第8話 押し倒される前に押し返せ

 古い壁時計が十時半を指した。

 室内の明かりは普段よりも明るく、壁に固定させたガスランプのみならず、ベッドサイドのカンテラまで煌々と輝いている。

 そろそろ就寝準備を始める頃だが、ナオミは針を動かす手を止めない。


 花嫁衣装を思わせるシルクオーガンジーの小さなドレスに、慎重に丁寧に、でも手早く一針一針糸を通していく。

 教え子の一人、厳密に言えば教え子の母親に押しつけられた人形用のドレスを黙々と縫う。ただでさえ繊細な生地に加え、物が小さい分縫い目も細かい。中々に骨の折れる作業だが、存外縫物も細かい作業も嫌いじゃない。どちらかと言えば得意な方だし、集中できるので無心になれる。


「そんなに根詰めてると肩が凝るわよ??」


 急に頭上から降ってきた声にびくぅっ!と肩が大きく跳ねる。


「……びっくりした」

「……割に、反応はそこまでよねぇ」


 本当にびっくりしたの??と、ナオミと同じく寝間着姿に下ろし髪のレッドグレイヴ夫人は苦笑する。


「おとなり、よろしい??」

「えぇ、どうぞ」


 適当なところでこま結びで糸を止め、糸切はさみで断ち切る。小さなドレスはサイドテーブルへ。寝台の端に寄ったナオミの隣に座った夫人に向き直れば、大きめのカップを差し出された。両手で抱え込んだカップの中身は温かいココアだった。


 この国の裕福な中流以上の家では最低一人は使用人を雇う。

 レッドグレイヴ夫人も例に漏れず、一切の家事を任せる家政婦を雇っているが、通いだし夜食の作り置きを作ったら夕方には帰宅してしまう。

 なので、目の前に差し出された温かい飲み物はわざわざ夫人手ずから作った物。


「ありがとうございます」

「いいのいいの!今日はいつもより疲れてるでしょ??」


 否定とも肯定ともつかない微妙な笑みでごまかす。


「疲れてるときにまで頑張って繕い物までしなくてもいいのに……。生徒のお母様に押し付けられた物じゃないの??」

「まぁ、そうですけど……、実は」


 聞き咎める者なんていないが、わざと声を落とし、ひそひそと囁く。


「生徒からは『お母様が作ったのよりガーランド先生が作ったお人形の服の方が丈夫で糸もほつれたりしないし、意匠もお洒落』って。まぁ、私に縫わせるために母親から吹き込まれているかもしれませんけど」

「そこは素直に受け取っておきなさいな。にしても、よくこんな小さなお洋服のギャザーを手で細かくきれいに縫えるわね。私なら諦めてミシンで縫うのに……、本当に手先が器用だわ」


 製作途中の人形用ドレスを手に取ると、レッドグレイヴ夫人は感嘆の声を上げる。

 手先の器用さは母方の血筋だろう。そう思うと素直に喜べないが、今は黙っておく。

 ココアから立ち上る湯気が掻き消え、ふわふわ浮かぶマシュマロもしおしお萎んでいく気がしたので、慌てて一口含む。


 ほろ苦さの中のほんのりとした甘さに一日の疲れが癒されていく。

 ひと口飲むごとに解けていく心のままに、ナオミは実家でのイヴリンとの話を夫人に打ち明けた──



「ありえなさすぎる」


 楚々とした笑顔、優しげな声音なのに背筋に怖気が走った。


 寄宿学校時代、教師の目を盗んでは寮生たちと就寝時間中こっそりと枕を並べ、ひそひそおしゃべりした。

 最も、その友人たちとは卒業後の関係は自然と途絶えてしまったので、レッドグレイヴ夫人と夜のお喋りに興じるのは少女時代を思い出し、いつもなら楽しい、楽しいのだが──、今夜は恐ろしい。が、相談をもちかけたのは当のナオミである。


「ナオミさん」

「え、えぇ……」

「ナオミさんが断固拒絶してるのに勝手に外堀埋めだすのもありえない。ガーランドの旦那様ではなく奥様が積極的に話を進めようとするのもありえない。ナオミさんの独身年金をご自分の懐にしまいこんでるのに」

「いえ、あれは家を出る条件で差し出しているだけで私は別に」

「どちらにせよ、おふたりともナオミさんの気持ちを蔑ろにし過ぎなのです。奥様はああいう方だから一万歩程譲ってある意味仕方ないと諦めますけど、デクスターJr.は本当にありえません」

「ルシンダさん落ち着いてください。息継ぎせずに長く喋ると苦しくなります」

「これが落ち着いていられますか。私、女性の気持ちを一切無視して蔑ろにする男性許せないんです」


 男なら見惚れそうな美しい笑顔の下は相当荒ぶっている。


「いえ、デクスターJr.には私、不信感しかありません。だって彼、嘘つきですから」

「嘘つき??」

「えぇ、だって……」


 ここでレッドグレイヴ夫人は言葉を切り、気を落ち着かせるべく呼吸を整えると。

 ナオミをちらと一瞥し、躊躇いがちに口を開いた。


「ナオミさん、私、言おうか言わないでおこうか、ずっと迷っていたことがあるのです」

「え、えぇ」


 余程言い出し辛いのか、夫人はちらちらとナオミの様子を窺うばかりで話を中々切り出せないでいる。


「もしかして、彼がインダス人との混血という話、ですか??」

「いえ、違います。貴女は人種を問題にする方じゃありませんもの」

「では他になにか??」


 夫人は再び口を閉ざした。

 イヴリンと違って勿体ぶっている訳じゃない。本当に迷っているのだろう。

 とはいえ、一度言いかけたのなら最後まで言って欲しい。

 焦れたナオミが続きを促そうとしたとき、夫人の口が遠慮がちに開いた。


「デクスター父子は揃って社交界きっての遊び人プレイボーイで名を馳せているの」

「クインシー様はまぁ……でしょうね。セイラさんを養女に迎えたきっかけからして。で、彼もなの??」

「えぇ。本当よ??私のお友達もデクスターJr.に何人も泣かされたのですから!なのに、ずっと貴女ナオミを探し続けていました!前世恋人だった運命の人!なんて熱く語られても……、私は信じられないの」

「……それだわ……」

「え??」


 興奮治まらぬレッドグレイヴ夫人とは反対に、ナオミは至極冷静だった。


 始めからおかしいと思っていた。否、あれは誰もがおかしいと思うだろうけど。


 ルードの出自から察するに、彼とは火遊び程度ならともかく真剣交際、ましてや結婚を望む女性は限りなく少数。仮に真剣だとしても女性側の親族が許さない。だから彼自身も火遊び程度でしか女性と関わらないのだろう。


 しかし、ナオミと同年代、二十半ばから後半に差し掛かる年頃になれば、そろそろ結婚を真剣に考えなければならない。と、なると──、ナオミは家や会社同士の結びつきにも有益な上、似たような出自で引け目を感じなくてもいい、まさに結婚相手にうってつけの存在。


 あの夜会のときは気まぐれにナオミをからかってみただけだったとしても、後日、それが有益な相手と判明したなら──??


「うわ、きもちわるっ……」


 嫌悪感が一気に膨れ上がる。

 足元を見てくるだけじゃない。更に傷の舐め合いまで求めてきそうだ。前世の話までついて。


「ナオミさん、いい考えがあるの」

「ルシンダさん」

「ちょっと、いいえ、だいぶ意地悪な方法だけど……」


 困った表情とは裏腹に、夫人が口にした内容にナオミも少なからず腰を引いた。が、このくらいしないとルードは諦めてくれないかもしれない、と開き直りそうにもなっていた。

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