第16話 葉月


 何回か開かれたそのオフ会で一人の女性と知り合った。

 葉月というその女性は東京に住んでいる28才でキャバクラに勤めていた。見た目も派手で、最初会ったとき橋本は自分とは全く違うタイプの人間だと思い敬遠していたが、話してみると知的で気遣いも出来るし、元組織の人間らしい部分も持ち合わせており、橋本は次第に惹かれていった。

 何度か他の人も交え少人数で会った後、二人は交際することとなった。

 付き合ってみると葉月はとても素敵な女性だった。彼女は5年前まで親元に住み、組織の中でも模範的な『姉妹』だったそうだ。現在の派手な見た目とキャバクラ嬢という職も、『組織2世』として育てられた反動の現れなのだろう。何度目かのデートでそういう雰囲気になり、童貞を捨てた時橋本は嬉しくて泣いてしまった。何の為に生きているのか分からないこんな人間を受け入れてくれる女性が居る……という事実がたまらなく嬉しかったし、生きてきたことが許されたようにすら感じたのだ。性行為後に涙を流した三十男を見ても、彼女は何も聞かずに抱き締めてくれた。

 橋本は彼女の派手な見た目が嫌いではなかったが、並んで歩くにはどう見ても自分が見劣りしてしまうことを気にしていた。橋本は何も言わなかったが彼女の方でそれに気付いたのか、段々と服装はカジュアルなものに変化してゆき、遂にはキャバクラを辞め事務職に転職までしてしまった。

「自分の為にそうまでしてもらう必要はない」と橋本は言ったのだが、彼女は笑って「そんないつまでも続けられる仕事では無いし、辞めるきっかけを探していたのよ」と笑っていた。橋本は彼女が何故自分に対してそんなにも良くしてくれるのか意味が分からなかったが(もしかしたら神は実在するのか?ともチラッと思った)、彼女のことをますます好きになっていったし出来るだけの恩返しをしたいと思った。


 ちょうどその頃には水田を通して清掃会社で正社員になる話が進んでいた。水田には彼女が出来たことも話した。きっかけを説明するうちに自分が育ってきた宗教組織のことも話したが、水田はあまり詳しくは追及してこなかった。

「それよりも橋本君、その娘を絶対逃がしたらダメだぞ!逃したら君みたいな人間がそんな良い娘と付き合えるチャンスは今後の人生においてもう二度と無い!断言する!」

 とまで言われた。かなり失礼な物言いだとは思ったが、どう考えてもその通りで反論する余地は無いので、笑顔で頷いておいた。




 それから半年ほど橋本は葉月と付き合ったが結局別れた。

「なぜ自分のような人間と付き合っているのか?自分は何も返せるものは無いよ?」と橋本は何度も葉月に尋ねたが、彼女は「居てくれるだけで良い」と笑ってかわすだけだった。そんなことが重なり橋本は苦しくなったのだった。別れを告げた時も彼女は最後まで優しく橋本のことを気遣ってくれたが、橋本はそれが余計に心苦しかった。

 彼女が自分に費やした時間と労力を償い切れないことは明らかだった。

 それからもう少し季節が巡り冬が見えてきた頃、橋本はアルバイトから正社員となり別のビルの責任者になった。初めての責任者は面倒なことの連続で、疲れ果てていたがそれなりに充実感も感じていた。仕事に追われるという感覚は久しぶりだったがそれも悪くないような気がした。

 高瀬とは相変わらず頻繁にメールのやり取りをしていた。コミュニティのオフ会に参加したこと、彼女が出来たこと、正社員になったこと、それから彼女と別れたこと……全て高瀬には伝えていた。彼にレポート送るために全てのイベントは存在するのではないか、と思うくらい詳細に伝えていた。高瀬からの返信は橋本が送るものに比べれば短いものだったが、時には的確なアドバイスを送り、時には優しく肯定してくれた。

 高瀬からは産まれたばかりの子供の写真や動画が頻繁に送られてきた。他人の子供とはいえ、小さい子供が成長してゆく様を見られるのは少し感動的だった。だが橋本にとって興味深かったのは小さい子供の成長よりも、高瀬本人の変貌の方だった。表情は明らかに柔らかくなっていったし、一年前は奥さんに対して若干亭主関白な態度で接していたのが逆転し、奥さんの顔色を伺いながら仕事に向かう毎日になったらしい。送ってくれた短い動画越しでもその雰囲気は伝わってくる。


『組織2世』のコミュニティとは少し距離が開いた。SNS自体はちょくちょく覗いていたし、今も苦しんでいる若者などを見かけるとアドバイスを送ったりと、画面上で誰かと交流することはあったが、葉月と別れて以降オフ会に参加することはなくなっていた。 



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