第48話 日常へ導く声(終)


「これ、呪いの絵だ。呪いの絵だった……理子」

「岡崎一蔵。やってくれるわね。もし呪いの根源をお姉ちゃんが断ち切って、ここで観た人を残らず呪い続けていたって訳だ」

「あ、危なかった。よかったぁ……周りの人も死ななくて」

「回顧展初日から今日までで入場はゆうに数万人規模。仮に怪死とナミノキョウイチの絵の関連を結び付けられなかったとしたら、満員御礼で無事に全国開催……ま、そんなことはどうでもいいわ。そもそも起きていないんだから」


 理子はイチョウ並木の絵を睨むように見て呟いた。

 絵の中央部分に子どもがいる……はっきりとした後悔が筆に乗って滲んだようだった。つまり岡崎さんの子ども? それって……


「お姉ちゃん。ちょっとあたしの考えを聞いて。ナミノキョウイチの絵が、どんな意味を持つかってことだけど」

「特にこの二つの絵で、だよね」

「そう。岡崎はこの場所に人を集めて、何かを起こそうとしていたんじゃないかな。別に倉田さんの絵のように記憶を飛ばしたり、無意識な行動をとらせる必要はないんだ。ええと、例えば……観た者の魂をほんの少しはぎ取って絵に吸わせるみたいなさ。ちょっとした疲れ、倦怠感しか覚えない程度に。どちらにしても数日後には例外なく死ぬんだけどね」

「集めてどうするの?」

「どうするって……奇跡みたいなものを起こすとか? 亡くなった赤ちゃんや倉田さん、自分自身を含めて取り戻したり、蘇らせたり……」

「ひどいオカルトね」

「だけどあたしは理解できる。その方法も、求めたものも。現に二人の天才画家は自らの感情や魂を絵にこめられた。そんな奇跡を探し求めても不思議じゃない。縋りつくもの見つけた人を変えるのは難しいし、どんなにバカみたいな絵空事だって信じるものよ」


 理子も、あたしに対して的外れな配慮をしていた。でもそれは理子の優しさから来るもの。あたしを傷付けないように慎重になっていた結果だ。いま妹の言っていることは理解できる。でも可能性の話で真実はもう確かめることは出来ない。どんな角度で考えるかの差でしかないが……


「理子の言ってたことはたぶん違う。岡崎さんは……この二つの絵を、倉田さんに見せたかっただけだと思う。疎遠になって、どこにいるのか手紙も連絡も出来ない状態。一年前に倉田さんが団地に戻って来たのも知らなかった。なら、新聞やニュースで見てもらおうって考えたんじゃないかな」

「……幾つかの新聞社に知らせを載せろという指示は、単純に倉田さんに伝えるためってこと?」

「うん。倉田さんが新聞を読む習慣があったことを知っていたからね。昔はコンクールの結果や情報とかも新聞から得てたから、その発想に至ったのかも。そして絵を通じて、メッセージを届けたかった」

「どんな意味を込めたの?」

「それはね……んん、ええと。それはねぇ……」

「……」


 当時の二人のことをはっきりと言い当てる自信はない。ないけど、最後には自分に置き換えるしかないんだよな。自分ならどう思うか。


「忘れないで欲しい。もし起きてしまったことに向き合えず、心の奥底に閉じ込めていたのなら、思い出して欲しい。その辺だよたぶん」

「たぶん、ねえ」

「仕方ないでしょ。どう考えてたかなんて、残された人が勝手に想像するだけだし。それに、二人とも過去を引きずったままじゃなかった。倉田さんが再び筆を握るようになって描いた絵は、楽しさや前向きな気持ちがこもっていなかった?」

「まあね」

「岡崎さんの絵も同じ。ちゃんと過去を乗り越えていたんだ。誰だって、ずっと暗い感情に囚われていることなんてない。たまたま当時描いた絵に、亡くした子どもに対する後悔や迷いが混じり、その繋がりを邪悪なものに目をつけられた……巡り合わせが悪かっただけよ」

「ふぅん……」

「ち、違うかな?」

「違ったっていいんじゃない? 一つのことを知ろうとする方法と解釈はそれぞれで。この絵画の感想や捉え方だって全く同じ人はいないんだからさ」

「呪いの事情を含めて考えられるのは、あたし達しかいないしね」

「あたしは……お姉ちゃんの解釈の方が好きだな」


 理子と同じ目線に立ち、改めて絵を観る。

 この絵には明暗の二面性があった。岡崎さんの感情が入り混じって混沌としている。描いた時期が重なっているのか、それとも完成まで長い年月をかけたのか。倉田さんの絵が燃やされずに残っていれば比較できたかもしれないがそれは叶わない。倉田さんの絵はどんな印象だったか……


 頭の中で、二つの呪われた絵を比べてみる。黄色い団地の風景が写し絵のように寸分狂いなく合った。同じ時間と立ち位置を二人が思い描いたとしても、モチーフが重なるなんてことがあるんだろうか? 枝の揺れ、葉っぱの落ちる速度もそっくりだ。

 散歩道で若い男女二人が間隔を開けて歩いている。描かれている子どもは幼く、お互いの絵に足りないものがぴったりと埋まる。自分の方に向いていた視線は穏やかなものに変わり、傍にいる子どもを見守っているようだ。公園に遊びに行く家族。しあわせな家族のかたち。そんなイメージが膨らんでいく。倉田さんの二つの絵。岡崎さんがこの場所に置くように願った二つの絵の意図は……


「ねえ、泣いてるの?」

「理子の見間違えね。泣いてない」

「……」

「かわいそうな絵。この足りない絵を完成させられる、家族の未来を描き加えられる二人がいないのが、悲しいってだけ」


 絵に向いていた周囲の視線が集まる。

 自分の発言は他の入館客にとって不快なものに違いない。世界のナミノキョウイチの最高傑作にケチをつける女。その表現以上に正しいものはないのだから。


「お姉ちゃん行こう? もうこんなところに用はないわ」

「え? あ、ちょっと!」


 理子が自分の手を握り、展示室を飛び出す。

 そうだ。また一つ思い出した。お互いにこの手で引っ張り合いながら、助けたり助けられたり、小さい頃からいろんなことを乗り越えて来たんだった……二人で。 

 周りの目は流行に乗っただけの姉妹が的外れな批評をしていたと無言で語っていたが、大して気にならない。そのまま受付を通り過ぎ、美術館の外まで走った。




 *  *




「理子……ありがと。でも他の絵、見なくて良かったの?」

「いいの! お姉ちゃんもあまり絵に心を引っ張られないでね。絵画ってああいうものだから。その時の画家が込めた、あらゆる感情を含めて鑑賞する楽しみと危うさがある。特に名画と言われる絵の中には、描き手の望んだ魂の形を見せてきたりするの」

「その形は何があっても変えられないんだね」

「そう。あたし達が泣こうが喚こうが、パパやママが帰ってこないように……絵に塗りこめられたその時の想いは変えることはできない。岡崎や倉田さんのことも同じ」

「……わかってる」

「よし。じゃあこの話は済みで! 呪いの影響も無いって分かったし。野暮用も終わりなんだから。あ、お姉ちゃんがまだ見たい絵あれば別だよ? チケットで再入場するから。んでさっきの事に不満そうな人や文句いう奴は、あたしがすぐ散らすからさ」

「い、いいよ大丈夫。それに……見たかった絵はもう見れないから」

「倉田さんの絵?」

「白く塗り潰されてた方の絵、燃えちゃったから……どんな絵なのか分からず仕舞いなのが、少しだけ心残りってだけ」

「頭で思い描けばいいじゃん。構図も想像つくし」

「え?」


 何となくだけど、あの並木道で休憩しているところ、白い空と黄色いイチョウの木までは浮かぶ。でも肝心の岡崎さんの顔とかが抜けてるから諦めてたんだけど。理子はそんなあたしを見てため息をつきながらも、自分から離した指をくるくる回して答える。


「いい? 岡崎の描いた絵は、ベンチで座っている倉田さんをモチーフにしてる、対になってるってお姉ちゃん自分で言ってたでしょ? だからその逆。倉田さんはベンチで座っているところから、岡崎を見上げている絵を描いた……そう思ってたんじゃないの?」

「でも岡崎さん、どんな表情してたか分かんなくて」

「美術館行く前に駅前でラフスケッチ見たよねえ!? あの描かれたお姉ちゃんみたいに、倉田さんの信頼を受け止めて包んでいる……そんな顔をしてるでしょうよ。ほ、本当にイメージできないの?」

 

 あの駅前の展示されたラフ画を思い返す。

 倉田さんの画風は細かい所までわかる。とくに団地の構図なので色を付けるのも容易い……あ、浮かんだ。

 岡崎さんの絵と同じように、若き日の岡崎さんが、イチョウ並木を背景に小さく笑っている。より率直な色使いと書き込み。筆運びもシンプル。でも愛情にあふれたあたたかさがある。一目見れば誰にでもそう読み解ける、そんな素朴な絵だった。


「理子と同じか分からないけど、絵が浮かんだよ」

「よし。なら本当に終りね」


 理子が引っ付いてきて、こちらを見上げた。

 今思い描いていた構図そのままに、妹は姉に信頼を向けている。


「あとはあたし達の時間なんだから。余計なものは混ぜたくない。買い物……食べ歩き……服とかも見たいなあ」

「り、理子?」

「自分の作ったよそゆきの服で、家族でお出かけするのが子どもの時の夢だったんだ。でも……それはまた一日デート出来る時に取っておいて……お姉ちゃんの作る手料理も食べたい」

「理子の好きにしていいよ。今まで家族の時間はあんまり取れなかったけど……これから先、お互い遠慮しないでいいんだから」

「やった! 駅前着くまでに言うね」


 料理もレシピ通り作る以外に、自分の作りたいものを考えられるようになった気がする。これも頭の中のごちゃごちゃが片付いたお陰かな。どう腕を振るうか、自分の声に耳を傾けながら出来るようになった。もちろん。ママの教えてくれたやり方がベースにはなるんだけど。

 理子が道のまんなかで立ち止まる。妹の予定は決まったらしい。

  

「決めた。今日のお昼は家で食べたい!」

「なら買い物ね」

「あと、お菓子の材料も。久しぶりにクッキーとか焼いてよ」

「珍しいね。おやつも食べたいってこと?」

「もちろんそれもあるけど……涼に焼き菓子持って行こう? 今日の報告のついでにさ。子どもの時みたいに、みんなで食べるの」

「あ、いいね。それ」




 お互いの少し先の未来は形を変えながら共にある。

 理子にはあたしがいて、あたしには理子がいるんだから。 




 そして……明日もきっと。家族との日常は続いていく。

 



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呪罵庫 安室 作 @sumisueiti

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