第43話
アンティーク調の椅子に座っている女性は、恐らく寧々子と同い年くらいだろうか。
眼鏡を掛けた大人しそうな雰囲気の彼女に、ルルはニコニコと嬉しそうに声を掛けていた。
「魔女さん!元気だった?」
部屋に招き入れられたものの、魔女と呼ばれる女性は決して歓迎しているわけではないらしい。
どこか困ったように眉間に皺を寄せながら、ため息を吐いている。
「何しに来たんですか。もうここに来たらダメってあれほど…」
「ごめんって…それでね、今日はあの人の記憶を辿って欲しいの」
あの人、とルルが指さしたのは当然寧々子だ。
眼鏡越しに、魔女とパチリと視線がある。
丸めがちな瞳は、とても可愛らしい印象を受けた。
「寧々子お姉ちゃんも猫族の人だから」
「そうだったんですか……?だったら早く言ってくれたらよかったのに」
自分と同じ、姿を隠して生きている一族だと知って、魔女は警戒心を解いているようだった。
猫族と同じように、魔女も自身の存在を悟られないようにひっそりと生きているのだろう。
「噂では聞いたことがありましたが…本当に猫族の方っていらっしゃったんですね…」
「すみません、突然押しかけて…」
「いえ…」
「それで、魔女さんって本当に魔女なんですか…?」
出されたカップに口を付ければ、ローズヒップティー特有のほのかな酸味がする。
ガーデニングでバラの花ばかり栽培している辺り、恐らく彼女の好きな花なのだろう。
アンティーク家具が沢山並んだ室内。
薄暗い照明も相まって、異空間に来てしまったような感覚だった。
「ルルちゃんが勝手にそう言っているだけで…私たちの家系は代々、水晶で他者の記憶を覗き込むことが出来るだけです」
「そんなことが…?」
「あなたも猫になれるのだから、そこまで驚くことではないでしょう?…そんな趣味の悪い行為を、ルルちゃんは魔女だと面白がって言っているだけで…」
「なるほど……」
ルルの無邪気さに、訂正する気にもなれないのだろう。
子供らしくはしゃぐ姿を見ていると、否定するのも野暮だと思ったのかもしれない。
「寧々子お姉ちゃんね、好きな人怒らせちゃったけど、その理由が分かんないんだって。ずっと悩んで可哀想だから、魔女さんがどうにかしてあげてよ」
「私が見せられるのは、過去の事実だけです。お相手のお気持ちまでは…」
「それでも構わないです…」
ギュッと下唇を噛みしめる。
発情期の最中、もしかしたら何かあったのではないかと気になって仕方ない。
大切な何かを忘れてしまっているのであれば、取り戻したいと思ってしまうのだ。
「辿るのは寧々子様の記憶で宜しいですか?」
「ましろさ…相手の記憶も見ることが出来るんですか?」
「その方を直接連れてきて頂くか…お写真があれば、過去の記憶を覗き見ることは可能です」
そう言いながら水晶を取り出す姿は、まさしく魔法使いのようだった。
本人は否定しているが、魔女だとルルがはしゃぎたくなる理由が分かるような気がしてしまう。
「ルルちゃんは隣の部屋にいてください」
「えーなんで?」
「後でお菓子あげるから」
もしかしたら魔女は寧々子よりも、ルルの扱いに慣れているのかもしれない。
お菓子というワードに笑みを浮かべながら、ルルは「分かった!」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
2人きりになった室内で、魔女は両手を水晶にかざしていた。
「それで…どちらに致しますか?」
「…私の記憶でお願いします」
許可もなくましろの記憶を盗み見るわけにもいかない。
同じ時間を共有していたのだから、寧々子の記憶で問題ないだろう。
「いつ頃まで遡りましょうか」
「えっと…」
スマートフォンでスケジュールを確認して、発情期の起きた日付を魔女に伝える。
「お時間帯は?」
「夕方頃で…」
「分かりました。じゃあ、映し出しますよ」
透明だった水晶が、ゆっくりと白濁色に染まっていく。
次第に色が浮かんでいって、あっという間にあの日の映像が水晶玉に映し出されていた。
『んっ…ンッ…!ましろさん…』
部屋に響き渡った寧々子の声に、驚いたように魔女が水晶から手を離す。
寧々子も羞恥心で一気に頬を赤らめた。
失った記憶を辿ることに必死ですっかり忘れていたが、あの時の記憶ということは、つまり情事の真っ最中を見返すことになるのだ。
ベッドでいやらしく絡み合う姿を初対面の相手に見られた羞恥心で、とてつもない羞恥心がこみ上げてくる。
「なんですかこれは!」
「ご、ごめんなさい…」
同じくらい、魔女も頬を赤く染め上げていた。
女性同士が体を絡ませ合う場面を突然見せられて、狼狽えて当然だろう。
「……続き、本当に見るのですか」
「うう……本当にごめんなさい…おねがいします」
魔女が水晶体に手をかざせば、先ほどの続きが映し出される。
恥ずかしそうに目を瞑っている魔女への申し訳なさに襲われながら、細目にしながら映像を眺めていた。
「あ……」
あの時の寧々子を可愛がっている彼女は、酷く幸せそうな顔をしている。
嫌そうなものではなくて、愛おしそうに寧々子を見つめているのだ。
『んっ…あぅっ…にゃぁっ…』
『可愛いね、寧々子は』
はしたない自分の声を聞いて、可愛いと言ってくれている。
ジッと映像を眺めていれば、続いて聞こえてきたましろの言葉に耳を疑う。
『……好きだよ、寧々子』
『も、いいから……早くっ…』
こんなこと覚えていない。
ましろが寧々子に告白してくれていたなんて、記憶のどこにも残っていなかった。
「嘘……」
熱にうなされるあまり、ましろの言葉に耳を傾ける余裕がなかったのだろう。
直接的な快感に飢えていたせいで、彼女の言葉を聞き流してしまったのだ。
ましろは寧々子に想いを渡してくれていたのに。
好きという言葉を流されて、先ほどまで幸せそうにしていた彼女の表情が一転する。
いまにも泣きそうに表情を歪めながら、震える声を漏らしていた。
『変なこと言って、ごめんね…』
きっと、彼女はひどく傷ついた。
想いを蔑ろにされたと思い込んで、恋が散ってしまったと、そう受け取ってしまった。
自分の思いをまるで無かったもののように扱われて、どれだけ苦しかっただろう。
「もう、いいです…」
「…よ、よろしいのですか」
顔を手で覆って、項垂れる。
自分に対する苛立ちで、頭がおかしくなってしまいそうだった。
今振り返ってみれば、行為を済ませた後。
夜中に目覚めた時、ましろが吐いた言葉は違和感しかないのだ。
『ネコちゃん好きな人いるんでしょ?私も……実は他に好きな人いてさ』
『……ッ』
『でも、その子好きな子いるからさ。ネコちゃんも片想いの相手と上手くいってないんだったら…』
あの時は、ましろが他に好きな人がいるのだと思っていたけれど、今考えれば言い回しが不可解だ。
彼女は寧々子とはまた別に、他に好きな人がいると伝えたかったのだ。
そうすれば、寧々子が警戒せずにギクシャクせずに済むと考えた。
苦しそうに、あの時のましろの表情は確かに歪んでいた。
『だから、気にしないで。ネコちゃんがその人と両思いになれるまでの間…発情期の期間は付き合ってあげるから』
『どうしてですか…』
『…気持ちよかったから、またシてもいいかなって……ネコちゃんのこと、そこまで好きじゃないから…変な気起こしたりしないから、安心してよ』
一体どんな気持ちだったのか。
どれほど胸が痛んだのか。
想像するだけで涙が込み上げて、苦しいけれど。
本当に傷ついたのは、彼女だ。
今も尚、ましろは勘違いして苦しみ続けている。
「…魔女さん、ありがとうございました。また今度改めてお礼にきます」
「いえ…」
「ルルちゃんは隣の部屋ですよね?」
「…私が送りますので、あなたはどうぞお相手の方の元へ」
深々と頭を下げる。彼女がいなければ、寧々子とましろの間で生じたすれ違いは、この先ずっと解消されることがなかっただろう。
「ありがとうございました…!」
堪えきれずに溢れた涙を拭いながら、魔女の家を飛び出す。
息を荒く吐きながら、愛おしい彼女を抱きしめるために足を進めていた。
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