第19話 閑話休題②
夢で見るキャサリン姫の存在を長らく無視しながらも、ルードが心惹かれる女性は彼女とよく似た女性ばかりだった。
金髪、色素の薄い瞳、透けるような肌。やや高慢で気が強く、元気な性格で──、いつの間にか目を引かれてしまう。
ナオミに説明した通り、ダフネと初めて出会ったのは四年ほど前。仕事の関係でインダスへ長期滞在していた際、外国人居留地で出会った。
場所はクリケットコート内。ルードが一時所属していた現地の男女混合アマチュアクリケットチームの対戦チームの中にダフネがいたのだ。
最初は、顔こそリスやうさぎに似て愛くるしいが、小柄でおとなしそうな女性という印象を受けた以外、特に何の感慨も抱かなかった。
しかし、いざ試合が始まってみると、ダフネは打席ではどんな球も確実に打ち返し、投球では変化球で打者を翻弄、守備に回れば自分の近くに飛んでくる球は確実に捕っていた。
現地の女子寄宿学校を卒業したばかりのダフネと、同じく大学を卒業してまだ日の浅いルードは年齢も近く、クリケットを通じて交流を深め交際に発展。ルードがこの国に帰国後もしばらく手紙でのやり取りが続き、ダフネも家族共々この国への移住が決定した矢先、彼女の方から別れを切り出された。理由は記されていなかった。
何か月もの間、顔を合わさずに手紙だけの関係となれば心変わりがあってもしかたない。
心変わりじゃなかったとしたら──、ルード自身心当たりがないわけでもない。
『移住するかもしれない』と連絡を受けた手紙の返信に、『では、いつ結婚を申し込んでも問題ないですね』としたためたからだ。
年齢が近いとはいえ、ダフネはまだようやく二十歳を迎えるか迎えないかの若さ。
結婚に対して及び腰になったかもしれないし、あるいは──、ルードの血筋が問題になったか──、こちらの線が強いかもしれない。
何にせよ、その手紙を最後に彼女との関係は一切途絶えていたし、記憶も薄れていた。ダフネに限らず、付き合った年月、関係の深さに拘わらず、離れて行った時点で過去でしかない。
しかし、数々の『過去』が突如として『現在』のルードの眼前に複数現れた。
まさかのルシンダ・レッドグレイヴ夫人が引き連れてきたのだ。
夫人とキャサリン姫の生まれ変わりことナオミ嬢の思惑を悟るなり、腹の底から大きな声で笑い転げたくなった。『過去』なんてどれだけの数を引き連れてきたところで、心動かされなどしない。とっくに消化してしまってるのに!
『過去』たちの物欲しそうな、未練がましい様子は白々しいにも程がある。
結婚を申し込んだ途端、別れを切り出したのはすべて『過去』たちだというのに。
取り分けダフネの絡みつくような視線が痛くてたまらなかった。
あの頃の溌溂した雰囲気は見る影もなく、この国が掲げる理想の令嬢──、常日頃、控えめに淑やかに振るまうこと、知的さ、賢明さも忘れず、でも決して出過ぎた真似はしない、特に男性に対しては気をつけること、常に微笑みを絶やさず、感情は荒立てないこと──、数え上げたらキリがないが、判で押したような、型通りの令嬢の姿に変貌していた。
型通りの理想に近づけば近づくほどに生きやすくはなる。特に女性の場合は。
インダスならまだしも、本国では一層その傾向は強い。だからダフネも変わらざるを得なかったのだろうし、理想に近づこうとする彼女を否定する気はない。理解はしないけれど。
工場で大量生産される既製服のような、どこにでもいそうな貞淑で控えめな女性など興味はない。
ダフネを始め、レッドグレイヴ夫人に引き連れらてきた『過去』たちは皆、最初は特注品だった。彼女たち以外の『過去』も皆そう。
だが、彼女たちは皆一様にルードと別れた後は特注品から既製品に変わってしまう。
中にはルードといたいがために特注品を演じていた者もいたりした。女性とは愛しくもおそろしき者と父がよく語るのも頷ける。
だからだろう。
知的で勘の鋭い筈のレッドグレイヴ夫人も『過去』たちの本質を掴みきれていなかったようだ。否、夫人とナオミ嬢は少し事情が違う。
あの二人自身は色恋への興味関心が極端に薄く(むしろ忌避すらしている)、同性への嫉妬や羨望などの悪感情とは無縁で、それへの理解も薄く軽視しがちに違いない。
人は自分が持たざる感情には鈍感になりがちだから仕方がないとは思う。だが、軽視したがゆえに、ダフネがナオミ嬢への悪感情を膨らませ、信じられない行動に出てしまったのだろう……、と、結論付けつつ、ルード自身も大いに非があったと少し反省していた。
『ルード。あれでは逆効果だよ』
『過去』たちの前で、『ナオミ嬢にしか興味ない』と見せつけたことを、あとで父クインシーに苦言を呈された。
『なぜですか??未練を抱くだけ無駄だと示さなければ、今頃彼女たちはこの部屋にこぞって押し掛けてくるかもしれません。諦めさせるにはああした方が……』
『分かってないなぁ。いいかい??お前が言うところの型通りの淑女であれば、泣く泣く未練を断ち切り、すんなり引き下がるかもしれない。でも、女性は時に恐ろしく、思ってもみない行動にでることがある。仮に諦めたとしてもだ、怒りの矛先がMissガールに向かないか、私は心配だなぁ』
『考えすぎですよ』
その場は軽く受け流したが、父クインシーの予想は的中してしまった。
他の四人はまだいい。
気がかりだったのは、唯一試合に参加したダフネだった。
単純にクリケットが得意だから出場したかったのか、他に意図があってのことか。
昨日に引き続き、ルードにだけ分かる、もの言いたげな視線をこそこそ送りつけてくるし、あとは──、下手なクリケット初心者よりも情けない動きで試合に臨んでいる。何のために??
だから、打席の順番が回ってきたときに確かめたのだ。彼女がボロを出さないかと。
残念ながらボロを出すより先に、彼女が
何にせよ、ダフネがナオミ嬢を危険な目に遭わせたは事実。
更に言えば、そのきっかけを作り出したのはルード自身──
「ナオミさん」
憤然と前を歩きだした華奢な背中に呼びかける。
『姫』でも『貴女』でもない。
今現在の彼女の名で初めて呼びかける。
ナオミの肩が大きく跳ね上がり、おそるおそるといった様子でルードを振り返った。
「色々と……、申し訳ありませんでした」
青灰の瞳が更に瞠目する。薄い唇がもごもごと小さく動いたのち、ゆっくりと開かれる。
「何に対する謝罪ですか??」
「その……、貴女を怒らせたり困らせたかもしれないこと全てに対して、ですか」
「かもしれないとは??」
「…………」
「答えられないのに謝るのですか??子供だってもう少しマシな弁解しますよ??」
手厳しい。
言葉に詰まり、答えあぐねていると痺れを切らしたのか、ナオミはとうとうルードに背中を向けてしまった。が──
「今回に限っては、今の私の名前を呼んでいただいたのに免じ、許して差し上げます」
「具体的に何に対する謝罪なのか、まで答えてほしかったですけどね」と付け加えたものの、背中越しの声に怒りの感情は籠っていなかった。……と、ルードは信じたかった。
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