第17話 因縁の対決②

(1)


 休憩用テントの下、ナオミはテーブルに並んだ料理を無心で口へ運んでいた。

 あの国出身の料理人(母国の料理人よりあの国の料理人の方が腕がいい)が折角腕を振るった食事も怒りと悔しさの前では味がしない。好物のヴィクトリアンサンドウィッチの甘さも柔らかさも感じられず、砂を噛んでいるよう。


 ふつふつ込み上げる怒りに拍車をかけるのは、何も試合のせいだけじゃない。

 休憩直後に訊かされた、とある人からの打ち明け話も一端を担っている。


 楽しみにしていた休憩ティータイムだったのに!

 遠く対面するチーム・デクスターの休憩席をぎっ!と睨む。


 わかってる。格好悪い八つ当たりだと。

 まだ二球投げただけ。派手に点を取られたけど、大きく打たれたのは一回だけ。

 まだまだ挽回の機会はいくらでも残っている。これからこれから!


 気を取り直し、二つ目のヴィクトリアンサンドウィッチと焼き立てのアップルパイを大皿から手元の取り皿へ、一個ずつ運ぶ。うん、ちゃんと味がするし美味しく感じられる。苛々したときの糖分補給は大事。


「これもお好きでしょう??」


 レッドグレイヴ夫人が横から差し出したのは、ほうれん草ときのこ、ベーコンのキッシュ。ナオミの好物のひとつだ。


「まぁ、ありがとうございます」


 卵の黄色、ほうれん草の緑、ベーコンのピンクが混ざり合うのが目にもきれい。

 チェダーチーズはさっぱりしたほうれん草ときのこで程よい濃厚さに。


「んー!素朴だけど複雑な味わいが堪らないわ」


 将来、あの国に移住したら絶対現地の料理人を雇う。特にキッシュが美味しく作れる人を。


 試合のことなどひととき忘れ、好物に舌鼓を打つ。

 普段働かない表情筋が自然と綻ぶ。状況にもよるが、人は食事時に素の顔が出やすくなる。


 だからだろうか。

 対戦チームの休憩席で表情を緩めるナオミを、信じられない程優しい顔でルードがそっと見つめていた。






(2)


 ところが試合が再開された途端、持ち直したナオミの気分は見事に崩れ去っていった。


 試合と個人的感情は別、とでも示すように、休憩後の試合もルードの独断場は続いていく。

 パーシヴァルに続き、ナオミの残りの投球もすべて打ち返されてしまった。

 女子寄宿学校時代も、大学での男女混合チームでもナオミの投球を打ち返すものはそうそういなかった。なのに。


 培ってきた自信と尊厳プライドがぐしゃぐしゃにつぶれていく音が聞こえてくる。が、己の至らなさよりもずっと気になる点が──、あることに疑惑を抱いた。


 外野に戻り、四人目の投手が打たれた球の行方を注意深く追ってみたところ、ルードの策に気づいてしまった。


 思い返せば休憩前に放たれた一言にルードの真意が隠されていたのに。

 自分の投球時でもルードが打ち返した球の落下地点には毎回ダフネがいた。予想通り、彼女は逃げ腰で球を捕ろうとしてことごとく失敗していた。


 絶対わざとだ。

 わざと球をダフネの守備位置へ飛んでいくよう、計算して打ち返している。


 なんて酷い人なの!女だからって馬鹿にして!

 ピッチに飛んでいって、胸倉掴んで往復ビンタしてやりたい!!


 頭から噴煙上がりそうな勢いで激しい怒りに駆られたが、冷静さを欠いては駄目、と内心で言い聞かせる。落ち着け、落ち着け、とにかく落ち着くのよ!!


 パーシヴァルとレッドグレイヴ夫人へ、『ダフネさんの周りをさりげなく守って』と目線で合図する。どこまで察したかわからないが、すぐに二人は指示に従ってくれた。これでルードの連続打点を止められる筈。


 四番投手の二度目の投球もルードは一度で打ち返した。

 球はまた、きっとダフネの守備位置へ飛んで……、いかない!?


「んなっ?!」


 球はあろうことか、ナオミの守備位置へと飛んできた。

 慌てて球を追ったが、意識を逸らしていたせいで遅れを取ってしまった。

 それでもグローブで受け止めるまではでき──、たと思ったのに、弾みで球はナオミの手から零れ落ちていく。

 力なく地面に落ちた球、アウトの声に思わずその場で崩れ落ちかけ、どうにか踏みとどまる。


「~~!!」


 自分としたことが何たる不覚っ!!

 悔しい!悔しい!!

 球筋を意のまま完璧に操る技量も、人を食った打点の取り方も何もかも気に入らない!


 ナオミの焦りが移ったのか。四番投手が己を鼓舞するかのごとく、気合の一声を上げた。だが、気合も入り過ぎると心身ともに余計な力が入ってしまう。

 案の定、気合の入った投球は長打に繋がり、ルードの快進撃はとどまらない。


 結局、規定の六十球投げ終えるまでルードは一人で打点し続けた。


 攻守交代となり、一番打者と一番投手がピッチへ進み出る。


「うわ……」

「まぁ」


 芝生のベンチ待機席で試合を見守るナオミと夫人が同時に声を上げる。


 チーム・ガーランドが一番打者に選出したのはレッドグレイヴ夫人の友人ダフネ。

 対するチーム・デクスターの一番打者は……、ルードだ。


 勝手に決めつけては申し訳ないが、間違いなくすぐにアウトを取られそう。

 隣で夫人がすまなさそうに首を竦めた。いいの、貴女は気にしないでと首を振る。


『ごめんなさい……、わたし、レッドグレイヴ夫人にクリケットが好きか、好きなだけじゃなくて実際にプレイするのが好きか、誘われた時に訊かれて、むしろ得意です!と答えてしまったのですけど……。本当は全然好きじゃないし、スポーツ全般嫌いなんです……』

『正直に申し上げますけど……、わたし、ルードラ様に今一度お会いしたかっただけなんです。でも、その……、たぶん、わたしの入り込む隙ない気がしましたし、かと言って何もせず急に帰るのも失礼かと思いまして……』

『……それで試合に参加してくださったのですね』


 そう、休憩直後のナオミの苛立ちの一因となった打ち明け話をしたのは、ダフネだった。


 恋に恋する乙女は大の苦手。

 自他への後先考えない浅慮、その癖行動力だけは大胆不敵。

 乙女たちが口にする『きっと何とかなるでしょ☆彡てへ☆彡』は誰かの尻ぬぐい頼みありき。


 とはいえ、曲がりなりにも客人。軽々しい叱責などもっての他。

 ナオミは努めて冷静に、穏やかに対応したつもりだが、不機嫌は完全には隠しきれなかったらしい。

 ダフネは硝子玉みたいな美しい瞳を潤ませ、目尻に涙を溜めて赦しを乞うてくる。第三者視点ではナオミが苛めているようにしか見えない。

 見兼ねた夫人がナオミの代わりに叱責するも、ダフネの白い頬に涙がひと筋薄く伝った。人目も憚らず泣き落としとは、と内心呆れたが、夫人共々何も言えなくなってしまったのだ──


 一応『棄権はしない。攻撃回は頑張ります』と約束してくれたが、余り期待できそうにない。冷たいかもしれないけれど。

 ほら、言った傍からルードの投球に怯え……、ナオミは目を疑った。


 球が眼前に飛び込んでくるまで、ダフネは可哀相な程身をガチガチに強張らせ、怯えきっていたのに。


 球を打つ直前、彼女は嗤った。


 観客、選手含めてほとんどの者は見逃すであろう、ごくわずかな短い、瞬き一つの時間だが、たしかに嗤った。臆病な小動物から獰猛な肉食動物への変化に近い。

 即座に元の儚げな雰囲気に戻ったが、ナオミはこの目でしっかりと見てしまった。


 何あれ。気味が悪い。


 眉を顰める間に球は激しく回転しながらコートを超えていく。

 ビギナーズラックだとしても高くて美しい球筋だとか、ピッチで走者は何点稼いでくれるかとか。

 意外な展開に、ダフネが一瞬見せた顔も球と同じく記憶の彼方へ飛んでいくと思われた。


 走者たちへ声援送るのに無我夢中で当初は異変に気づかなかった。


 球はやがてナオミたちが座る待機ベンチ席を目指すかのように、勢い激しく飛んでくる。

 ぎゅるぎゅると音が出ていそうな回転を続ける球から逃れるべく、ナオミ含めたチームメイトは一斉に席を立ち、駆けだした。


 待機席といっても、簡易的な丸椅子を人数分整列させ、並べただけの代物。

 席を立ち、並べた椅子と椅子との狭い空間を駆けようとして──、爪先を椅子の脚に引っ掛けてしまった。前のめりに転びかけ、咄嗟に他の椅子の背に手をついたのがよくなかった。


「しまっ……!」


 今度こそ、ナオミは椅子もろとも転倒。素早く起き上がりかけて、ハッと顔を上げる。球が、ナオミの頭上へ真っ直ぐ落ちてくる。


 立ち上がって逃げるにはもう間に合わない。

 両腕で頭を庇い、地に伏せる。

 この際、頭に当たりさえしなければいい。多少の痛い思いは我慢しよう。


 しかし、直撃必至の筈の球はいつまで経っても落ちてこなかった。

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