台本どおりに恋をする

中田カナ

台本どおりに恋をする

「で、俺に頼みっていうのは何なんだ?」

「私に誰か恋人役の女性を紹介してもらえないだろうか?」


 馴染みのバーで久しぶりに会った友人から表情が抜け落ちた。

「恋人じゃなくて恋人役、なのか?」

 黙ってうなずく。

 目の前の男は知っている。

 昔から私が恋愛や結婚に興味を持てずにいることを。



 ここ数年、王都では演劇が人気だ。

 貴族向けの歌劇などではなく、庶民向けの大小さまざまな劇団が毎日どこかで上演している。

 風刺劇やコメディ、朗読劇や一人芝居など内容もさまざまだ。

 そんな演劇人気の火付け役となったのが、目の前にいる学生時代の友人が主宰する劇団である。

 港の空き倉庫を借りて始めた芝居は、今の時代に生きる若者達を描いた群像劇が多く、根強い人気を誇っている。


 琥珀色の液体が入ったグラスを空にした友人は、大きく息を吐き出してから話し始めた。

「堅物のお前がそんなことを言い出すとは予想外だな。まずは事情を説明してくれないか?法にふれるものじゃなければ協力してもいい」

「親戚から縁談話を持ちかけられ、断る言い訳に付き合っている人がいることを匂わせたら、ぜひ会わせろと言いだしてな」


 その女性は父の従妹にあたり、この国でも名の知られた商会を営む家に生まれ、平民ながら男爵家の嫡男に見初められて結婚し、現在は男爵夫人となっている。

 私の両親はすでに亡くなっているが、存命中は多少の付き合いはあったものの、最近は会う機会もほとんどなかった。

 それなのになぜ私に声をかけてきたかというと、男爵夫人が所属する貴族のご夫人方のグループで、縁結びに関わった数がグループ内でのステータスを決める一因となっているらしい。

 私は平民だが、王宮の文官としてそれなりの地位にあるので目をつけられてしまったようだ。

 すでに相手がいることを匂わせたら、疑われたようで会わせろと言い出したわけだが、納得すればすぐ他を探すだろう。男爵夫人が求めているのはきっと内容より数だろうから。

 そんな事情を友人に説明した。


「なるほどね。とりあえず親戚である男爵夫人と会う機会さえ乗り切ればいいわけだな?」

「そうだ」

 深くうなずく。

「わかった、引き受けよう。おもしろそうだし、いつか何かのネタにも使えるかもしれないしな」

 友人は学生時代のようにニヤッと笑った。



 バーを出て彼が主宰する劇団の本拠地である倉庫へ連れて行かれた。

「今ならうってつけの奴がいるはずだ」

 倉庫の片隅にある椅子に座って待つように言われる。


 客のいない倉庫はがらんとしている。

 友人から招待券をもらって何度かここで演劇を観たことがある。

 昔から感情の起伏が少ないと言われがちな私でも心にくるものがあった。


 友人が女性を1人連れて戻ってきた。

「彼女は舞台に立つこともあるけれど、裏方がメインで脚本も手伝ってもらってる。事情はざっくりと話しておいたから、あとは2人で話し合ってくれ」

 そう言ってポンと女性の肩に手を置いた。

 その女性は肩に届くくらいで切り揃えた茶色の髪で、黒縁の眼鏡をかけている。

 背は高からず低からずといったところだろうか。


 友人は奥の方にいるスタッフの方へ行き、彼女と2人きりになった。

「事情は聞いたわ。おもしろそうだから協力してあげる。次の公演までしばらく時間もあるしね。ただ、私も本業があるから、そちらの都合も考えないといけないんだけど」

 演劇をやっているからだろうか、物怖じしない態度だ。


「ご協力に感謝する。ただ確認したいのだが、その、もしかして貴女は彼の恋人とかだったりするのだろうか?」

 一瞬きょとんとした表情になった彼女は急に笑い出した。

「あはは!ないない!だって彼の現在の恋人はあそこにいるもの」

 そう言って彼女は友人と笑って話しながら客用のベンチにペンキを塗っている人物を指差した。


「あそこにいるのは男性、だよな?」

「そうよ。あれ、もしかして知らなかった?昔から隠してないって言ってたから、貴方も知ってるかと思ったんだけど」

 昔から私自身が恋愛に興味が薄く、人の恋愛にも興味がなかった。

 そういえば学生時代はよく彼から甘い言葉を投げかけられていた。

 あれはからかわれているとばかりと思っていたけれど、もしかして…?

「私、明日は仕事で早めに出勤しなきゃならないから、今日は早めに帰りたいの。時間もないから早く打ち合わせをしましょ」

「ああ、わかった」

 彼女の言葉で現実に引き戻された。


 席を移動してテーブルを挟んで向かい合って座る。

 彼女は紙とペンを持ってきていたので、私が改めて説明すると要点を記していく。

「事情はわかったわ。それじゃ、まずは設定を決めましょうか。私の方でざっくり決めてもいい?」

「ああ、よろしく頼む」

 脚本作りに携わるくらいだから任せてよいだろう。

「あ、今さらだけど、付き合ってるって設定だから敬語も一切なしでいくわね」

 その言葉に素直にうなずいた。


「私は王立図書館の職員で、貴方が図書館で私に一目惚れして猛アタックの末に交際が始まった、ということにしましょうか。あ、ちなみに私は本当に王立図書館の職員なの。嘘をつくにも適度に本当のことを混ぜた方がやりやすいでしょ」

 演劇だけで食べていける人はまだまだ少ないと聞いているので、彼女に本業があることは納得できる。

 だが他の点でひっかかってしまった。

「一目惚れ…?」

 私の人生で一番ありえないことのように思える。


「あれ、逆の方がいい?でも、こっちの方がいいと思うんだけどなぁ。ほら、終わらせるのも私の心変わりってことで済むじゃない」

 なるほど。

 確かに私から好きになったのに、私から捨てるというのも流れ的にあまりよくないように思える。

 そこまで考えてくれていたのか。


「それにさっき主宰から貴方についてざっくり聞いたけど、貴方の性格からして一目惚れして猛アタックとかの方がインパクトがあると思わない?」

「そうかもしれないな」

 意外性があって、それだけ本気だと思わせられるということだろう。



「私、たとえ舞台でなくても演じるからには完璧を目指したいの。だから設定を強固にするためにも、1回くらい一緒に出かけたりしてみない?その方がリアリティが出ると思うんだけど」

「いいのか?」

 偽の恋人とデートというのは彼女に対して申し訳ない気がする。

「別にいいわよ。会って食事して話すくらいなら。さすがに身体の関係はお断りだけどね。勤務先の図書館は木曜が休館日なんだけど、確か貴方は王宮の文官だったわよね?私、週末だったら夜しか空いてないんだけど」

「いや、私が木曜に休みを取ろう。今は繁忙期を過ぎたし、職場では『仕事のしすぎだからたまには休みを取れ』とよく言われているのでいい機会だ」

 休んだところで特にすることもないので、体調不良以外で休みを取ったことはほぼない。


「じゃあ、次の木曜にしましょうか」

 そう言って彼女は立ち上がった。

「最後に1つだけ言っておくけど、このお芝居の主役は貴方で、私は手助けするだけよ。成功の鍵は貴方の覚悟と本気さにかかっているわ。だから中途半端だけはやめてよね」

「わかった」

 彼女の言うとおりだ。



 木曜日。

 王都の中央広場で待っていると、茶色い髪の彼女がこちらに気付いて駆けてくる。

「おはよう!私も早めに来たつもりだったけどずいぶん早いのね」

「早めの行動が基本なので、いつものことだ」

「じゃあ、さっそく行きましょうか」

 私達は歩き始めた。


「今日は動物園と植物園と博物館をまわるわよ」

「そんなに?」

 会って食事しながら話すくらいに考えていたので驚く。

「付き合ってるのに一緒に出かけたことがないなんて不自然でしょ。話のネタ作りが今日の目的なんですからね」

「なるほど」

 親密さをアピールするためにはいいかもしれない。



 乗合馬車で王立動物園に到着する。

「動物園は初めて?」

「いや。だが子供の頃に来ただけだから、あまり覚えてはいないな」

「あ、そうなの。数年前に大幅に改装したから昔とはだいぶ変わってるわよ」


 子供の頃は狭い檻の中の動物達がかわいそうに思えたが、今はそれぞれ広々とした空間が確保されている。

 動物と客の間に深い堀などを配置することで安全性も考慮されているようだ。

「そうか、あの予算はこう使われていたのだな」

 王宮の経理部門としての感想がついこぼれる。


「あはは!ここまで来て仕事を考えちゃうわけ?」

 隣に立つ彼女が笑い出した。

「あ、すまない」

「いいよ、別に謝らなくても。ものの見方なんて人それぞれだしね。でも数字だけじゃなくて、こうして実際に見ることでわかることもあるでしょ?」

「ああ、そうだな」

 次の予定があるのでじっくり立ち止まって見る時間は少なかったが、それでも十分に興味深かった。

 たまにはこうして出かけるみるのもいいかもしれない。



 植物園へ移動する前にカフェでランチを取る。

「主宰に聞いたけど、うちのお芝居を観に来てくれてたんですってね」

「ああ、招待券をもらったから行かないと悪いかなと思って。でも行ってみたらいろいろ考えさせられた」

 彼女が不思議そうな顔をする。

「考えさせられたって?」

「最近の作品だと脇役の眼鏡の男が気になったな」

 登場人物である人と関わるのが苦手な青年について思っていたことを語る。

「なるほど、そういう見方もあるのか。うん、ありがとう!私も参考になったわ」

 彼女の自然な笑顔に少しだけ心がざわめいた。


「あ、そうだ!共通の趣味は演劇鑑賞ってことにしましょうか。同じ劇団のファンってことで」

 植物園の中を歩きながら彼女と話す。

「それはかまわないが、貴女は劇団側なのでは?」

「最初はファンだったの。でも劇団にどうしても入れて欲しくて、通用口の前で毎日土下座してたわね」

 学生時代に劇団の熱狂的なファンになった彼女は、なんとか加入にこぎつけたらしい。

 今までの言動でもわかってはいたが、かなり行動的な女性であるらしい。


 途中のベンチでさらに話す。

 彼女は王都の西側に広がる住宅街の中にあるパン屋の娘だそうだ。

 両親と祖父と数名の従業員、そして他の店で修行していた兄が最近戻ってきて、日々忙しく働いているとのこと。

 就職するまでは彼女も看板娘として店に立っていたらしい。

 だから物怖じしない性格になったのだろうか。

「劇団に入れてもらうために、売れ残りのパンも差し入れで持っていったりしたなぁ。ずいぶん後になって『お前を加入させたのはパンが決め手だった』って笑って主宰に言われたっけ」

 土下座よりパンだったのか。



 乗合馬車で博物館へ移動する。

 現在の企画展は文明の成り立ちに関するものだったが、最近発掘されたものも展示されている。

「すごいわね。何でもスラスラ答えちゃうんだもの」

 昔から歴史好きということもあって、つい説明に熱が入ってしまった。

「すまない、つい話しすぎた」

「ううん、話もわかりやすくておもしろかった。1人で来てたら気付かずに通りすぎてたものもあったしね」

 ふんわり微笑む彼女。



 夕方になり、待ち合わせした王都の中央広場まで戻ってきた。

「さてと、これでちょっとは人に話せるくらいの出来事が作れたかしらね」

 そう言いながら彼女が伸びをする。

「貴女の貴重な休日を私のために使わせてしまい、大変申し訳なかった」

 彼女に頭を下げる。

「そんなの気にしないで。私が引き受けたことだしね。それに結局みんな奢ってもらっちゃったし」

「こちらがお願いしているんだから、それくらい当然だ。それで、その、もしよければ最後に1杯どうだろうか?」

 グラスを傾けるしぐさをする。

「お酒は嫌いじゃないけど、今日はやめておくわ。それより時間がある時でいいから私の勤務先である図書館をのぞいてみてよ。私に声をかける必要はないけど、そこで一目惚れしたって設定だから、どんな環境くらいは知っておいてもらわないとね」

「わかった。そうさせてもらおう」

 去っていく彼女の後ろ姿を見送った。



 翌日、さっそく仕事を終えてから王立図書館に足を運んでみた。

 学生時代はよく図書館を利用したものだが、自分で稼ぐようになってからは早く新刊を読みたいのと、本は手元に置きたいと思うようになり、借りずに購入するようになった。

 だから、王立図書館も職場である王宮から近いにもかかわらず、足を運んだことがなかった。

 雰囲気は学生時代とあまり変わっていないが、棚の配置は少し変わっているし、椅子やテーブルも長居しやすそうなものが置かれているようだ。


 いろんな棚を見ながら歩いていると、学生時代に読んだ歴史の本を見つけた。

 この本をきっかけに芋づる式に同じ系統の本を読み漁ったことを思い出す。

 久しぶりに読んでみようか。

 利用者登録の申請用紙に記入して、手続きしようと受付カウンターへ行ったら彼女がそこに座っていた。


「王立図書館へようこそ。ご利用登録ですね。利用者カードを作成いたしますので、その間にこちらの利用案内をお読みになってくださいね」

 仕事用の笑顔を浮かべる彼女から案内の小冊子を受け取る。

「ありがとう。カードの作成に時間がかかるのなら、もう少し館内を見てきてもいいだろうか?」

「もちろんですわ。15分ほどで出来上がりますので、またこちらへお越しください」

 結局、別の歴史の本をもう1冊借りて帰宅した。

 その数日後、男爵夫人と会う日時と場所が決まり、彼女が所属する劇団を経由して連絡を取ってもらって了承を得た。



 そしていよいよ当日がやってきた。

 待ち合わせ場所にやってきた彼女は、トレードマークの黒縁眼鏡をかけておらず、服装も化粧も以前とは雰囲気が違う気がした。

「おかしかった?私なりに貴族のご夫人から好感を得られそうな感じを狙ってみたんだけど」

 私がついじっと見てしまったので、彼女が自分の姿を気にしている。

「いや、すまない。おかしくはない。むしろとても素敵だと思う」

 ただ、動物園などをまわった時の方が彼女らしかった気もするけれど。

「さて、では行こうか」

 そう言って腕を差し出すと、彼女はそっと手を添える。

「出たとこまかせの即興劇だけど、なんとか協力して乗り切りましょ」



 我々の最初で最後の舞台は、貴族向けというわけではないけれど高級なカフェの個室だ。

 初対面の2人を私が紹介する。

「まぁまぁ、素敵なお嬢さんね!」

「初めまして、男爵夫人。平民のため無作法があるかもしれませんが、どうかお許しいただければと思います」

 お辞儀をする彼女。

「そんなこと気にしないで。私だって平民の出だもの。気楽に接してもらえる方が嬉しいわ」


 席についてから話が始まる。

「彼から聞きましたけど、いろんな方の縁を取り持っていらっしゃるとか」

「ええ、そうなの。この子がこんな素敵なお嬢さんとお付き合いされているとは知らなかったものだから、縁談を用意していたのよ。ごめんなさいね」

 申し訳なさそうな顔をする男爵夫人。

「どうかお気になさらないでください。彼と私はこうしてお付き合いすることができましたけれど、出会いの機会というのはあるようで意外とないと思います。素晴らしいことをなさっていると尊敬しておりますわ」

「まぁ、ありがとう。そう言っていただけると本当に嬉しいわ」

 彼女の言葉に男爵夫人は機嫌をよくしたようだ。


 カフェ自慢のケーキが運ばれてきて、そこから先は雑談になった。

 動物園での話など、ほとんどは私について話しているはずなのに、展開が速くて目の前の女性2人の会話についていけない。

 ひそかに自分の会話力のなさを痛感していた。


「つい先日、一緒に行った博物館では彼の解説がとてもわかりやすくて、まわりのお客さんまで聞き入っていたんですよ」

「え、そうだったのか?」

 彼女は男爵夫人に向かって話していたのだが、思わず私が問いかける。

「あら、やだ。気づいてなかったの?メモを取ってる学生さんまでいたのに」

 笑って答える彼女。

「…説明するのに夢中で気づいてなかった」

「あはは!普段は口数が少なめなのに、あの日はびっくりするくらいしゃべってたものねぇ」

 恥ずかしくなって顔が熱くなり、思わずうつむいてしまった。


「お2人の仲のよさはよくわかったわ。私、この後に他の予定があるからこれで失礼するわね。貴方達はゆっくりしていって。ああ、それから結婚する際にはぜひ声をかけてね。お祝いを贈るから」

 そう言い残して男爵夫人は去っていった。


「我々も出ようか」

「そうね」

 そう答えた後、彼女は小声で言った。

「でもまだ幕が下りたわけじゃないから油断はしないでね」

 カフェの支払いは男爵夫人がすでに済ませていた。



 カフェを出て2人で歩き出す。

「男爵夫人にできるだけ早めに今日のお礼の手紙を出した方がいいわね。その返事次第で本当に幕が下りると思う」

「わかった。それから貴女へのお礼はどうすればいいだろうか?」

 実はずっと気にしていたのだが、話を切り出す機会がなかった。

「引き受けたのは主宰だから、劇団への支援をお願いしたいわね。私自身は何もいらないわ。全部おごってもらったし、ちょっと変わった体験をさせてもらって半分くらいは楽しんじゃってたしね」


 彼女が立ち止まる。

「ここでお別れしましょ。またうちの芝居を見に来てね」

 彼女が笑顔で右手を差し出したので握手を交わす。

「ぜひ伺おう。本当に感謝している」



 彼女の助言どおり男爵夫人にお礼の手紙を出したら返事がすぐに届いた。

 我々のことはまったく疑っておらず、どうかお幸せにとのことだったのだが、少し予想外のことも書かれていた。

『今だから打ち明けますが、私の初恋の人は貴方のお父様でした。お父様によく似た貴方の幸せのお手伝いを出来ればと思いましたが、すでにご自分で良い方を見つけられたようで安心いたしました』

 亡き父も喜怒哀楽に乏しくて口数も少ない人だったが、母は「よく見ていれば結構わかりやすい人なのよ」と笑っていたことをふと思い出した。


 そして手紙の追伸にはこう書かれていた。

『もし身のまわりで結婚したくても出会いの機会がなくてお困りの方がおりましたら、貴族・平民問わずお気軽にお知らせくださいね。私と主人の人脈を駆使して幸せのお手伝いをさせていただきます』

 本人が望むなら結婚願望の強い同僚を紹介してもいいかもしれない。



 劇団を主宰する友人に連絡を取り、いつものバーのカウンター席で隣同士に座る。

「おかげさまで何とか乗り切れたよ。君と彼女には本当に感謝している」

 謝礼についての話し合いを終えてから、あらためて感謝の言葉を口にする。

「もう気にするなよ。彼女も『作戦を練るのは楽しかった』と言っていたしな」

 笑顔で話す友人。


「その、1つ聞いてもいいだろうか?」

「ん、何だ?」

 友人は小さく首をかしげる。

「いまさらなんだが、その、学生時代の私へのやけに甘い言葉は本気だったのか?」


 一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに笑顔に戻った。

「ああ。脈なしなのはわかってたから、わざと冗談めかしてたけど結構本気だったよ」

「その、すまない。全然気付けなくて」

 小さな声で詫びてうつむくと、バシッと背中を叩かれた。

「それこそ気にしなくていい。そういうところも含めて気に入ってたんだしな。それに今となっては思い出話だし、あの時の経験や感情も含めていろんなものが積み重なって今の俺を作ってるんだからさ」



 私は昔から人にも自分自身にも関心が薄かった。

 だが、人にはそれぞれにいろんな過去があって現在に至っているのだと気がついた。

 私の好きな歴史と同じことなのだろう。

 そして今後の行動によっては未来もきっと変わっていく。

 まずは未来を変えるための一歩を踏み出してみようか。



 水曜の夜、仕事を終えてから王立図書館へ向かう。

 読み終えた本を返却して新たに本を2冊借りる。

 今日は貸し出しカウンターに彼女がいた。


 閉館間際で人もまばらになった頃、利用者カードと借りる本が2冊、そして小さな花束をカウンターに置いた。

「あの、これは?」

 花束を見て小さく首をかしげる黒縁眼鏡の彼女。

「台本どおり貴女に猛アタックを始めてみることにした。一目惚れではないが、短い期間ながら貴女の人となりを知り、もっと深く知りたくなった」


 しばらくあっけに取られていた彼女は、やがてクスクス笑い出し小さな声で言った。

「貴方ってやっぱりおもしろい人ね」

「そうだろうか?」

 そんなことを言われたことなど一度もない。

「そうよ。さて、最初の設定には猛アタックとしか書かなかったけど、はたして貴方がどうするか、お手並み拝見とまいりましょうか」


 そして彼女は職員モードに戻り、貸し出し手続きを終えた本を手渡してくれた。

「本の貸し出し期間は2週間となります。お花は図書館に寄贈されたものとみなしてカウンターに飾らせていただきますね。職員は利用者から金品を受け取ってはいけないという規則がありますので」

「すまない、それは知らなかった」

 素直に詫びた。


 再び声を落として彼女が言う。

「知ってのとおり、この図書館の休館日は木曜で、それ以外は夜しか時間が取れないわ。その夜だって劇団の活動を優先させる結構ひどい女だと思うんだけど、それでもいいの?」

「ああ、かまわない。それで、さっそくだが今日は仕事を終えてから時間は取れるだろうか?友人と話し合って劇団への支援は決めてきたが、貴女個人にお礼をしたいとずっと思っていた。ここからわりと近いあたりにおすすめのバルがあるんだが」


 驚いたのか黒縁眼鏡の向こうの目を見開く彼女。

「なんだかキャラクターの設定まで変わってない?まぁいいわ。もうすぐ閉館だから、30分後くらいに正面玄関前のベンチでどう?」

 苦笑いする彼女もなんだかかわいいと思える。

「わかった。でも別に急がなくていい。本でも読みながら待っているから」



 図書館を出ると、すでに暗くなった空には三日月が見えた。

 ふと思う。

 人生というのは案外楽しいものなのかもしれない。

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台本どおりに恋をする 中田カナ @camo36152

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