第5話 貴重な理解者
(1)
「姫、本当は気分が悪いのでは……」
「イイエ??チットモ??」
向かいの席から気遣わしげな呼びかけに、わざとらしくにっこりと微笑む。
自分はあまり愛想がないという自覚はある。さぞかし不自然な作り笑顔だろう。こころなしか頬や口元が突っ張るような。
昨日の今日でまた、前世がうんたらかんたら……と語り始めたら、『やっぱり気分が悪くなってきたので少し黙っていて欲しい』と言ってやろう。あぁ、でも、調子が悪いと受け取られて、デクスターの屋敷へ逆戻りするかもしれない。
だったら、我慢して妄言を聞くべきか……。
げんなりと座席に深く凭れる。幸いにもルードはそれっきり口を閉ざし、車内は静寂に包まれた。
沈黙自体は気まずい筈なのに不思議と心地良く感じられる。
「下宿先に到着するまで寝ていてもいいですよ」
知らず知らずのうちに、うとうとしてしまっていたらしい。
身分ある男性、しかも雇用主(の家族)を目の前に何たる失態!
「大変無礼な真似を……、申し訳ございません!」
慌てて頭を深く垂れる。顔から火が出そうだ。
「謝る必要などまったくありません。顔を上げてください。まだお疲れなのでしょう」
「ですが」
「馬車での居眠りくらいなんだって言うんですか??そんなことでいちいち咎めるほど狭量じゃありません。突然の事故で身体も本調子じゃないかもしれないし、一晩限りとはいえ慣れない場所での寝起き。僕だって少なからず疲れます」
相変わらず素っ気ない口調だが、冷淡さはまったく感じない。
「ありがとうございます」
「礼を言われる程でもないです。そもそも貴女は高貴で誇り高い姫だったのですから些末事など気にせず、堂々と寝ていてください。ここにいるのは貴女と僕の二人だけですし」
一瞬でも見直しかけた自分が馬鹿みたい。
眠気は当然吹き飛んだが、くだらない会話は続けたくないため、しかめっ面で固く目を瞑る。顔は窓の方向へ。
さっきと違って完全なる寝たふりだが、ルードも再び話すのを止めてしまった。
馬車は高級住宅地を抜け、下町へと近づきつつある。
やがて赤煉瓦に白サッシの大きな格子窓、階層や細かな造形の違いはあれど、うんざりする程ありふれた外観のアパートの前で馬車は止まった。
ルードは先に馬車を降りるとナオミの降車を手伝うため、彼女の手を引く。
本当は嫌で嫌で堪らないが、最低限の礼儀を欠いてはならない。顔をそれとなく背けながら手を差し出し、馬車を降りる。
案の定ルードはナオミの手を離さない。横目で訴えかけても、さりげなく振り払おうとしても離さない。
「あの」
『困ります。離していただけますか』
はっきり口にしかけたとき、御者がドアノッカーを叩いた。
まずい。この状態を、彼女に見られでもしたら。
「あの、困りま」
「はい」
一人の女性が扉から顔を覗かせた。
(2)
「あの方が例の、様子のおかしい宵闇の君なのね??」
「ルシンダさん、様子がおかしいって言うのはさすがに……」
「じゃあ、変質者まがいの宵闇の君??」
「益々酷くなってない?!」
「初対面早々、名前も知らないお相手に『前世、貴女は姫騎士で自分は恋人でした。だから結婚しましょう』だなんて。どんなにお顔がよろしくてもだいぶ気持ち悪いですもの」
馬車が去り、車輪が転がる音、蹄が石畳の上を駆ける音が完全に消え去ったあと、ナオミの下宿先の女主人ルシンダ・レッドグレイヴ夫人はまったりと微笑んでみせた。
夫人はいつでも笑顔を絶やさない。後ろで緩く編み込んだダークブロンドの髪、薄茶の瞳、バラ色の頬という容姿に加え、淡い色のドレスや繊細なレースがよく似合う。物腰も大変柔らかく、それでいて男性と対等に渡り合える。
楚々とした雰囲気に騙され侮ると大抵の男性はしてやられてしまう。
先程もそう。
『わざわざ馬車で送り届けていただきありがとうございます。ですが、ガーランドさんの、厳格で貞淑な
夫人はにこやかに礼を述べつつ、ナオミの手を離さないルードの手元をちら、と一瞥した。
夫人はあくまで嫋やかな笑顔を湛えていた。しかし、笑顔だからこそ得体の知れない怖さが増す。結果、ルードも恐縮し、あっさり手を離してくれた。
「……怒ってますか??」
「当然。ナオミさんが樹から落っこちて頭打って、下手すれば大事に至ったかもしれないのよ??なのに、明らかに嫌がられてるってわかってて尚、強引に馬車に同乗するなんて。嫌な相手と密室でふたりきりなんて最悪。私だったら耐えられない!ナオミさんに余計な心労かけて、具合が悪くなったらどうしてくれるのかしら。あぁ、嫌、嫌ねぇ。少しでも疲れが解れるよう、ハーブのお茶でも用意しますわね。居間でお待ちになってて」
夫人の怒涛の毒舌に閉口しつつ、居間の長椅子に腰かけ、よりかかり、天井を仰ぐ。
淡いクリーム色を貴重とした壁紙、薄茶で統一された家具調度品、薄緑の絨毯は品良く目にも優しく、いつもならホッとさせられるのに。
頭痛はなくなったが、頭痛の種がこれからつきまとうと思うと気が重い。
「よっぽど疲れてるのねぇ」
ローテーブルに置いた二人分のティーカップにハーブティーを注ぎながら、夫人はナオミを気遣う。銀製のティーポットから湯気と共にふわり、かすかな林檎の香りが漂う。
「疲れたときのカモミールティー。香りに癒されるでしょう??」
香りにつられカップに手を伸ばす。ひと口含み、ようやく一息。
「ねぇ、ナオミさん。彼がどうしても嫌ならデクスター家のお仕事は断ったら……」
向かいの長椅子に座るやいなや、レッドグレイヴ夫人はカップに手をつけず、改まった顔で問うてくる。
「それはしたくない。仕事は仕事」
「でも、デクスター家以外の仕事もいくつも請け負っているじゃない。断ったとしてもそんなに痛手にならないんじゃ」
「
レッドグレイヴ夫人が納得の声を上げる。
ナオミはその声に反応せず、黙ってカモミールティーを啜る。
ナオミがセイラを気にするのは、立場はまったく違えど自分と重なる部分を感じるから。
今はまだいい。守ってくれる家族がいる。
けれど、いつかは大人になる。子供のままじゃいられない。
大人になったあとまでクインシーやルードが彼女の体裁を守れるか。守れたとして一生保たれるわけじゃない。
自然と胸の前に降りてきた髪を背中へ払いのける。
いつもはきつめのシニヨンにしているが、今日は上半分だけ結い、下半分は下ろしている。デクスターの使用人に任せたらこうされてしまった。
癖がなく、黒に近いブルネットの髪は羨ましがられることが多いが、ナオミはあまり好きではない。
他の外見的特徴──、例えば青灰の瞳、ミルク色の肌、はっきりした目鼻立ち、すらりと長い手足はこの国の人間同様なだけに、髪のせいで自分に異国の血が流れていることを嫌でも思い知らされるのだ。
別に流れる血を蔑んではいない。
同じ国の人間の中でさえ階級間での差別が激しいこの国で、自分が恙なく暮らすには出自を他人に一生知られるわけにはいかない。だから。
働けるうちにこつこつ働き、余生はあの国の田舎でのんびり一人で暮らす。
自分だけの家庭菜園作ったり、近所の子供たちに読み書き計算教えたり。
小説か随筆でも書いて小金を稼いでみるのもいい。
「とにかく!私は私の平穏が守られている内はデクスター家の仕事は辞めないから」
「貴女がいいならいいけど……、でも、いらない我慢はしないでね??」
「えぇ、ありがとう」
はにかんで答えるナオミに、レッドグレイヴ夫人も笑顔で応えたが、一方で物言いたげでもあった。
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