第17話 京子
もうすぐ年の瀬という頃、一通の手紙が届いた。
差出人は『佐々木京子(旧姓・丸田)』とあった。
(……組織の人間でもちゃんと夫の方の姓に合わせるんだな)
橋本が最初に気になったのはなぜかそんな事だった。
当然京子のことはずっと気にかかっていた。「もう組織の時に関わった人間だし過去のことだ」と気にしていないフリをずっとしていたが、事あるごとに思い出しては自分が過去を全然振り切れていないような気がして落ち込むこともあった。
だが今さら彼女の方から手紙などという古臭い手段を使って連絡してくるなど、どういうつもりだろうか?結婚式の写真でも送られてきたのだろうか?と思ったが中には便箋が三枚入っているだけだった。
「こんにちは、元気ですか?私は結婚してもうすぐ一年になります。とても幸せです。一年経ち結婚生活に対する新鮮さも薄れてきて退屈さを感じることもあるし、夫は外面は良いけど私に対してはわがままで子供っぽい面もあって苛立つこともありますが、それでも安定した生活があることは幸せです。和郎君と会ったのは私が結婚する少し前だったね。組織を辞めた人はそれまでの生活に対する反動みたいに弾けちゃう人が多いけど、和郎君は高校生の頃とあんまり変わってなくて、会った時に安心したのを覚えているよ。和郎君とは昔からの組織の仲間とはいえ今は世の人だから、本当は会うべきじゃない…それも二人だけでなんて…って警戒心を少しは持ってたんだけどそれも会った瞬間に昔に戻ったみたいな気がした。だから私も口が軽くなっちゃったのかもしれない。和郎君にあそこまで踏み込んだことを言わせてしまったのは私にも責任があると思う。『一緒に東京に行こう』って言ってくれたこと、あの場では反射的に断ったけどあれから何度も考えたよ。もし本当にそうなっていたらどうだっただろう?って……。新しい住まい、新しい仕事、東京に出たら何もかも新鮮に感じて生まれ変わったようになるのかな?柵なんか全部無視して新しい生活に飛び込むのもアリかもしれない、って思ったよ。……でも何度考えても実際そう行動する気にはなれなかった。……まあ一番大きな原因は和郎君君の頼りなさだよ!君に付いていって幸せが有るとは到底思えなかった!……なんてね(笑) でもやっぱり私は年老いた母親を悲しませることは出来なかった。だってずっとその為に生きてきたんだもの。和郎君も知っての通り、ウチは幼い頃に父親を亡くしてから母親とずっと二人で生きてきた。母親は本当にどんな時もずっと私の為に尽くしてくれた。今さらそれを裏切ることは出来ない。『組織は辞めて本当の人生を生きよう。』って和郎君言ったよね?和郎君もだし、弘毅君もそうだけど……もしかしたら男の人はそういう傾向が強いのかもしれないけど、真実かそうじゃないか?のどちらかしか答えを許さないような気がするんだ。私も、神が本当に存在するのか?楽園は本当に来るのか?疑問に思うことは有るよ。でも本当はそれが無かったとしても私たちはそれを信じることで現に幸せになっているんだよ。真実を求めて外の世界に飛び出して…それで和郎君は幸せになったのかな?私は君を見ているとそうは見えない。もちろん価値観は人それぞれだから否定するつもりもないし、否定されたくもない……ってだけかな。とにかく私は愛する夫と共に生きて、母親の穏やかな笑顔を見られている日々がとても幸せだよ。あ、そういえば私のお腹には新しい命が宿っています。夏の初めくらいには産まれてくる予定です。和郎君が今私のことをどれくらい大事に思ってくれているかは分からないけど、私にとって和郎君はかけがえのない幼馴染みであることに変わりはありません。どれだけ距離が空いたって、会わない時間が長くなったって、私はずっと貴方のことを大事に思っているよ」
橋本は手紙を何度も読み返した。何度読み返しても自分の感情をどう持っていけば良いのか分からなかった。ただ彼女が本音を語ってくれていることは伝わってきたし、それがとても嬉しかった。
あの日彼女と別れた時から彼女はとても遠い存在のように感じていた。自分が否定した組織の教えを今も続けている彼女は、自分とは根本的に異なる存在だと分かっていた。
でも、組織の教えを時には疑問に思いながら続けている彼女とは、何を重要視して行動するかという部分が違うだけで、根本の精神の部分では自分とほとんど同じなのではないか?という気もした。
だけど彼女の立場を擁護することは出来なかった。真実は嘘よりも価値があると思うからだ。真実が幸福よりも絶対に優先されるべきものなのか橋本は確信が持てなかったが、少なくとも京子の現在の嘘で塗り固めたささやかな幸せよりは価値があると思った。彼女は現状のささやかな幸せを守るために教義の真実性を基準にして行動することはしない……ということだ。それは正しくないと橋本は思う。
そういえば『真実を求め続けなさい』というのが聖書の立場でもあったようはずだ。もしその言葉が橋本の行動原理になっているならば中々面白い。思い返してみても、何か他の要素から真実を強く求める気持ちが産まれたとは考えにくかった。とすれば聖書の教えに忠実に真実を求め続けたが故にその教えから離れることになったのだ。
(……あれ?ってことは結局『三つ子の魂百までも』じゃねえか?どんなに生きる場所を変えて人間関係を変えても、俺は変われないのか?)
その時になって橋本はハッと気付いた。なぜこうも自分は自分のことしか考えられない大馬鹿野郎なのだろう。自分が『三つ子の魂百までも』なら皆そうなのだ。京子もそうだし、葉月もきっとそうだ。自分は葉月の底知れない優しさに、どこか怖さと劣等感を感じて彼女と別れることを選んでしまった。彼女の優しさと他人の為に行動する姿勢は組織に育てられた子供時代から培われたものなのだ。そのことに気付けていればもっと彼女を理解出来ていたかもしれない。
結局自分も、自分に与えられた状況と資質で歩んできたがゆえに今の状況になっているわけで、自分の意志で何かを決めてきたという実感は全然ない。意志の固まりのような高瀬でさえも、その意志をなぜ持てたのか突き詰めれば与えられたものでしかないことになる。
(……それでも俺は知りたい。自分を自分たらしめている要因を理解するだけでも良い)
知ったところで結局人は何も変えられないのかもしれない。それでもその原因を知っていることと知らないまま生きることでは全然違う、と橋本は思った。
神が本当にいるのなら何故人生はこうも虚無なのだろうか?幸せだったことなどあるだろうか?幸せだった瞬間はたしかにあるだろうが、不幸だった時間の方が圧倒的に長い。総量で比較すれば不幸の方が比較にならないほど多いだろう。
何故親は自分を産んだのだろうか?圧倒的に不幸になることを経験から両親も学んでいたはずなのに、それを忘れてしまったのだろうか?自分の子供だけは例外だとでも思ったのだろうか?それとも両親は橋本ほどは不幸ではなかったのだろうか?
全ての原因を検証するには人生は余りにも短い、橋本はそう思った。
(了)
神の子供たちはそれでも生きる きんちゃん @kinchan84
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