第21話 開戦

 淡いクリーム色の地色に白と黄緑の花柄模様が散る壁紙、薄緑の地色に薄茶の縦縞模様の四人から二人掛けの椅子数脚。白樺製のローテーブル、机上の一輪挿し花瓶には淡い桃色のバラ。

 談話室の雰囲気を形作る空気は柔らかく温かい。なのに、ナオミとダフネが入室した途端、真冬の屋外へ放り出されたような寒々しい雰囲気に陥った。


「私、なにか……」

「そちらへ座って」

「でも」


 ナオミを見下ろすダフネは困った顔、というより、困った風を取り繕っている、ように見えたが、相変わらず顔色は優れない。


「ほら、顔色もよくありませんし。ね??」


 精一杯の笑顔を向ければ向ける程、ダフネは頑なに扉の前から動こうとしない。

 案外強情な人なのね、と溜息をつきかけて飲み込む。

 溜息一つでさえ怯えるかも、などと心配や気遣いとかではない。

 急にダフネが今にも舌打ちしそうな形相でナオミを睨み下ろしてきたからだ。


「私、悪いことしたなんて、ちっとも思ってませんから」

「え……??」


 弱々しかった顔つきと口調も、勝気に満ち溢れたものへと一転。

 震える子鹿から気の強い女鹿へ──、ダフネの豹変に今度はナオミの方がたじろぐ番だった。


「あ……、貴女がお怒りになるのも当然です。あんな酷い目に遭ったのですから」

「えぇ、まったくですわ。なぜ私があのような仕打ちを受けねばならなかったのでしょう??」

「それは……、大変申し訳ありませんでした。ダフネさんへ行った、Mr.デクスターJr.の所業は私からも深く謝罪いたします」

「まぁ、何ですの??まるで彼の細君か婚約者みたいですわね」

「そんなつもりは……」

「ではどういうおつもりでいらっしゃるの??ルシンダさんから聴いたお話と全然違うじゃありませんか。ルードラのことを大層嫌っていると窺ったのに、嫌っているどころか随分と仲睦まじいじゃない!」

「私が??彼と仲睦まじい??」


 自分は彼のことをあんなに嫌っているのに、どこをどう見たら仲良く見えるのか。


「あの、お言葉に反しますけど」

「試合中に彼を問答無用で連れ出し、屋内へ連れ込んだじゃありませんか!」


 ダフネの言い方が妙にいやらしくて、正直カチンときた。が、努めて平静を装い、反論を試みる。


「激しく誤解なさってるようですけど、死球で負った怪我の手当で屋内へ連れて行っただけです。使用人を呼びに行く時間、更に屋内から外まで駆けつけるまでの時間を考えたら、こちらから直接行った方が時間を無駄にしないと判断したまでのこと」


 ナオミの反論にダフネは更なる反論返したそうにしつつ、唇をきつく引き結ぶ。

『ルードを屋内に連れ込む』に至ったのは彼女が打ち返した球が原因なのに酷い言われ様だ。


「私はただ客人同士で起きた問題を解決したいだけです。残りの滞在期間を気持ちよく過ごしていただきたいですし」

「いいえ、私、明日明朝にはお暇します!」

「ダフネさん……、そんなにご立腹でいらっしゃるの??」

「当たり前ですわ!」


 ダフネは柔らかな色と花柄模様の壁に力いっぱい拳を叩きつけた。

 淑女にあるまじき乱暴な仕草にナオミの肩が大きく跳ねる。

 この様子ではルードが来るより先にダフネの方が部屋を出て行ってしまう。ルードが来るまで足止めしなくては!


「た、たしかに、試合で集中的に自分の方へ球を打ち返され続けるのは腹立たしいですよね。お気持ちはよく理解できます。私も同じことされたら」

「そんなことはどうでもいいんです!毛ほども気にしてませんわ!貴女がルードラと一緒に私へ嫌がらせしておきながら、しらじらしく引き止めてくるから腹が立つのです!私を馬鹿しないで!!」


 ダフネにいきなり詰め寄られたかと思うと、次の瞬間、ドン!という衝撃がナオミの肩に走り──、数秒間放心したのち、肩を強く押され尻もちをついたのだと理解した。


 目の端でダフネのスカートの裾が横切っていく。

 本能的な動きで繊細な布地をぐいっと強く引っ張った。

 ナオミの動きを予測していなかったのか、ダフネはドアノブを掴んだまま淡い色の双眸を見開いた。


「私と、Mr.デクスターJr.が……、貴女に、嫌がらせ……??」


 自分でも驚くほど怒りの籠った低い声に、ダフネの強気な眼差しに怯えが滲む。だからって黙ってなんかあげない。


「彼がどういうつもりかは知らない。でも、私にまであらぬ疑いかけないで。被害妄想甚だしいったら」

「被害妄想ですって?!」


 ダフネの瞳に再び怒りが宿る。しかし、ダフネよりもナオミの青灰の双眸の方が静かな怒りで燃えていた。その眼で睨み上げれば、うっ……と言葉に詰まりつつ、ダフネは自棄気味に叫んだ。


「じ、じゃあ、なぜ夕食にチキンなんて出てきたのよ?!」

「……チキン……??」


 あまりに予想外な言葉に、間抜けな声で鸚鵡返ししてしまった。


「……っつ!私がどうしても苦手で食べられないの、知ってたからじゃないの?!」

「……は??夕食のローストチキンは──、デクスター家の方々がビーフを口にしないからですけど」

「そんなこと当然知ってますわ!」

「…………」


 この人、いったい何が言いたいのかしら??

 幼い教え子たちだってもう少しマシな物の訴え方するのに。

 ダフネの癇癪めいた怒り方にナオミの頭は急速に冷静さを取り戻していく。


「ダフネさん。ゆっくりでいいです。ゆっくりでいいですから、ひとつひとつ整理しながら説明してもらえますか??」


 馬鹿にしないで!と罵倒覚悟で、家庭教師モードで続きを促す。

 ダフネは一瞬だけキッとナオミを睨む。


「私はね、一度ルードラに求婚されているの」

「そうですか」


 ふふん、と勝ち誇られたところで、ちっとも羨ましくも妬ましくも悔しくもない。

 反応のしようがなくて虚無顔でいたら、更に誇らしげにされた。意味不明すぎる。


「でも私は泣く泣く断った。どうしてか、貴女にお分かり??」

「さあ。皆目見当つきません」


 どうでもいいけど、言葉遣いが砕けてきたような。本当どうでもいいけど。

 あと自分に酔い痴れすぎ。舞台女優にでもなれば??


「チキンよ!すべてはチキンのせいなの!デクスター家じゃお肉はチキンしか食べないから!私、何度も何度もチキンを食べられるよう頑張ってみたの!でも、どうしても、どうしてもチキンが受けつけなくて……。チキンなんてひと口食べただけでもう、吐きだしたくなるの……」

「…………」


 涙で潤んだつぶらな瞳、悲壮感に満ちた愛らしい顔。

 花弁のように色づいた唇から紡がれる言葉は──、チキンの連呼。

 連呼し過ぎてゲシュタルト崩壊しそうだ。


「あの……」


 立ち上がりながら、ダフネにかけるべき言葉を考え……、考え……──


「えっと……、ダフネさん。ダフネさん??あの、聴いてください……、あー……、もう聴いてようが聴いてまいがどっちでもかまわないです!私が言いたいだけなので勝手に言います!私は貴女がチキンがお嫌いなことは一切存じ上げませんでした!嫌がらせなんてしてません!」


 やってられるか!!

 にしても、ルードはまだ来ないの?!


 まさか、この期に及んで逃げだしたりしないわよね──、舞台女優さながら完全に自分の世界に入り込んでしまったダフネを押しのけ、慎重に扉を開ける。


「あ」


 扉を開けた先にルードは居た。

 廊下を挟んで正面の壁に、手をつき項垂れている。


 居たならさっさと入りなさいよ、などと文句は言えなかった。

 求婚を断られた理由がまさかのチキンだなんて。さすがのナオミも彼に同情を禁じ得なかった。

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