第31話
あまり足を運ばない6丁目へやってきた寧々子は、視線を下げて「噂の犬」を探していた。
以前の猫端会議でも上がった、野良犬とは思えない犬種の落ち着いた犬。
道行く猫に挨拶をされて、軽く会釈をしながら足を進めていく。
中々それらしき犬はおらず、半ばあきらめかけた時だ。
「…あれ」
モフモフと、軽快な足取りで颯爽と寧々子の前を横切る犬。
巷でも可愛いと有名なその犬はポメラニアンだ。
「え、ポメラニアン……?」
辺りを見渡すが誰もおらず、ノーリードで散歩をしているわけでもなさそうだ。
ポメラニアンの野良なんているはずがなく、間違いなく捨て犬か迷い犬だ。
逃げ出してしまったのであれば飼い主の元まで返してあげたいし、捨て犬であればあの子が安心して暮らせるような里親を探し出してあげたい。
慌てて駆け寄って、背後からポメラニアンに声を掛ける。
「あの…」
猫族の寧々子が会話を出来るのは猫だけで、それ以外の動物とは意思疎通を交わすことはできない。
そっとポメラニアンの体を抱き上げれば、抵抗せずに大人しく抱っこをさせてくれた。
人懐っこいため、人間慣れしていることは確かだろう。
キュルキュルとした黒目がちな瞳が可愛らしく、気を抜けば引き込まれてしまいそうなくらいの魅力を持っている。
「キミだよね…?」
不思議そうに、ポメラニアンがコテンと首を傾げる。
まるで話が通じているようで、その愛らしさに更に胸をきゅんとさせてしまっていた。
『寧々子様』
背後から声を掛けられて振り返れば、そこには6丁目の番長であるキジ猫の姿があった。
寧々子が抱きかかえているポメラニアンを見て、いそいそとこちらに駆け寄ってくる。
『寧々子様、そいつだ。うちの縄張りを歩いているモフモフな犬』
「確かに飼い犬っぽい…けど首輪とかしてないし…」
『そもそも毎日見かけるわけじゃないんだ。一体どこから湧いて出るのか…』
「一回うちに連れて帰るね。ここ怪我してるみたいなの」
歩いている時にガラスでも踏んでしまったのか、ポメラニアンの前足からは僅かに血が出ていた。
何食わぬ顔で歩いていたため痛みはないのかもしれないが、やはり心配になってしまう。
『痛そうだ…』
「治療して、飼い主さん探してみるよ」
『頼んだ』
改めてポメラニアンを抱え直してから、ましろの家に向かって足を進める。
普段猫ばかりと戯れていたため、犬のモフモフとした長毛の手触りが新鮮だ。
道中でポメラニアンが暴れ出してしまったせいで、ましろの家に到着する頃にはすっかり体力を消耗していた。
ろくに運動もしていなかったため、体力は勿論握力も落ちているのかもしれない。
少しは運動しようと考えながら、ポメラニアンを抱きながら風呂場へ。
毛並みは汚れていないが、ずっと外にいたのであれば一度体を洗ってあげようと思ったのだ。
暴れて水が跳ねた時に備えて、寧々子も服を全て脱いでから一緒にシャワーを浴びる。
ぬるま湯を優しく体に掛けてやれば、嫌がるように体を捩り始めた。
「ちょっ…どうしたの?」
道中とは比にならないほど嫌がっていて、寧々子が手をどかそうものなら玄関に向かって走り出してしまいそうだ。
なるべくポメラニアンが嫌がらないように、一度抱きしめようとシャワーのお湯を止める。
「落ち着いて」
風呂場をぐるぐると駆け回っているポメラニアンを抱っこするが、それでも尚逃げようとジタバタしていた。
「ポメちゃん、動かないで」
「良い加減にして!」
突然聞こえた第三者の声。
衝撃でバランスを崩したせいで、床に背中を打ち付けた痛みから顔をしかめた。
体に人肌が覆いかぶさっている感覚。
信じられないと目を見開きながら、押し倒すように寧々子に被さる女性を見つめていた。
「……ッ」
あのモフモフで愛くるしかったポメラニアンが、突如として人間の女性に変身したのだ。
咄嗟に逃げようと身を捩るが、女性によって口元を塞がれてしまったためそれは叶わなかった。
「ンー……んっ!んぅ!」
「さわがないで!あと、今見たこと絶対内緒にして」
「んっ!ん……」
返事をしようにも、口をふさがれているため伝えられない。
初めて見たが、間違いない。
彼女は犬になることができる、犬族の女性だ。
猫族と同じように存在を隠して生きている一族なため、きっと寧々子に変身姿を見られて彼女は取り乱している。
しかし、全裸の女性に同じく全裸の状態で押し倒されて、口元を手でおおわれている寧々子だって軽くパニック状態だ。
息苦しさで一筋涙を零れさせた時、風呂場の扉が開く。
「ネコちゃん?凄い音聞こえたけど……は?」
タイミングが良いのか、果たして悪いのか。
今日、ましろは姉達と遊びに行っていて、帰宅はもう少し後になると聞いていた。
偶然早く帰ってきたために、何も纏っていない裸体を彼女に見られてしまったのだ。
羞恥心で一気に全身を染め上げれば、勢いよく覆いかぶさっていた女性が離れていく。
「なにしてんの!?」
鋭く女性を睨みつけた後、庇うようにましろが寧々子の前に立ちふさがる。
必死に体を見られないように身を丸くさせながら、ましろが何か勘違いをしていることに気づいた。
今にも女性に噛みつきそうなほど、ましろは怒りを露わにしている。
「あんた誰?ネコちゃんになにするつもりだったわけ」
「はあ?あんたこそ誰、てかここどこよ!」
「不法侵入して何言ってんの?警察呼ぶけど」
「警察!?ちょっと待ってよ」
帰宅したら同居人が全裸の女性に押し倒されて、服を全て脱がされた状態で泣きながら口元を塞がれている。
泣いていたのは呼吸をし辛い息苦しさからのものだが、何も知らないましろからはどう見えたのか。
今にも一発触発しそうな雰囲気のましろに、慌てて声を上げる。
「違うんです、ましろ先輩」
「……ッネコちゃんの知り合い?」
「知り合いではないんですけど……えっと、怪我したポメラニアンを連れて帰ったら…」
「その話がどうこの女の人と繋がるわけ」
訳が分からないと言ったように、ましろが眉間に皺を寄せる。
「散歩してたら勝手に連れて帰ったのそっちでしょ!何で、私が悪者みたいになってんのよ」
今にも泣きそうになりながら、女性が大声で叫ぶ。
何も知らなかったとはいえ、歩いていたらいきなり連れていかれて、焦っているのは彼女も一緒だ。
「ご、ごめんなさい…」
「なんでネコちゃんが謝るの」
「もうやだ、お家帰りたいから服貸して!」
それぞれが好きな言葉を叫ぶせいで、狭い風呂場で声が反響してしまう。
好きな彼女に裸体を見られないように必死に体を隠しながら、今のカオスな状況にこっそりとため息を吐いてしまっていた。
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