第44話
魔女の家を出る頃には、辺りはすっかり日が沈んでしまっていた。
街灯が照らす夜道を、息を切らしながら必死に走る。
ようやく家に到着して勢いよく扉を開くが、そこにましろの姿はない。
「あれ……」
サンダルを脱ぎ捨てて部屋中を探し回るが、そもそも全ての部屋の明かりがついていないのだ。
ゆっくりと乱れた呼吸を整えながら、今日は姉達と遊びに行くと言っていたことを思い出す。
気持ちが先走るあまり、そんなことも忘れていた。
帰ってくるまで待ってればいいのに、落ち着いていられず気づけば家を飛び出してしまう。
一刻も早くましろに会いたくて、せめて駅で待っていようと思ったのだ。
サンダルのストラップが途中で外れて、情けないことにバランスを崩してその場に転んでも、すぐに立ち上がる。
「……っ」
幸い血は出ておらず、痛みもそこまでない。
それでも涙が零れ落ちるのは、ましろを思うあまり心が苦しくなってしまうからだ。
一体、どれほど苦しかっただろう。
好きな人から想いを流されて、すれ違い続けて。
ましろの気持ちを考えると、胸が痛んで仕方ないのだ。
忘れていた。
あの人は、似てるんだ。
人からとやかく言われて、自信を持てずに下ばかり向いて来た。
自分の存在が後ろめたくて、自信なんてこれっぽっちもない。
誰よりも臆病で、怖がりなのは寧々子だけじゃない。
だからこそ、一緒に前を向こうと言っていたのに。
『寧々子様』
突然名前を呼ばれて、驚いて足を止める。
塀の上から心配そうにこちらを見下ろしているのは、散々お世話になっている三毛猫だった。
『こんな夜遅くにどうされたんですか…?おまけに泣いてらっしゃるじゃないですか…』
「……ましろさんの所…好きって言いたくて…まだ怖いけど…」
必死に涙を拭いながら伝えれば、大人な三毛猫は全てを察したようだった。
達観した三毛猫は、もしかしたら寧々子より先に何かに気づいていたのかもしれない。
『……大丈夫ですよ』
塀から降りて、ゆっくりとこちらに駆け寄った三毛猫は、励ますように優しく肉球で太ももをタッチしてくる。
ふわりとした感触に、こっそりと心が癒されていた。
『言ったでしょう?似たもの夫婦ということわざがあると』
「……っ」
『不安な時…苦しい時…自分ならどうされたいか。どうすれば前を向けるのか…ましろ様に教わったことを、そのままお返しすればいいんです』
力強く頷けば、三毛猫はどこかほっとしたような表情を浮かべているような気がした。
面倒見が良くて、いつも的確なアドバイスをくれる三毛猫は、まるで母親のようで。
だからこそ、寧々子は何でも相談して、三毛猫に頼りたくなってしまうのかもしれない。
ちらりとスマホを見れば、時刻は既に夜の9時を迎えていた。
ましろからの連絡は入っておらず、すれ違わないようにこちらからメッセージを送る。
分かりやすい改札前まで行こうと駅前のロータリーを歩いていれば、一匹の猫が前を横切った。
気にせずに足を進めようとすれば、あろうことか野良猫は車の往来するロータリーに入ろうとしているのだ。
「危ない!」
声を上げても、こちらに振り返らない。
野良猫の中には、猫族の存在を知らない猫もいる。
まさか自分に話しかけてくるなんて思いもしないのだろう。
「……ッ」
タイミングの悪いことに、ロータリー内に一台のタクシーが入ってくる。
気づけば体は反射的に動いていて、今にも引かれてしまいそうな野良猫をギュッと抱きしめた。
大きなクラクションが鼓膜に響き、引かれてしまうとギュッと目を瞑った時だった。
突然腕を強く掴まれて、そのまま後ろに向かって引き寄せられる。
目の前を通過していくタクシーを見て、ギリギリのところで難を逃れたのだと理解した。
心臓をバクバクと煩く鳴らしながら、恩人にお礼を言おうと振り返れば、そこには愛おしくて堪らない彼女の姿があった。
「……ましろさん」
歩道に移動してそっと猫を降ろせば、大慌てで茂みの方へ逃げていった。
ましろはヒールを履いているため、いつもより目線を高くあげる。
黒髪のロングヘアは綺麗に巻かれているため、とても高校生には見えないくらい大人っぽい。
「…何考えてんの」
そんな彼女が、声を震わせて泣いている。
大きな瞳から、次々と涙を溢れさせているのだ。
「…轢かれてたかもしれないんだよ?分かってる?」
指で涙を拭いながら、そっともう片方の手でましろの肩をさする。
しゃくりを上げながら涙を流す姿に、キュッと胸が締め付けられた。
「……やめてよ………ネコちゃんまでいなくならないでよ…」
まるで子供のように泣きじゃくっている。
震える口元で、ましろは不安げに声を漏らしていた。
「ネコちゃんは…私とずっと一緒にいてよ」
彼女に釣られて、寧々子も一筋涙を零れ落としていた。
怖いと、不安だと。
幼い子供のように泣きじゃくる姿に、気づけば体を抱き寄せていた。
背後に手をまわして、彼女の肩に顔を埋めながら、ずっと言いたくて仕方なかった言葉を口にする。
「……ましろさん」
「……なに」
「………ましろさんのことが好きです」
「……ッ嘘でしょ?」
信じられないと言ったように、目を見開いている。
だけど僅かに瞳には期待を滲ませていて、傷つくことに恐れて、素直に受け入れられないのだ。
「だって…私の告白流したじゃん…」
「……信じてもらえないかもしれないけど…発情期の状態で冷静じゃありませんでした…熱にうなされてるみたいに、頭が回らなくて…言葉を返す余裕がなかった」
震えるましろの背中を、優しくさすっていた。
怖くないよと、不安がらなくていいんだよと。
かつて自信がなくて、下ばかり向いていた自分に似た彼女に優しく語り掛ける。
「発情期の前後は記憶が飛ぶことがあって…今日、魔女さんのおかげであの時何があったか全部知ったんです」
言葉を伝えても、ましろは尚不安そうに首を横に振っていた。
それくらい、彼女の心を深く傷つけてしまったのは寧々子だ。
「…信じられないですか?」
「怖い…」
その場に泣き崩れたましろと同じ高さまでしゃがみ込む。
必死に頭を撫でる手つきも、彼女から教わったものだ。
「……大切な人がいなくなるのも…誰かから酷いことを言われるのも…全部、怖い…化け物扱いされるのも…」
「ましろさんは化け物なんかじゃない」
「ネコちゃんが…私なんか好きにならないでしょ」
少し強引にましろの頬を掴んで、こちらに向かせる。
そして、人が往来する駅前にも関わらず、ましろにキスを落とした。
ジロジロと見られているけれど、そんなことどうでもいい。
今この人と向き合うために、他人の視線なんて気にしていられない。
「……私も、同じでした」
人からとやかく言われるのが怖くて、いつも隠れて生きてきた。
人気者のましろが寧々子なんかを好きになるはずがないと諦めて、我慢ばかりを覚えてきたけれど、本当は誰よりも愛される幸せに飢えていたのだ。
「自分に自信がなくて…こんな見た目の私を好きになってくれる人なんていないって…ましろさんが私なんて好きになるはずがないって思い込んでた」
「ネコちゃんは綺麗だよ…髪色も、目も…キラキラしてて、眩しくて…」
「……あなたがそう言ってくれるから、自分を好きになれたんです」
手を取って、ギュッと指を絡ませ合いながら握り込む。
手のひらから伝わる彼女の温もりが、堪らなく好きだ。
「……吸血鬼のましろさんが好きです。私の血を美味しそうに吸う姿も、あなたに付けられる吸血痕も…全部が愛おしい」
新たに瞳から溢れさせた涙にそっと口づける。
僅かにしょっぱい涙。
もうこれ以上泣かないで欲しい。
泣き顔よりも笑っている姿の方が好きなのだ。
「……ましろさんが不安になったら何度でも言います。ましろさんは素敵で、可愛くて…私が何年間も片想いしちゃうくらい魅力的な人だって」
「……ッ」
「…私も、1人なら無理でした。周りの目も、長年構築された劣等感も…きっと乗り越えられなかった。けど、ましろさんとなら…何にだってなれる気がしちゃうんです」
握っていた手を、彼女の方から強く握り込まれる。
光の宿った瞳を見て、ホッと安心感に包まれていた。
「…もう一回、言って」
「ましろさんが好きです…大好きです」
「私もネコちゃんが好きだよ」
むくれたような顔をして見せれば、ましろが気づいたように笑みを浮かべる。
頬に涙の痕を残しているというのに、その笑みは酷く幸せそうだった。
「寧々子が好き」
4年間待ちわびてきた瞬間。
好きな人から、同じように愛の言葉を返されて、2人で笑い合う。
今度は寧々子の方が大泣きしてしまいそうで、必死にこみ上げてくるものを堪える。
だけど抑えなんて効かなくて、気づけば涙を零してしまっていた。
それに釣られるように、ましろも再び涙を流す。
2人でギュッと手を握りながら泣いているのに、心は酷く温かくて。
幸福で流す涙がこんなにも暖かいことを初めて知った。
彼女を好きになって本当に良かったと、今そう思えることが何よりもうれしくて仕方ないのだ。
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