第39話


 猫族の発情期には個人差はあるが、主に日照時間の長い春から夏の間に引き起こされる。


 多い子だと4回以上で、少なければ2回ほど。

 夏が終わるまであと1ヶ月ほどだが、果たして今年はあと何回発情期が来るのか分からない。


 何より初めての発情期なため、分からないことだらけなのだ。






 散らばっている葉をホウキで掃除していれば、じんわりと額に汗が滲んでいく。


 8月の中旬はまだ熱く、一番日差しの強い昼間となれば直射日光がかなり強いのだ。


 綺麗に洗った花立に、今朝買ったばかりの菊の花を指す。

 お供え物には、母親の好きだった有名店のクッキーを置いた。


 「じゃあ火つけるぞ」


 父親がマッチでろうそくに火を灯した後、お線香を線香受けに寝かせる。

 お盆の季節に、家族で母親のお墓参りにやって来ていた。


 事故死だった母親は、寧々子が小学生の頃に亡くなってしまったのだ。

 まだ幼かったこともあって、当然酷く困惑した。


 深い悲しみに暮れて、暫くの間食事が喉を通らなかったほどだ。


 父親や姉の寧々香がいなければ、そのままずっと塞ぎこんでしまっていたかもしれない。


 「……お母さん、寧々子も恋人が出来たんだよ」


 姉の言葉に罪悪感で胸がチクンと痛んだ。

 嬉しそうに話しているけれど、実際は偽の恋人で、最近ではセフレになってしまった。


 きっと母親が知れば喜ぶような関係ではないと自覚があるからこそ、チクチクと胸が痛むのだ。


 「…きっと一番安心してるの、お母さんだよ。ずっと寧々子のこと心配してたから…」

 「そうだっけ…」

 「忘れたの?白猫のオッドアイで…自然界だと生き抜くのは難しいって言われてるんだよ。だから、目立つ見た目で色々言われて…泣いてばかりだった寧々子のこといつも慰めてくれてたじゃん」


 同じく白猫だった母親は、寧々子とお揃いの白髪だった。

 2人一緒にいるととても目立ったけれど、母親とお揃いだと思うとそれだけで嬉しかったのだ。


 幼稚園で誰かに髪色を悪く言われても、母親が髪を撫でてくれるだけで癒されていたかつての心情がこみ上げてくる。 


 同じ白猫だったからこそ、悩みを分かち合えたのだ。


 「頑張ったね、寧々子」


 姉に頭を撫でられても、苦笑いを浮かべることしかできなかった。 

 

 「……怖がりで臆病だった寧々子が一歩踏み出せて…本当によかった」


 実際は何も踏み出せていない。

 結局は立ち往生してばかりで、逃げ続けている。


 寧々子を心配してくれる彼らのことを考えると、ましろと中途半端な関係なままでいてはいけないと分かっているのに。


 大切な人に隠し事をしながら、ましろと不毛な関係を続けてしまっている罪悪感に、今更ながら胸が苦しくなっていた。






 体を重ねる際に恥ずかしい箇所は全て見られたにも関わらず、あれ以来彼女と顔を見合わせるのが気まずかった。


 一番大切な心をずっと隠したままでいるせいかもしれない。


 「ネコちゃん」


 お風呂から上がったましろは、やはり以前の呼び方のまま寧々子を呼んだ。


 「寧々子」と呼んでくれたのは幻聴だったのではと疑ってしまうほど、名前で呼ばれたのは本当に僅かな期間だった。


 発情期はあれ以来訪れていないため、体も重ねていないまま。

 体を絡ませ合う前よりも、心の距離が遠くなった気がしてしまう。


 この関係に後ろめたさを感じているからこそ、真っすぐにましろの目を見れないのだ。


 「何ですか?」

 「お腹空いた」


 Tシャツを軽く引っ張って首筋を露わにすれば、ましろが顔を埋めて美味しそうに吸い出す。


 「ンッ…」


 熱い吐息が触れる感覚がくすぐったくて身を捩れば、あっさりと彼女の口が離れていく。


 つけられたばかりの吸血痕を、ましろは何度も指でなぞっていた。


 「発情期はきてない?平気?」

 「はい…もしかしたら、今年は一回で済むかもしれません」


 そうしたら、ましろと触れ合うこともない。

 来年発情期が来るまでの間、およそ1年間彼女の肌に触れられないのだ。

 

 ましろは寧々子ではない別の誰かが好きで。

 寧々子はましろが好きだけど、他の人に想いを寄せていると勘違いされている。


 「…そっか、好きな人とはあれから進展あった?」

 「…寧ろ、遠ざかっちゃいました」

 「そいつ見る目ないね」


 残酷だ。

 その見る目がない女性は、あなたなのに。


 「もし発情期がまたきたら…可愛がってくれるんですよね?」

 「もちろん…満足するまで相手してあげるよ」


 ギュッと下唇を噛みしめながら、最悪の考えが浮かんでしまう。

 およそ1年もの間、ましろの肌に触れられなくなってしまうのであれば。


 今嘘をついてでも、触れ合ってしまおうかと、そんな邪な考えに襲われていた。


 嘘をついて、この人の肌に触れてしまいたい

 心が手に入らないから、せめて体だけでも。


 「……楽しみにしてます」

 「ネコちゃんも気持ちよかったの?」

 「はい……」

 「好きでもない相手とでも気持ちよくなれるって……発情期ってすごいね」

 「……ですね」


 好きだったから、気持ち良かったのだ。

 あなただったから、あんなにも幸せな気持ちで身を委ねられたのだ。


 こんな中途半端な関係を続けてはいけないと分かっているのに。

 

 ましろの柔肌の感触を。

 行為の時の表情を。

 時折漏れる声を知ってしまったから。


 もう2度と、他の誰かに知られたくないと思ってしまっているのだ。

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