第7話 先手必勝……、させてなるものか!


「まぁまぁ、折角美味しい紅茶とケーキを準備したのよ??たまにはゆーっくりお話しましょう??」

「お義母様、申し訳ありませんが、お話は手短に」

「あらあら、せっかちな女性は殿方に嫌われますわよ??」


 イヴリンの口調はふわふわと掴み所がない。ゆるく編み込んだ明るい栗毛、甘い顔立ちも相まって全体的に幼く見える。とても五十路近い婦人には見えない。


 イヴリンはゆったりと歩き出し、温室の中央、白大理石の丸テーブルへナオミを手招く。これは話が長くなりそうだ。渋々呼ばれるまま着席する。


 卓上にはバタークリームとブルーベリージャムを挟んだヴィクトリアンサンドウィッチ。ふわふわの三角スポンジの表面には潰した胡桃と粉砂糖をまぶしたケーキはナオミの好物だが、食欲はまったくそそられない。

 端で控えていた執事が注ぐ紅茶の香りに覚えがある、ような。


「この紅茶は新商品ですって。デクスター商会の」


 合点がいった。

 落木事故の翌朝飲んだ物だ。


「うふふ、まだ市場に出回ってないのだけどね。特別に頂けたのよ」

「そうですか。Mr.デクスターとお父様は旧知の間柄ですものね」


 やたら勿体ぶった言い方にイライラ。気を鎮めるべく紅茶を一口啜る。

 あの朝は美味しく感じられた一杯。味自体は変わらない筈なのに、今はただただ渋くて苦いばかり。


「ふふ、デクスターでも当主のクインシー様じゃないの。ご子息のルードラ様の方」


 カチャン!

 カップを落としかけ──、落とす寸前、慌ててソーサーへ置き直す。

 焦りで雑に置いたせいで、紅茶は零れ、カップを伝い、ソーサーに赤い水たまりができる。


「実はね……、ご子息のルードラ様が今朝屋敷にいらしてね。あなたを妻に娶りたい、と

 お願いされたのよ……、あらあら、どうなさったの??」


 身の内から沸き起こる怒りで震えが止まらない。しかし、ナオミの心中などおかまいなしに、イヴリンは二杯目の紅茶を執事に用意させていた。


「お気に召さない??いいじゃないの。両家の結びつきも深くなるし、あちらが紅茶なら我が家はコーヒー、事業協賛のいい機会になるかもしれない。もちろん家のためだけじゃない、貴女にとっても。こう言っては何だけど、ルードラ様なら貴女とが似ていらっしゃるし、理解し合える部分があると思うの。そういう意味でも二度とない申し出じゃないかしら??」

「……境遇、とは??」

「あらあら、ご存じなかったの!皆様周知の事実ですのに??」


 貴女の言う『皆様』の人数なんて数名のご友人だけでしょうに!

 あたかも自分達が世間一般の代表意見のように語らないでほしい。


 などと言えたら、さぞかし気持ちいいだろう。でも言わない。気持ちいいのは一瞬で終わる、情報を得る方がはるかに大事だ。


「えぇ……、私は社交界と縁が薄いですから」


 あえて殊勝な態度を取ってみせれば、イヴリンは執事に一旦下がるよう指示した。

 執事の姿が温室から消えたのを確認し、出来の悪い子供を宥める口振りでナオミに語る。


「彼はね……、かつてクインシー様が植民地インダスに駐屯中、現地の女に産ませた子供なの」

「……だから、私と立場が似ている、と」

「驚かないのねぇ??」

「えぇ、まぁ」


 彼の異国情緒漂う容貌を知るだけに、驚きより納得が勝る。だが、口にすると事態がより複雑になりそうなので黙っておく。


「貴女にとってこれ以上ないお相手でしょう??」


 何が楽しいのか、イヴリンは歌うように高らかに語り続ける。

 義理の娘を案じるように見せかけて、ひしひしと伝わってくる。


『同じ穴の狢同士仲良くすれば??』


「貴女が独身でいたいのは、生みのお母様の血筋を大変恥じ入ってるからでしょ??長年鎖国状態だった東の島国出身ですものね。貴女自身は何も問題なくても、この国じゃあとてつもなく生き辛いし」

「……否定はしません」

「でもね、私みたいにとしてなら受け入れてくれる方だっているでしょう??」

「お義母様が稀な方なだけですよ」


 求めているだろう言葉を、感情を込めず伝えてやるとイヴリンは満足げに微笑む。


 卑しい東方人の実母に捨てられた混血児ナオミを差別せず、実子義弟と分け隔てなく接してあげた。今だって対等に話してあげている。

 ナオミの血筋はガーランド家公然の秘密とし、あくまで(ナオミが幼き日々を過ごした)あの国から引き取った養女だと主張してあげている。


 また始まった。でももう慣れた。

 機械的に満足する言葉を与えてやるのが一番いいのもわかってる。

 イヴリンが父の後妻に納まれたのだって幼いナオミに近づき、散々ダシにしたからだし、むしろ自分に対して感謝すべきだと思う自分も自分なので、まぁ、お互い様か。


「でも、きっとルードラ様は貴女の言うところの『稀な方』だと思うのです」

「さぁ、それはどうでしょうか」

「きっとそう!ねぇ、一度両家を交えてお会いしてみるといいわ!いいえ、絶対するべきです!!お父様とも相談するから、貴女もちゃんと考えておきなさい。いいわね??」


『貴女に拒否権はない』


 言外に滲ませ、拒絶する隙を与えないのがイヴリンのやり口。

 これもまた始まったと諦めるしかない。帰国早々、幼いナオミの女子寄宿学校入学を決めたのも父ではなくこの人だったし。(寄宿学校での生活は厳しくも別に苦でもなかったが)


 でも、今のナオミは親に言われるがまま従うしかない子どもじゃない。

 結婚話が持ち上がったのは今回が初めてではないし、その度に上手く断り、躱し続けてきた。今回だっていつも通り上手く……、上手く、上手く……、行く、か??


 ルードの並々ならぬ自分への執着を思い返すと、少し、自信がない、かもしれない。

 勢いだけで迫ってきたなら何とでもなるが、押してもダメなら早速外堀を埋めにかかる周到な相手だ。

 それに──、できれば、デクスター家の仕事を失いたくない。

 当主クインシー子息ルードはどうでもいいとして、セイラの教育を途中放棄したくないからだ。


「ルシンダさんなら何か知ってるかしら……」


 二杯目の紅茶をさっさと飲み(急いで飲んだので味どころではなかった)、灯りが灯り始めた豪邸群を背にとぼとぼと歩きながら、ひとり零す。


 イヴリンの比ではない社交家かつ確かな情報通の彼女なら、求婚を断る口実になりそうなネタを知っているかもしれない。

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