あの時読んでいた本を未だに僕は憶えているだろうか

宮古 宗

第1話 吾輩は猫である

 吾輩は猫である。名前はまだない。


 個人的に、最も日本人が書き出しの一節を答えられる小説は夏目漱石の『吾輩は猫である』だと思っている。自分も含めて多くの日本人がいつ憶えたかさへ忘れて、いつの間にか暗唱できるようになっているのではないだろうか。一方で「じゃあ結末は?」と聞かれて答えられる日本人はどれほどいるだろうか。恐らく多くないのではないだろうかと思う。そして恥ずかしながら、自分もこの前まではその答えられない日本人の一人であった。冒頭が有名すぎるあまりまるで小説の内容を知っているように錯覚してしまうが、自分は一度も最初から最後まで『吾輩は猫である』を読んだことがなかった。


 読書好きではあるが読書家ではない。

 ハリーポッターやここ10年ほどで話題になった小説は読んでいるが、近代日本文学はほとんど読んだことがないというコンプレックスを持っている。そういうわけで2年ほど前から自分が手を出してこなかった、良き日本文学というものに挑戦してみている。まずは父親世代がハマった『竜馬がゆく』を読んでみた。自分が思っている以上に興奮が詰まっており、大事を成すことへのロマンが感じられ夢中に読み切った。この経験から多くの人が良いと言っているものは一度試して、自分がどのように感じるか確認することも大切だという前向きな気持ちになった。

 

 では、次はどうしようかと悩み書店を彷徨っているとたまたま夏目漱石の特集をした棚を見つけた。あれ、自分は夏目漱石の小説ってしっかりと読んだことあったっけと頭を巡らせて実家の本棚も思い出したが一冊も持っている気がしない。いざ夏目漱石の小説を読もうと決め何冊か手に取り数ページ確認しながら、結局最も厚みがあり読み応えがありそうな『吾輩は猫である』を選んだ。もしこの時の自分にアドバイスするのであれば、『吾輩は猫である』は相当読み応えがあるぞ、読み切るのに大体2ヶ月弱かかるぞ、と言ってやりたい。そのぐらい読むのが大変だった。


 何が大変かというと普段使わない言葉・漢字の連続で全く行が進まなかった。最初の頃はほとんど見開き2ページを読むのだけで疲れてしまい、まとまったページを読み進められるようになったのは読み始めて2ヶ月に近づいたあたりである。面白いことに最初読みにくいと感じていた時は猫が描写する文章が特段面白いと思えなかったのが、慣れてくるとよくこんな観点を持てるな、よくこんなに皮肉に書けるなと感心できるぐらいにのめり込むことができるようになった。


 特に小説内で面白さを感じられたのが、苦沙弥先生とその他の個性的な登場人物が大したことのない雑談の中でそれぞれが徐に自分の意見を主張するという場面が多く書かれていることだ。なぜそこに面白さを感じたかというと、自分もに学生の頃特に高校で寮生活をしていた時は友人たちと同じようにくだらないテーマ(主に将来や色恋関係)でああでもない、こうでもないと盛り上がっていたことを思い出したからだ。自分も苦沙弥先生たちと同じように、まるで自分の主張が正しいかのように友人と熱弁する。そしてその様子を端からみるとなぜお前たちがそんなことを偉そうに言っているのだ、そんな立場の人間かとツッコミを入れたくなるところまでが形式美となっている。今になって思い返してみると滑稽だと感じる自分がまさに小説内の猫である。そう議論している姿は滑稽なんだ。でも議論している間は本人たちは全く気づかない。自分が偉大なことをしていると信じ切っている。


 元々友人が多くなくかつ連絡をマメに取るわけではない自分ではあるが、『吾輩は猫である』を読んで大人になっても滑稽だと気づかずに主張しあえる瞬間というのが急に恋しく感じられた。今はまだまだ油断できない時世ではあるが、少し緊張を緩められる時が来たらかつての友人を誘いたいと珍しく強く思っている最近です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの時読んでいた本を未だに僕は憶えているだろうか 宮古 宗 @miyako_shu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ