第29話
人がごった返している駅の改札前で、ひときわ目立つ姉の姿を見つける。目鼻立ちがはっきりとした姉は妹の寧々子から見ても綺麗で、秘かに自慢の姉だと思っていた。
勿論恥ずかしいため直接言うことはないが、優しくて寧々子のことを可愛がってくれる姉が大好きなのだ。
駆け寄って声を掛ければ、彼女は僅かに驚いたような顔をしていた。
「髪、可愛いじゃん。それにコンタクトも」
変化を指摘されるのが照れくさくてはにかめば、どこか嬉しそうに姉も笑みを浮かべて見せる。
「やっぱり恋ってすごいね」
「え…」
「あんなに内気だった寧々子を、こんなに可愛くしちゃうんだもん」
「そうかな……?」
「髪、自分でやったの?」
「ましろ先輩がやってくれた」
「まだ先輩呼びしてるの?恋人なのに」
言われてみれば、恋人のふりをしているのだから今の呼び方は不自然かもしれない。
寧々子とましろが同じ中学校に通っていたのは僅か1年の間で、先輩呼びをするには接点が少ない。
寧々子に対して「ネコちゃん」と呼ぶのも友人の妹への愛称で、葵や花怜などの他の友人と同じ呼び方だ。
もし「ましろさん」と呼びたいと言えば、彼女はどんな顔をするだろう。
寧々子と呼んで欲しいと言えば、困らせてしまうのだろうか。
モフモフな猫が密集する店内にいるお客さんは、皆が幸せそうに顔を綻ばせている。わざわざここに来る人は皆猫好きで、きっと天国のような空間なのだ。
そんな中で、寧々子は姉の寧々香と共に一番在籍期間の長い猫と話していた。
「変わりない?」
『はい!ここの方みんな優しいから、居心地良いです 』
ニコニコと答える姿からして、間違いなく本心だろう。
毛並みもよく、どの猫も健康的な体型をしている。
「なにかあったら言うんだよ」
『はい!あ、あの方おやつ持ってる……』
「行っておいで」
トタトタと嬉しそうに、長毛な猫はおやつを持った若い女性の方へ駆けていった。
寧々子たちは決してネコと戯れるためにやってきたのではなくて、不幸な目に遭っている猫がいないか監視を兼ねてやってきたのだ。
中には悪徳なやり方で猫を苦しめている団体もいるため、そういった人たちから守ることも猫族の使命。
猫族の人間は保護ネコ団体に属しており、猫の幸せのために勤めているのだ。
「そういえば寧々子、発情期はもうきたの?」
正直に首を横に振る。
体が興奮状態に包まれる発情期は、主に春と夏に起きるのが一般的だ。
大体1年に2回から4回で、一度始まれば7日間は発情状態に見舞われる。
早く終わらせるには、いわゆるそういった行為を満足するまでしてしまうのが手っ取り早いため、パートナーを作るように姉は口うるさく言っていたのだ。
「けど良かったよ。一人で発情期入っちゃったら結構辛いし…ましろがいて」
「…そうだよね」
二人は恋人同士のフリをしているだけで、付き合ってはいない。
ましろのそばにいられる生活が楽しくて最近は考えていなかったが、もし初めての発情期が訪れた時、寧々子はどうすればいいのだろう。
経験がないため、どれくらい苦しいのかも分からない。
一人で乗り切れればいいが、もし耐えられなかった時、どうなってしまうのだろう。
「そうだ、今度の猫端会議、私の代わりに参加してくれない?」
「え…」
「テストの点が悪くて補習になっちゃって…」
お願いと頼み込まれて、ろくに予定もない寧々子はすぐに二つ返事を返す。
猫端会議は各丁目の番長猫が集まる会議で、番長を張るだけあって皆が曲者揃いなのだ。
困ったことはないか、危険の予兆などを報告しあう猫端会議は、猫族ごとに管轄を決めており、猫ノ山家も1丁目から8丁目を纏めるように割り振られているのだ。
意外なことに、寧々子が散々お世話になっている三毛猫も3丁目の番長を務めている。
あの温厚さにも関わらず、一体どうやって天辺まで上り詰めたのかは謎のままだ。
温厚な番長猫といえば三毛猫くらいで、あとは皆様々な意味で気が強く、個性派ぞろい。
引き受けたは良いものの、自分に出来るだろうかと不安に駆られてしまっていた。
きっと傍から見たら、この姿はどう見えるのだろう。
薄暗い路地裏で円状になって座っている8匹の猫と、どう見ても高校生くらいの白髪の寧々子。
おまけに猫族以外の人は彼らが「ニャーニャー」言ってるようにしか聞こえないのだから、彼らに話しかける寧々子は間違いなく頭のおかしい女だ。
そんなことを考えながら、鋭い眼光で睨みつけてくる4丁目のトラ猫から必死に目を背けていた。
『今日は寧々子様が会議長なのですね』
いつも通り温厚な三毛猫に心癒される。
姉ではなく寧々子が来たため、警戒心の強い猫は品定めをしているのだ。
会議長は猫族の猫ノ山家が取り持つのが通例だ。
はるか昔から、猫族は地域猫を守るために活動してきた。
寧々子たちの先祖の代から、代々猫を守るために奮闘してきたのだ。
『こんな小娘に何ができるんだか』
4丁目の虎猫が悪態をつけば、信じられないと言わんばかりに目を見開いて1丁目の黒猫が牙をむく。
『何てこと言うの、寧々子様に向かって…』
『俺は今日見定めてやるつもりで来たんだよ』
『…っ寧々子様に謝りなさいよ!』
どんどんヒートアップしていく2匹に、こっそりとため息を吐きたくなる。
どうか彼らの鳴き声に不信がった人が、この路地裏を覗きませんようにと心の中で祈っていた。
「みんな最近困ってることはない?ご飯とかちゃんともらってる?」
『おうよ、あ…けど…俺の縄張りで犬が彷徨ってんだよ』
「犬…?野良犬ってこと…?」
『たまに見るんだけど、野良犬にしては綺麗って言うか…人間が連れてるのを見たことがある種類の犬だから、野生とも思えない』
不思議そうに、6丁目のキジ猫が首を傾げている。
地域猫として暮らせる猫とは違って、犬の野良は殆どいない。
かつて昔は存在したそうだが、今は発見次第保健所へ連れていかれてしまうのだ。
もしかしたら、どこかから逃げ出してしまった迷い犬の可能性もある。
同時にどこかで飼われていた犬の悲しい末路を想像して、キュッと胸が締め付けられた。
「喧嘩とかになったりしたことは?」
『ないな。こっちのご飯を取ったりしたこともないし…なんか気味悪いんだ』
「気味悪いって…」
『妙に落ち着いてて…犬なのに犬らしくない』
万が一他の猫と接触して、喧嘩をしてしまえば互いが怪我をしてしまう。
今度6丁目に寧々子が足を運んで様子を見ることで、キジ猫のターンは終わった。
続いて順番を守らずに我先に話そうとする彼らに、慣れない会議長は帰る頃にはグッタリとしてしまっていた。
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