第41話


 気づけば定位置となった公園のベンチで、ルルと共に駄菓子を頬張る。


 夏休み中のため、公園内にはルルと同い年くらいの子供で溢れていた。


 彼女が気に入っているシーソーも、先ほどから独占状態でまったく順番が回ってこない。


 「寧々子お姉ちゃん何かあったの?」


 心配を掛けないように、ルルの前では平常心を保てているつもりだった。

 笑顔を張り付けて、普段以上に明るく振る舞えていると思っていたが、彼女には全て見抜かれてしまっていたらしい。


 「え…」

 「元気ないから。夏休み入ったばかりの頃にくらべたら、暗いよ」


 子供らしい直接的な言葉。

 相談しようにも、まだ小学生のルルにあの出来事を全て打ち明けられるはずもない。


 好きな人が別の誰かを好きで、心が手に入らないから、体だけの関係を持ってしまっている。


 なるべく勘付かれないように、ぼかしながら言葉を伝えた。


 「……後悔してるの」

 「後悔?」

 「発情期がきて…それ以来ましろさんとギクシャクしちゃって…」

 「寧々子お姉ちゃん、何かしたの?」


 ましろは他に好きな人がいて、寧々子が別の誰かを好きだと思い込んでいるのだ。

 発情期の間だけ体の関係を結んでやると言われて、自分でそれを受け入れたくせに。


 いざセフレのような関係になってみれば、苦しくて仕方ない。

 彼女の心を自分のものにしてしまいたいと、欲望ばかりが膨らんでしまっている。


 「悪いことしたなら、謝ったほうがいいよ?」


 あの行為はどちらかと言えば、咎められてしまうものだろう。

 想いを通じ合わせていないにも関わらず、体の関係を持った。


 発情期中とはいえ、強引にましろに迫ったのは寧々子なのだ。

 彼女は他に好きな人がいるのに、寧々子が我が儘を言って関係を迫った。


 あの時は冷静じゃなくて、普段の寧々子からしたら考えられないほど大胆になってしまっていたのだ。


 「どう謝ればいいのかなって…どこまで戻れば、ましろさんと前みたいな関係に戻れるのか……」


 「ネコちゃん」と優しく呼んでくれた頃の方が、今よりも距離が近くて、心を通わせあえていたような気がしてしまう。

 

 体を重ねれば重ねるほど、ましろが遠くへ行ってしまうような錯覚を起こすのだ。


 「寧々子お姉ちゃん…」


 元気のない寧々子を見て、ルルが心配そうに眉根を寄せてしまう。

 年下の女の子にそんな顔をさせているのが申し訳なくて、優しく彼女の頭を撫でた。


 純粋で優しい彼女には、どうか笑顔でいて欲しいのだ。


 「でも、ルルちゃんと会ったら元気出たよ。ありがとね」

 「いーよ、あ!シーソーあいてるじゃん!」


 早く、と急かされてベンチから立ち上がる。

 向かい合ってルルとシーソーを楽しみながら、ひと時の間僅かに心を軽くさせていた。


 




 レンゲで麻婆豆腐を食べているだけにも関わらず、相変わらず綺麗な人だと見惚れてしまう。珍しく長い黒髪は一つで結ばれていて、その姿が新鮮だ。


 「今日の麻婆豆腐美味しいね」

 「本当ですか?レシピを前と変えてみたんです」


 何気ない会話が幸せだったあの頃が、酷く懐かしく感じてしまう。

 ただ彼女の連絡先を知って、一緒に暮らしたばかりのあの頃の方が、よっぽど幸せだった。


 ましろの柔肌の感覚を知って幸せなはずなのに。

 何も知らなかったあの頃に想いを馳せてしまうのは、今の状況に納得できていないからだろう。





 シングルベッドに横たわる2人の距離は酷く近くて、何もしらない人が見れば愛し合う恋人同士のように見えるのだろうか。


 吸血行為も済ませてしまったため、今夜はこのまま眠りに落ちるのだろう。


 薄手のパジャマを着こんだましろの、生活感溢れる姿。

 赤色のリップを落としたましろは、いつもよりあどけない顔をしていた。


 「……ネコちゃんの好きな人ってどんな人?」

 「凄く素敵な人です」


 あなたです、とは言えるはずがなかった。

 言っても困らせるだけだと分かっているから、必死に心の中に留めている。


 「…最初は綺麗で格好いいって憧れてたんですけど…実は結構不器用で…でもやっぱり、大人っぽくて…」


 愛おしさが切なさに変わって、次第に声が震え始める。

 至近距離にいる彼女は、きっと寧々子の変化に気づいているだろう。


 瞳にはジワジワと涙の膜が張り始めて、気づけば頬を伝って零れ落ちてしまっていた。


 好きなのだ。


 心の底から、どうしようもなくましろが好きで、本当は同じ想いを返してもらいたい。


 好きだよと、言ってもらいたかった。


 「ネコちゃん… 」

 「……本当にっ…素敵な人で…」


 触れるだけのキスは一瞬だ。

 ふわりと触れたましろの唇を、じっと眺める。


 「泣いちゃうくらい辛いなら…そんな恋、忘れたらいいのに」


 なんてこの人は残酷なのだろう。

 それを目の前で言わなくてもいいじゃないかと、更に喉がヒリヒリと痛んだ。


 ギュッと唇を噛みしめながら、必死に首を横に振る。


 「やです…」

 「……ッ」

 「忘れたくない…っ」


 体に覆い被さられて、そのまま首筋にキスを落とされる。

 少し強引に吸い付かれた首筋は、いつもより力が強いせいで痛みを感じていた。


 「痛っ…」


 こんな乱暴な手つきで触れられたのは初めてで、戸惑ってしまう。

 ワンピース型の部屋着をたくし上げられて、露わになったブラのホックをあっというまに外されてしまった。


 「ましろさん……」


 胸に顔を埋められて、ビクンと肩を跳ねさせる。

 敏感な箇所を弾かれるたびに、もどかしさから甘い声が漏れた。


 「んっ…」


 寧々子は今、発情期じゃない。

 にも関わらず、ましろは行為を始めようとしている。


 太ももをいやらしく撫で上げられながら、必死に声を上げた。


 「…発情期じゃないのに」

 「……そうだね」

 「ましろさん…」

 「もう、黙って」


 心地よくて、気持ち良いのに。

 どうしてこんなに苦しくて仕方ないのだろう。


 発情期じゃないことをましろは知っているのに、どうして触れてくれるのか。

 残酷な現実を見せつけられても、愚かな寧々子はまだ期待してしまう。


 少しでも気を抜けば自分の良いように捉えて、想いを打ち明けたくなってしまう。


 だからやめてほしい。これ以上、そんなに優しい手つきで触れないでと言わなきゃいけないのに。


 ましろのことが好きでたまらないからこそ、されるがままになってしまうのだ。

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