三章
第20話 開戦の火蓋は切られるか否か
(1)
彼にはまったくついていけない。どういう風の吹き回しなのか。
『姫』呼びから『ナオミ』呼びへの変化も唐突すぎるし、真摯な謝罪も詳しい説明がなくては受け止め辛い。
ただ、顔を見なくても分かる程度には深い反省が伝わってきた。
ナオミの意思を平気で無視し、一方的に気持ちを押しつけても悪びれない。自信家を通り越して強引で傲慢な、あのルードがだ。
これが驚かずにいられようか。
かと言って甘い顔見せるのは違う気もする。
ナオミ自身への態度以上にダフネへの態度はやはり許しがたい。彼女への謝罪はきっちりしてもらわねば、と思いつつ、冷静さを取り戻した頭で少し考えてみる。
「Mr.デクスターJr.」
「何でしょう」
「私、先ほどコートに戻ったらダフネさんに謝ってください、と申し上げましたが……、取り消します」
「え??」
顔半分だけ振り向きがてらルードを見返す。
露骨に面食う様が可笑しくて、こちらの表情もつい緩みそうになる。
ダメダメ!ここで笑っては示しがつかない。
「勘違いしないでくださいね。ダフネさんへの謝罪は絶対にしていただきます。ただし、皆さんが集まっている
「いえ、男女が部屋に二人きり、というのもどうかと……」
この期に及んで逃げ腰??否、違う。
ルードの言う通り、若い男女が人目を避けて一室に籠るのは確かに外聞が悪い。
「では、私も同じ部屋へ参りましょう。女性二人と男性一人でしたら、特に問題ない筈です。謝罪だけでしたら、そう長くは時間かかりませんし。ねえ??」
レッドグレイヴ夫人の真似で口角を引き上げ、わざと笑顔を作ってみせる。
笑顔は色んな意味で武器になる。人と関係を円滑にする一方で、威圧や牽制代わりに使うことだってできる。正直な話、ナオミは全然得意じゃない。最も苦手な類かもしれない。
今だってそう。普段使わない頬の筋肉が突っ張るし、口角だって引き攣っている。不自然極まりない作り笑顔はさぞ滑稽に見えるに違いない。
しかしルードの場合、眉目を吊り上げ喧々諤々とした態度より、不自然だろうと笑顔で対応した方がいいような気がしてきた。なので、念押しと共に殊更笑ってみせた。
案の定、ルードはナオミの笑顔に──、笑顔といっても『にっこり』ではなく『ニタァ……』と不気味にほくそ笑む(ナオミに自覚なし)──、に、見てはならないものを見た、とでも言いたげだ。えーえー!どうせ笑顔が下手ですよ!
慣れないことはするものじゃない。だんだん顔の筋肉全体が痛くなってきた。
不気味な笑みから、スン……、と無の表情に戻し、軽く咳払いする。
「いいですか??今日の夕食後、私が談話室にダフネさんを誘いますから必ず来てください。絶対ですからね!」
「えぇ、わかりました」
意外に物分かりの良い、良すぎる返事に、つい、『本当に分かってます??』と尚も確認しかけて、やめる。しつこ過ぎてはいけないし、これ以上の念押しは野暮だ。
素直な返事が聞けただけ良しとしよう……、と考え、はた、と気づく。
セイラを始め、教え子たちに勉強を教えている時と似ている、と。
彼はとっくにいい大人だけれど、もしかしたら情操教育が必要なのかもしれない。
二人がコートに戻り、ほどなくして試合は再開したが、ルードはその日はずっと待機席にいた。ルードの出場停止はチームデクスターの大きな打撃となり、クインシーたちの奮闘虚しく、チームガーランドに大きく点数を切り離されていく。
この国の夏空はいつまでも明るい。夜更け近くまで昼間同然の空模様に延々と試合が続けられそうだと錯覚しかけるが、試合はまだ最低四日間は続く。続きはまた明日、と今日の一日目の試合は終了した。
(2)
総勢三十名以上に上るガーランド家、デクスター家及び両家の関係者数により、少し遅めの晩餐は食堂ではなく広間で摂ることになった。
全員が一堂に会し、テーブル数脚を重ね合わせた即席の長テーブルに着席、晩餐を楽しむ光景はまるで一大貴族の優雅な生活を再現しているよう。
最も、この中の誰一人として本物の貴族はいない。身分が近い者、金で低い爵位を買った者はいるけれど。
優雅に見えるとしたら、上質な木材を利用した家具調度品、貴族御用達の高級銘柄の食器類や花瓶、有名な職人が手掛けたバラと天使がモチーフのシャンデリアが雰囲気を作り出している。
優雅に見える空間、話題の中心は義母イヴリンと義弟パーシヴァルだ。
本質はともかく、華のあるドーリーフェイスな母子は物腰の柔らかさも相まって、誰からも話しかけられやすい。父エヴニゼルも引き立て役ながら会話の輪の中にちゃんといる。
ナオミは彼らを離れた場所からじっと窺う──、これがガーランド家の常である。
端から見るとナオミだけ浮いているが、彼女自身はこの位置づけが一番心地良い。家族と距離を取る分、他に目を配れる。
例えばナオミの席から斜め左。
席の主のダフネは周囲のおしゃべりに絶妙な拍子で相槌を打ち、控えめに微笑み、自らは言葉少ないながら話を盛り立てている。
相手の話を引き出すのに長けた聞き上手、か。
心中で感心していると、本日のメインディッシュ、ローストチキンのブレッドソース添えが運ばれてきた。
大抵いつもはローストビーフなのだが、デクスター側の意向でチキンに変更された。
亡き妻と同じインダス出身の使用人がほとんどゆえに、彼らの宗教上の信仰を尊重するため、とか。
クインシー自身は改宗した訳じゃないが、亡き妻との結婚以来、死別から三十年近く経た現在も彼女に合わせて牛は食べないどころか、一切の牛革製品を使用しない、とか。
ローリエの香り放つ、とろみたっぷりのホワイトソースを、てらてらとよく焼けたチキンとよく絡める。切り込んだナイフは、厚みはあれど柔らかな肉の中にすんなりと迎え入れられていく。
うん、ビーフと比べてさっぱりしているけど、チキンも悪くない。白ワインがよく進む。
料理と酒に舌鼓を打ちつつ、再びダフネへ目を向ける。
ナオミとは対照的にダフネはチキンに一切手を付けていない。
こんなに美味しいのに、と一瞬ムッとするも、食の好みは人それぞれだからと思い直し──、かけて、目を疑った。
さりげなく、本当にさりげなくだが、ダフネがほんの一瞬、チキンを睨みつけたのだ。それまでの彼女の印象が丸ごとひっくり返りそうな、物凄い形相で。
そこまでチキンが嫌いなのか、と思いかけて、すぐに違うと感じた。
ダフネはチキンではなく、チキンをルードに見立てているのでは??
あくまでナオミの直感でしかないが、きっとそうに違いない、と。
……そりゃあね、過去に関係があった(だろう)男性から
「ダフネさん」
夕食後、ダフネを呼び止めると大層ぎこちない動きで向き直られた。
「な、なんでしょうか……??」
肉食獣に追い詰められた子鹿か。
普通に話しかけただけなのに、異様なまでに怯えないでほしい。
ほら、イヴリンが眉を潜めて聞き耳立てている!(こっち見んな)
「あの……、貴女に少し、お話があります。今から談話室に来ていただけますか??」
努めて優しく、穏やかな口調で、頑張って笑顔まで浮かべてお願いしたのに。
見る見るうちにダフネの顔から血の気が引いていった。
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