第13話 計画なだけにご利用は計画的に

 堅牢な石造りの城の中、私はきつく奥歯を噛み締めた。

 現在は夜間なのだろう。明り取りの丸窓に映るのは闇に閉ざされた世界。

 壁と一体化した燭台の蝋燭の、頼りない光が薄暗い廊下をひっそりと照らす。


『父上。私は敵国に嫁ぐ気など毛頭ありませぬ。婚姻による同盟など湖の薄氷の上に城を建てるようなもの。いつ氷が崩れ、水底に沈んでしまうかわかりません。それよりも戦いで勝利し、降伏させた方が確実な安寧を民にもたらせるでしょう』

『そう言ってどれだけの兵が、民が命を失った?!お前が掲げた理想の下で!』


 朧な蝋燭の光は父であろう老人の、艶を失った白髪と髭を、私の淡く長い髪を鈍く輝かせる。


『お前ひとりの犠牲と多くの兵や民の犠牲、最終的にどちらを選ぶべきが賢明か、言わずとも理解できるだろう?!』

『いいえ??ちっとも??』

『キャサリン!』


 父に背中を向け、腰に帯剣した剣を鞘から引き抜く。

 怯えた皺だらけの顔をちらとだけ振り返って一瞥すると、私は無造作に自らの髪を掴み──、剣で切り落とした。


『これで我が国に姫はいなくなりました。戦う以外の術はありません』

『キャサリン!お前という娘は……!』


 絶句する父を捨て置き、私は長い廊下を突き進む。

 しばらく進んだのち、突き当った角を左へ曲がる。


『……聴いていたの』

『えぇ、しっかりと』


 角の影に隠れていた、自分と同じ淡い髪と瞳を持つ長身青年を憮然と睨み上げる。


『短い髪もお似合いですよ、姫』

『あらそう』


 ふん、と鼻であしらいつつ胸に温かいものが込み上げた。

 この人だけは私がどう考え、どう振舞おうとも受け入れてくれる。他の者とはまるで違う。身分差を差し引いても、私の意思を尊重してくれる。


 戦で勝利を手に入れられれば、国益も王位も手中にでき──、望んだ相手を夫に迎えられる。何が何でも負けるわけにはいかない。











 翌日のクリケットの試合に向け、ガーランドとデクスターの両家とも早めに休み、朝食も各自の部屋で摂った。


 そして迎えた試合当日の今日。

 午前九時過ぎには別荘に隣接したコートに参加者ほぼ全員が集まっていた。


 半径約76ヤードの広いコートは、ピッチと呼ばれる中央の長方形型のエリア(約20ヤード)以外、全面芝生でできている。主な試合プレイはピッチ内で行われ、見学者や打順待機の選手達が芝生に用意された休憩席で食事やティータイムを楽しむ。


 ガーランド家の使用人たちが休憩席を設置する傍ら、防具を着用した紳士淑女が芝生のコートで談笑する輪へ、ナオミはレッドグレイヴ夫人と急ぐ。


「おはようございます。皆さん、遅れて申し訳ありません!」


 輪の中に飛び込むなり、夫人共々頭を下げる。揃いのフィッシュボーンに編み込んだ髪が二人の背中から肩へ、同時に滑り落ちていく。

 ちなみに髪型の他にも、控えめなフリルを立襟と袖口にあしらっただけのシャツ、黒い乗馬ズボン、乗馬ブーツと服装もお揃いだ。


「おはようございます。おふたりの登場を今か今かと待ち詫びておりました」

「女性の支度に時間を要するのは仕方ないですからね」

「いつもの淑やかさも素敵ですが、今日のお姿も随分と様になること」


 男装姿のふたりの物珍しさからか、特に、(内面はともかく)ふんわりと淑やかな印象のレッドグレイヴ夫人の男装は人々を強く惹きつけた。主に男性たちがこぞって夫人のもとへ集まっていく一方、ナオミはぽつんと置き去りに。


 美しく物腰柔らかな夫人と違い、ナオミは愛想の欠片もなく、賢しげで気難しいと評されがち。容姿が美しければ高嶺の花扱いかもしれないが、特段美人でもなく綺麗でもなく、せいぜい十人並み。自分が男でも進んでお近づきになりたい女性じゃないと思う。


 まぁ、端から近づかれない方が独身貫くには好都合だけれど。

 とはいえ、例外もないことはない。


「おはよう、姉さん。今日の凛々しい男装姿も素晴らしいです!」

「ありがとう」

「きりっとした顔立ちの姉さんだからこそ本当によく似合う、似合うよ!」

「うん、ありがとう」

「いや、いつもの落ち着いた色のドレスも似合ってるけどね!まぁ、姉さんは何着ても似合うし!!」

「うん、うん……、ありがとう。そろそろ落ち着いて??」


 飼い主の側を尻尾ぶんぶん振って駆け回るワンコなのかしら……。

 ワンコ、もとい。パーシヴァルは最も足る例外だろう。ナオミを過剰なまでに全肯定、褒めちぎるのは少々気恥ずかしいが、すべて好意からきていると思うと無下にも扱えず。


 ワンコ化したパーシヴァルを落ち着かせながら、幼少期の刷り込みの影響ってすごいわね……、と、ふと昔を思い出す。


 そう、あれは十三、四年前の長期休暇で帰省中だった時。

 当時のパーシヴァルの家庭教師がひどく怠慢な質で、授業も下手で分かり辛い癖に、彼に対し鞭打ち等必要以上に体罰を与えていたのを偶然知ってしまったナオミはビンタした上で一喝。(今思えばビンタはやり過ぎだったと反省している)

『弟への態度を改め、真面目に授業を行うように。さもなきゃ、貴女を辞めさせるように父に訴えるから』と散々脅しつけたのだ。(脅すのもやり過ぎだった。少女時代の自分きっつ……、怖っ)


 幼い子供にとって家庭教師は家族や乳母ナニーの次に近しい存在。

 子供を導くべき大人が悪い影響ばかり与えるのがどうしても許せなかった。たったそれだけで、弟のためを思っての行動じゃなかったのに。以来、パーシヴァルはすっかり姉大好き、姉べったりに変わってしまったのだっけ。


「姉さん。少し遅れたのはその恰好のためですか??」

「え、えぇ、まぁね」


 やっと落ち着きを取り戻したパーシヴァルの問いに、やや口ごもりつつ答える。


 パーシヴァルへの答えは嘘じゃない、決して。

 ただ、真の理由は昨夜見た妙な夢のせいでよく眠れなかったから

 起きたあとも、むかむか、いらいらしてしょうがなくて。ついベッドの上で枕をぼすぼす殴っていたら、用意が遅れてしまったから。


 夢の中のあの姫が、自分の前世だなんて考えたくもない。


 だって、あのキャサリンとかいう姫、えらそうなことのたまう割に結局自分のことしか考えていないじゃない。


 敵国に嫁ぎたくない、好きな男性と伴侶になりたいからなんて個人的な理由で、国民を戦争に巻き込むとかありえない。私が彼女の腹心なら絶対背中から攻撃する。(反撃される可能性大だけど)


 きっと昨日ルードが変なちょっかいかけてきたせいだ。だからあんな夢を──、デクスター一家が集う場所へ視線を向ける。

 クインシーと話し込んでる様子のルードを一瞬のみ、きつく睨み、すぐに顔を背ける。


 恋とか愛とかうっとうしくてたまらない。

 やるなら周りを巻き込まず、当事者たちだけで勝手にやっててくれればいいのに。


 ……まぁ、自分も今回何人も巻き込んでの計画だから、あんまり人のこと言えないんだけど。


「姉さん??」


 何の気なしに吐きだしてしまった嘆息に、パーシヴァルが反応する。


「もしかして、まだ昨日の疲れが残っているんじゃ」

「いいえ、だいじょう……」

「えぇ……?!そんなっ!」


 背後で突然、レッドグレイヴ夫人珍しく声を張り上げた。


「あら、どうかされたのかしら、ルシンダさん」

「僕が様子を見に行きましょうか??」

「その必要はありませんよ」


 音もなく背後から急に現れたルードに、パーシヴァルとふたりで小さく悲鳴を上げる。どうしていつも心臓に悪い登場の仕方をするのよ!


「げ、おま……、ルードラさん、何か用ですか??」

「用がなければ、君のお姉さんに話しかけてはいけない決まりでも??」

「あぁ、そうとも……、ぐっ」


 パーシヴァルをいちいち煽らないで!

 弟の口元を片手で押さえつけ、引き攣った顔で応える。


「弟が申し訳ありません、Mr.デクスターJr.なにか御用でしょうか??」

「いえ、さっきひ……」

「レッドグレイヴさんの悲鳴の理由さっさと教えてもらえますか??」

「パーシー!!」


 好戦的なパーシヴァルなど歯牙にもかけず、淡々とルードは続けた。


「レッドグレイヴ夫人のご友人五名の内四名が試合に出られなくなったそうですよ」


 詳しい理由は知らないですけど、と、心底どうでもよさげなルードを無視、ナオミは夫人を中心とした輪の中へ入っていった。








※実際のクリケットの試合での服装規定は白いポロシャツと白いズボン(またはスカート)ですが、本作では服装規定なしという設定にしてます。(作者の男装女子好きな性癖)

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