一章

第4話 些細な気づき

(1)



「何だ??Missガールとルードはすでに知り合いなのかね??」

「いいえ、知り合いなんて浅い関係じゃありません」


 ほう、とクインシーの目に好奇心が宿る。


「いえ、ただの知り合い……」

「姫、あの夜会の時と同じことをもう一度言います!僕と結婚してください!!今度こそ姫を守り抜きます!!」

「お断りしますっ!!!!」


 さっきまでの褪めた表情はどこへいった??

 父親のより深い、深い森みたいな目をきらきらさせないで??

 あんまりにもきらきらさせるせいで、彼の虹彩の色が黒ではなく実は黒に近い暗緑だと気づいてしまった。物凄くどうでもいいことに。

 ついでにクインシーも負けじと息子より淡い緑の目をきらきらさせている。面白がっているのが見え見えで腹立たしいこと極まりない。


「なぜなら姫と僕は前せ……」

「わ、私、帰らせていただきますわ!」


 堪りかねてついに叫ぶ。

 ああぁぁ、頭痛いし気持ち悪い!!

 早く帰らせてよ!!


「姫っ?!」


 だから、姫じゃ──


 叫び返したかったけれど、叶わなかった。

 叫べば全身に力が入る。頭痛と眩暈に拍車がかかり、気分の悪さが最高潮に達した。


「ルード。戯れはその辺にしておきなさい」


 無意識でよろけたナオミを咄嗟に片手で支えると、クインシーは静かに、それでいて厳しい声音で息子を叱責した。

 我に返ったルードは慌ててナオミに手を差し出そうとしたものの、クインシーは目線で厳しく制す。

 ルードの頬が一瞬強張る。が、父に従い、おとなしく引き下がった。


「やはり、もう少し休んだほうがいいでしょう。様子見も兼ねて今夜はこの屋敷に泊まるべきかもしれません」


 ついさっきまで目尻に涙を浮かべ、面白がっていたくせに。

 即座にデクスター家当主の顔に戻るクィンシーの切り替えの速さはさすがというべきか。もしくは元将校という出自ゆえか。単に年の功か。


「せんせー、今日お泊まりして!ね??」


 クインシーに片腕で抱き上げられたセイラが、同じ高さの目線から心配げに覗き込んでくる。男二人はともかく、幼い教え子にこれ以上心配かけたくない。


「……わかりました」


 大袈裟でなくよろよろと口元を押さえると、遂に観念したナオミは首を縦に振った。









(2)


 屍が広大な平原一面に山と積み重なり、血と死臭が土埃に混ざり風に流れてくる。

 分厚い鎧に覆われていてさえ感じる臭い以上に、眼前に拡がる惨状への痛ましさに顔を顰めた。

 顔は兜で隠れているから誰にも悟られない。しかし、自分の隣、馬首を並べる男だけは違う。違うと分かっているから、さりげなく肩に手を置かれてもあえて返事はしない。


 私としたことが不甲斐ない。私は一瞬たりとも弱気を見せてはならないのに。


 剣を抜き、高く掲げる。

 胸を張り、声を張り、自軍の兵士を鼓舞する。

 誰よりも速く馬を駆け、先陣を切る。


 私は命果てるまで剣を振るう。

 私のすぐ後、寄り添うように馬を走らせる騎士の鎧の下は……、どんな顔をしていたか。夢の世界でも思い出せなかった──









 くだらない妄言を二度も聞かされたせいで、あんな夢を見てしまった。しかも夢にしては目に映る光景はいやに生々しく鮮明だった。


 焦土に転がる兵士の屍の目を覆いたくなる無残さ。現実じゃ体験し得ない、むせ返る血と腐敗臭。


 寝覚めの気分は最悪だし、ベッドの上での朝食フル・ブレックファストもあまり喉を通らない。

 ブラックプティングの黒は焼け焦げた人体、ベイクドビーンズのソースは血を、スクエアソーセージやハム類は……、想像なんてしたくないのに。折角のメインディッシュが台無しだ。

 不本意ながらデクスター家に泊まる羽目に陥った中、唯一ひそかに朝食だけは楽しみにしていたのに。


 人目がないのをいいことに食に意識を向けられるということは、頭痛もめまいもひと晩で治った証拠。それだけは唯一の救い。

 もし今朝もまだ痛みなどを引きずっていたら……、異常なしの確証得るまでクインシーは帰らせてくれないだろう。それは非常に困る。


 ナオミを雇う家はデクスター家だけじゃない。セイラ以外の教え子を何人も抱えている。デクスター家以外の仕事に穴を空けたくない。


 独身の中流ミドル階級以上の女性がレディの体面も失わず就労できる仕事は家庭教師くらいだ。

 個々の家にもよるが決して給金は高くないし、需要に反して供給過多。


 ナオミにはささやかな夢がある。

 その夢を叶えるためには今の内に仕事を頑張っておきたい。


 クインシーからはデクスター家専属の住み込み教師に、と度々望まれている。が、給金面はともかく一つの家に縛られることをナオミは望まない。今回の事故の責任を口実に、住み込み教師にさせられるのだけは避けたい。


 夢の影響による嫌な想像を振り払う努力をしながら、朝食をすべて平らげる。

 隅に控えていたメイドが食後の紅茶を用意しに一旦部屋から去っていく。


「紅茶をお持ちしました」

「ありがとう」


 白地に淡い色の花模様を散りばめたカップに、鮮やかな紅色が湯気を上らせ満たしていく。


「寝起きにいただいた寝覚めの紅茶アーリー・モーニングティーと今飲んだ紅茶、銘柄違うのかしら」

「はい。この紅茶はアッセンとサイロン、キーマンなどのブレンドティーです」

「香りも味もちょっと渋みがあるけど、その渋みが味を引き締めてて美味しいわね。デクスター商会の自社商品なの??」

「はい、新商品だそうです」


 クインシーは退役後、この国の植民地インダスでの紅茶栽培と販促事業で成功を収めていた。また、現地で働くインダスの人々を決して奴隷扱いせず、真っ当な条件下で就労させているとの噂も耳にする。否、真実なのではとナオミは信じている。


 カップに口をつけながら、メイドをさりげなく盗み見る。

 彼女の肌は浅黒く、髪も目も黒い。顔の彫り、特に眼の周りの彫りも深く、明らかにこの国の者ではない容姿をしていた。

 ナオミより年下であろう(もしかしてまだ十代かもしれない)異国人の彼女は、この国の言葉で流暢に話し、明快にナオミの問いに答えてくれた。本人の地頭がいいのかもしれないが、使用人教育の賜物であり、彼の屋敷での采配の上手さを表してもいる。


 そう言えば、この屋敷の使用人は彼女と似たような異国人が多いような気がしてきた。とはいえ、ナオミはそれ以上の興味関心を持つ気はなかった。


 だから朝食と身支度を終えると、理由をつけて引き止めようとするクインシーにスパン!と断りを入れ──、たにも拘らず、現在ナオミは二頭引きの箱馬車の中にいた。


 あんなに!自力で帰ると!言ったのにっ!!


 小さく肩で息をつく。が、すぐに後悔することになった。

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