花屋の娘

ヒヤムギ

花屋の娘


夕暮れ時、僕は路面電車に乗っていた。


車内に人気は無く、席もがら空きなのになんとはなしに席に座らずに外を眺めていた。


買い物帰りの人、仕事帰りの人。色んな人が行き交っている。ひとひとひと。


段々と人の動きが一本の線に見え始めた。僕は退屈で堪らなくなってしまったので暇つぶしにちょっと恋をしてみることにした。


駅前の花屋さんの店先に女の子が顔を出したのだ。その子が野に咲く花のような子なので、この娘にしようと僕は考えた。


さて、恋をするからには一緒にどこかに遊びに行かなくては。そして、やはり男である僕がリードしなくてはいけない。その方が彼女も嬉しいだろう。彼女は僕の顔を屈託ない笑顔で覗き込んでこう言うのだ。どこに行きましょうか、と



「どこに行きましょうか」



彼女は僕の顔を屈託ない笑顔で覗き込む。


その瞳は小動物のようにクリっとして可愛らしく、また底の知れない蠱惑的な魅力も持っている。その瞳のまぶしさに僕は少しだけ目を細めた。


「そうですね、公園なんてどうですか」と言って僕が誘ってみると、彼女は「ええ、いいですよ」と快く了承してくれる。


花屋から公園までの道すがら、他愛もない話をしながら彼女と僕は並んで歩く。少し小柄な彼女のために歩幅を狭めるけれど、彼女は僕に気を使って大股で歩くものだから逆に僕が彼女より遅れがちになってしまって「あべこべですね」などと言って一緒に笑った。


公園に着くと「あなたが鬼です。わたしを捕まえてくださいね」と言って彼女はいきなり駆けだした。僕は慌てて追いかけたのだけど、ジャングルジムや鉄棒をくぐったりしながら彼女は全速力で走っていくので、なかなか捕まらない。


僕も負けじと必死に追いかける。追いかけて追いかけて、追いかけるうちに彼女の笑い声が前から聞こえてくる。僕もそれにつられて追いかけながら笑った。


僕はなんとか先回りして彼女の前に躍り出ると、両手を一杯に広げて通せんぼをして彼女がキャッという小さな声をあげた。


しかし小柄な彼女は案外運動神経が良いらしく、するりと僕の手をかいくぐってしまう。


追いかけっこを続けるうち、僕は彼女を見失ってしまった。いつの間にか追いかけっこはかくれんぼに変わってしまっていた。公園内をぐるりと回って彼女の姿を探してみると、木陰にしゃがみこんで隠れているのを見つけた。


彼女も僕を見失っているらしく、こちらに気づいていない。そんな彼女をみて僕はちょっとした悪戯心を起こした。


後ろからそっと近づく。彼女はまだ僕に気づいていない。手を伸ばせば彼女の肩を掴めてしまうところまで近づいて、僕はわっと大声を上げた。すると彼女ははじかれたように飛び上がる。そして僕に気づくと少し怒ったような拗ねたような顔をして、

僕の胸を軽く小突いた。その後、彼女と僕はどちらともなく笑った。


少し疲れたので座りましょうと言って、ブランコに腰かけた。彼女は軽く地面を蹴るとブランコをこぎはじめた。


僕は横から彼女をじっと見つめた。ブランコのふり幅が増していくにつれ、彼女のはじけるような笑顔が輝きを増した。


僕はそんな彼女が堪らなく愛おしくなったので、彼女にすみれと名前を付けて



いつの間にか花屋のあの娘は店の奥に姿を消していた。

野に咲く花のような娘だったなと僕はぼんやり考えた。そしてまた僕は暇を持て余して外の行き交う人を眺め始めた。

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花屋の娘 ヒヤムギ @hiyamugi

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