもしれない。


 幼い頃から実母への思慕や感慨を抱くことなどほとんどなかった。たまに父からこっそりと聞かされても、特に心を動かされもしなかった。

 ただ、父曰く『知的で物静か。控えめで守ってあげたくなる女性』だと何度か聞かされていたのに、いざ実物と会ってみたら何もかもが違う。違いすぎる。


 話をすればするほど、実母への嫌悪感が募っていく。しかし、訊きたいこと、訊かねばならないことがまだまだ残されている。


「……質問を変えます。貴女、留学期間終了と同時に母国へ帰国したんじゃなかったんですか??」

「えぇ、そうよ。留学で経た知識、経験生かすために帰国したけど」

「一度は??」

「そ。一度帰ったけど、また戻ってきたの。祖国の有り様……、女性差別がこの国より酷くてうんざりしてしまって。あんな国の土なんて二度と踏もうと思わない。私はね、外交官の妻などになるために留学した訳じゃなくて、自分自身が外交官になりたかったわけ。そのために猛勉強してきた。想定外の妊娠出産も乗り越えながらね」


 しかし、彼女の祖国は国全体で処女信仰が強く、未婚で出産経験有りだと知られるわけにはいかない。


「まぁ、結婚なんて女にとって枷でしかないし、できればしたくなんてないわよね??」

「その点は賛同します」

「話の分かるいい子ねぇ。えっと、どこまで話したっけ。そうそう、で、無理やり外交官の息子と見合い結婚させられそうになったから、晩餐会で知り合ったあの国の要人と一緒に国を飛び出したわ」

「は?!え、ちょっと待って!外交官の妻や見合い結婚は嫌なのに駆け落ちはいいわけ?!」


 言ってることと実際の行動の辻褄が合わなさすぎじゃない!


「言っておくけど、その要人は出国に協力してくれただけ。やましいことなんて何もない。三か国の言語が堪能なのに埋もれさせるのはもったいないからって」


 たしかに彼女が喋るこの国の言葉は発音も文法も完璧だ。


「で、その要人の伝手で通訳の仕事をさせてもらってた。人種で差別されることも多々あったけど、後ろ盾があったから食うには困らない程度の生活は送れていたわ」

「じゃあなぜ今はこの国で父の世話になっているのよ」

「世話になっている??違うわね。お世話させてあげてるのよ」

「はあ??」


 この人、何言ってるんだか。


「どういう経緯で知ったかわかんないけど、あるとき突然エブニゼルが私の前に現れてねぇ。自分のせい子供を生ませたでしなくていい苦労させてしまったので償いをしたい、って請われて」

「なんですって、お父様が自ら?!」

「私はどっちでもよかったのよ??償いも何も私は何も後悔してなかったし、彼は親が決めた頭ゆるふわ女と婚約してたし、断るべきだとも思ったけど。婚約者をちゃんと納得させるから、ってやけに意気込んでて……、だってインダスの駐留軍に所属してたのに、私のために──、表向きには頭ゆるふわ女との結婚のためってことで退役したのよ??根負けしちゃったわよねぇ」


 いや、するなよ。


「通訳の仕事も少し飽きていたことだし思い切って一からやり直すつもりでエブニゼルの厚意に甘えることにした……」

「何だかんだ言って男性に依存しないと生きていけないのね」

「……は??」


 マダム・ドラゴンが纏う空気が急激に凍てついていく。

 切れ長の瞳に宿る鋭利な光、低まった声音に家政婦長は怯え、「お嬢様、謝ってください」と引け腰になりながら窘めてくる。が、ナオミの知ったことじゃなかった。

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