第27話 幽霊の正体③
奇しくも声を上げたことで我に返り、今し方起こった前後の状況を思い返してみる。
二階の廊下を注視しすぎたせいで、知らず知らず段差から足を踏み外してしまったらしい。それで視界が天井へ移動したというわけか。
「失礼。咄嗟に触れてしまいましたが」
「いえ……、なぜ貴方がここに??」
背中から抱き止めてくれたルードに開口一番、問いかける。
「僕が答えるより先に、態勢を直したほうがいいかと」
「え、えぇ、そう……、ね」
たしかに深夜の
「いいですか、離しますよ」との呼びかけののち、手すりにつかまり踏み外した足を元の位置へ戻す。
「あの、ありがとうございました」
「礼には及びません。さっきの質問の答えですが──」
曰く、セイラは部屋へ運ぶ途中で寝てしまい、ただベッドへ寝かすだけでよくなった。そして、
「差し出がましいと思いましたが、ウィスキーで良ければ寝酒にでも、と。あぁ、やましい考えとかは何もな」
「別に何も言ってませんけど……。私、そんなに怒りっぽく見えますか??」
「はい」
「即答ですか。そうですか」
「厳密に言うと僕が怒らせてばかりなのがいけないんですけど、ね」
怒らせている自覚は一応あったのね。
皮肉のひとつやふたつ投げかけたくなったが、不毛なのでやめておこう。
「それでわざわざ私を探しに階下へ降りてきたのですか」
「はい。でも、追いつくより先に貴女は地下の厨房へ行ってしまった」
だったら部屋に戻ればよかったのに。
喉元まで出かけた新たな皮肉はすぐに飲み込む羽目に陥った。
「部屋へ戻ろうと階段に行ったら、見慣れない女性が二階の廊下を徘徊していたのです」
彼もまた、あの暫定幽霊の姿を目撃してしまったのか。
暫定幽霊が無為に廊下をうろつく様にルードも気味が悪くなり、階段の手摺の影に隠れ様子を窺っていたとか。
「疑っている訳ではなく確認の意味で一応お尋ねします。今回デクスター家の使用人は」
「我が家の使用人は
結構な失礼にあたる質問に拘わらず、特に気分を害した様子もなく。とりあえずホッとはしたが、謎は解けそうにない。
「僕も訊きたいのですが。あの女性はガーランド家の縁者ではないのですね」
「少なくとも私の知る限りでは」
「随分含みのある言い方を……??」
訝しむルードに例の噂を話すべきか。
幽霊話なんて一笑に付されるに違いない。ナオミが幽霊を信じる質だと思われるのも癪に障る。しかし、実際に暫定幽霊を見てしまった以上、真偽はどうあれ説明せざるを得ない。
「あらかじめに言っておきます。私は決して信じていないのですが──」
言い訳がましい前置きに続き、例の幽霊の噂をルードに伝える。
ルードは嘲笑ひとつせず、生真面目な顔で冷静に述べた。
「なるほど。でも、僕の目にはあの女性が生きた生身の人間にしか見えません。ナオミさんだって幽霊だからというよりも、見知らぬ人間が屋敷内をうろつき回るのが恐ろしいだけな気がします。物盗りと鉢合わせた感覚が一番近いかもしれません」
ルードの発言はごく常識的で、改めて言われるまでもない程当り前のことなのに。
やけにすとんと腑に落ちた辺り、自分が思う以上に恐怖に駆られていたらしい。
「自分がだいぶ情けないわ……」
「真夜中に知らない人間がうろついていたら、多かれ少なかれ恐慌状態に陥りますよ」
「そう、ね」
ありがとう、と続けたかったのに、言えなかった。ナオミとルードの後ろで、悪魔と見紛う形相の家政婦長が静かに佇んでいたからだ。
家政婦長の手にはブランデーのグラスを乗せたトレイ。自らナオミの自室まで運ぶ途中だったのだろう。
「ナオミお嬢様、私はお部屋に戻ってくださいと申し上げましたが??夜中に、結婚前の女性が男性の客人と一緒にいるなんてはしたない。どなたかに見られたらどうするおつもりです??」
「え、あー……」
正論中の正論にぐうの音も出ない。
「デクスター様もですよ??お嬢様の体面を傷つけかねない行動は控えてもらえますか」
「万が一体面を傷つけてしまったなら責任取る気でいます。ご安心を」
「は!?勝手なこと言わないで!誤解されるでしょう!?」
ちょっと気を許した途端これだ!
ついさっきの家政婦長と同じくらいの形相で睨みを利かせても、お構いなしな風情が腹立たしい。
「と・に・か・く!いいですか、お二人ともただちにお部屋へ戻ってください」
「無理ですね」
「私だって本当は戻りたいのよ??でも」
ルードと目配せし合い、揃って二階の廊下へ指を指す。
二本の人差し指が示す先には何度目かに姿を見せた暫定幽霊。目撃するなり噴火寸前から一転、家政婦長の血の気が一気に下がり、急に黙りこくってしまった。よくよく見ると小刻みに震えてさえいる。
かちかちと鳴る歯と共に、トレイもカタカタ揺れる。琥珀色に染まったグラスも揺れる。
あ、どんどん面倒臭いことになってきたかも。
恐怖心は拭いきれていないけど、このままじゃいつまで経っても部屋に戻れそうにない。目撃者も増えてしまったし正体を突き止めなきゃ。
「ナオミさん」
「お嬢様、お待ちください……!」
決意するが早いか、ルードの呼びかけも家政婦長の悲鳴も無視し、ナオミは階段を駆け上がった。
ちょうど暫定幽霊が廊下と階段の境目に差し掛かったところに、折れそうな細い手首を捻り上げる。
蚊の鳴くような悲鳴にほんの少し心が痛むが、正体を白日の元に晒す(真夜中だけど)のが最優先。キャンドルランプを暫定幽霊の顔に近づける。
暫定幽霊はナオミより一回り近く小柄だった。朧げな光に晒された面相は整いつつ小作りで顔の彫りは浅い。肌も黄色味を帯びている。
初めて会ったにしては既視感と違和感が強く湧いた。更にキャンドルランプを近づけ、眉を顰める暫定幽霊に問いつめようと──、する前に物凄い勢いで腕を振り払われた。
この細腕のどこにこんな強い力が。驚きと警戒で固まるナオミの全身を、暫定幽霊は不躾にじろじろ見回してくる。
暫定幽霊の癖に失礼な。いいえ、どこをどう見繕っても正真正銘生身の人間だ。
「貴女、一体何者……」
「あんたこそ何なの」
ついイラッとなって飛び出した詰問は、きつく胸倉を掴まれ、ぎりぎりと締め上げられる苦しさも相まって掻き消えていく。ナオミより細い腕なのになんて野蛮な!信じられない!
野蛮な相手では殴られるか階段から突き落とされるかもしれない。覚悟しかけていると、二人分の慌ただしい足音が耳を掠めていく。
「マダム・ドラゴン!この方はナオミお嬢様です!」
「はぁ??今なんて??」
次の瞬間、あっさりと解放され、首元の苦しさが嘘のように楽になった。
げほげほ、と咳き込みながら、背中を撫でるルードの掌の大きさ温かさに安心したのも束の間、マダム・ドラゴンと呼ばれた女性に気怠げに呼びかけられる。
「ナオミ??あんた本当にあのナオミなの??」
許可なくいきなり
身構えた分だけ拍子抜け、拍子抜けた反動で少しずつ怒りが込み上げてくる。
「すっかり大人の女に育っちゃってまぁ……」
胸倉掴まれたかと思えば、突然馴れ馴れしくされ。あげく感慨深げに話しかけられ──、遂にナオミの堪忍袋の緒はぶつり。それはそれは盛大にいい音を立てて、切れた。
「……は??さっきからなんなんですか、貴女。幽霊紛いの謎行動するし、ころころころ、ころころころ態度変えては人のこと振り回して。貴女、何者なんですか誰なんですか。見たところ、この国じゃなくて東方出身の人ですよね??」」
「ナオミお嬢様、マダム・ドラゴンは」
「私は貴女の母親だけど。それが何か??」
危うくキャンドルランタンを取り落としそうだった。
暫定幽霊の正体がまさかの実母だなんて。
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