第24話


 膝まで隠れてしまうラフなロングTシャツを一枚着込んで、ましろがいるリビングへ戻る。 

 

 戻る直前に鏡で頬の赤みが引いていることをチェックしたが、彼女の顔を見るとまたこみ上げてしまいそうで。


 それくらい、ましろが好きで仕方ないのだ。


 「カップケーキおいしかったよ。レモンティーに合ってた 」

 「よかった……おかえりなさい、ましろ先輩」

 「ただいま」


 おかえり、ただいまと言い合える幸せを噛み締めてしまう。


 特別な間柄でなければ交わすことのできない挨拶。

 そんな些細なことに、小さな幸せを感じてしまうのだ。


 「そうだ、明後日体育祭なんだけどネコちゃんくる?」


 渡されたパンフレットには、体育着を着た男子生徒が今にも走り出してしまいそうな、躍動感溢れる絵がプリントされている。


 体育祭は平日のようだが、ろくに友達もいない寧々子は他に用事があるわけもなく、すぐに2つ返事を返した。


 制服姿は毎日のように見るが、体育着姿のましろは数回しか見たことがない。

 この目に収めるチャンスだと、僅かだが下心もあった。


 「お弁当作って応援に行きますね」

 「え……?」


 狼狽えたようなその声に、自分の発言を後悔する。

 昨年も姉の体育祭には行ったが、応援をするだけでお弁当は一緒に食べなかったのだ。


 それは姉に限った話ではなく、殆どの生徒がお弁当の時間は生徒同士で食べていた。


 高校生にもなればそれが普通なのだろうが、つい小学校の頃の感覚で物事を考えてしまったのだ。


 「すみません、子供みたいなこと言って…お姉ちゃんたちと食べますよね」

 「……ほしい」

 「え、何ですか…?」

 「お弁当作って欲しい」


 腕をギュッと掴まれながら、顔を伏せてましろが小さな声を零れさせた。

 何度も首を縦に振って、頬を緩めながらその声に答える。


 「美味しいの作って持っていきます」

 「本当?」

 「楽しみにしててください」

 「やった」


 どこか照れくさそうな彼女の笑みは、あまりにも可愛すぎた。

 そんな風に照れながらはにかむのかと、また新たな一面にキュンとする。


 どうか少しでも、ましろの中で寧々子の存在が大きくなれば良いのにと願わずにいられなかった。


 「…やっぱりもうちょっとネコちゃんの猫姿みたい」

 「もう一回なりましょうか…?」

 「そうじゃなくて、猫耳姿」

 「で、でも…」

 「あれってどうやったらなるんだっけ」

 「自分でなれるものじゃないんです。あれは感情が掻き乱されたとき、無意識になるもので…」


 すべてを言い終えるより先に、彼女の端正な顔がこちらに近づいてくる。

 そして何の許可もなく、寧々子の唇を奪ってしまった。


 唇に触れた柔らかい感触に、キスをされたのだと理解する。


 好きな人からの口づけに感情が抑えられるはずもなく、気づけばぴょこんと猫耳と尻尾を露わにしてしまっていた。


 思惑通りな様子で、嬉しそうにましろは優しい手つきで猫耳のふちをなぞってきた。


 「んにゃっ…やめてくださいっ…」

 「ネコちゃんの可愛い顔も見れて、ふわふわの手触りも味わえるって最高じゃない?」

 「でも…猫耳姿とか恥ずかしい」

 「可愛いって」


 猫の姿ではなくても、可愛いと言ってもらえる。


 この姿を見るためであればキスだってしてしまうましろは、寧々子のことをどう思っているのだろう。


 寧々子であれば、好きでもない人とキスなんてしたくない。

 どんな理由があろうとも、どうでもいいと思っている人の唇の感触を知りたいと思わない。


 ましろもそうであったらいいのに。

 

 「ネコちゃんは、本当に可愛い」


 ましろに可愛いと言われるだけで、猫族でよかったと思ってしまう。

 本当に好きな人の力は偉大だと感じながら、彼女から触れられる手つきに酔いしれていた。





 関係者の証である緑色のチケットを入り口で渡してから正門を潜る。


 賑やかな雰囲気に混ざって不審者が入ってこられないように、各生徒ごとに4枚まで名前入りの入場チケットを渡されるのだ。


 昨年までは姉の名前が記載されたチケットを渡していたと言うのに、今年は大好きな彼女の名前のもので入場した。


 立野ましろの関係者だと証明されたようで、どこか胸が擽ったい。


 平日なため応援の保護者は決して多くない。


 寧々子たちの父親も仕事で来られず、同世代の子供は学校があるため、より一層自分が目立っているような気がした。


 「すげえ、まっしろだ」

 「誰かの妹?」

 「確か猫ノ山の妹じゃなかった?去年も来てただろ」


 ジロジロと視線を送られて、ひそひそ声で噂される。

 慣れたつもりでも、視線を浴びれば落ち着かない。


 ひっそりとため息を吐いていれば、明るい声でこちらを呼ぶ声が聞こえてくる。


 「ネコちゃんじゃん!」

 

 嬉しそうに軽くハグをしてきたのは、姉の友人である夢原花怜だった。

 後ろには高崎葵もいて、ようやく知っている顔と出会えて胸を撫でおろす。


 「花怜さん、葵さんも…」

 「ましろ探してるの?」

 「は、はい…」

 「丁度今から走る予定だよ」


 葵が指さす方向に視線を辿れば、ピストル音と共に走り出す彼女の姿があった。

 クラウチングスタートで走り出した彼女は、あっという間に周囲を置いてけぼりにしてゴールテープを切ってしまう。


 短距離だったため、ましろの活躍を見られたのは本当に僅かな時間だった。


 「やっぱり元陸上部は違いますね」

 「そうなの?」

 「中学の頃は陸上部に所属してたみたいです」

 「へえ……知らなかった…やっぱり恋人には何でも話したくなるんだろうね」

 

 保健室から裏門へと向かう途中、グラウンドで汗を流す彼女の姿を見るのが好きだった。


 当時は堂々と見る勇気もなくて、すれ違い様にこっそりとましろを盗み見て、それだけでドキドキしていたのだ。


 彼女がいたから、頑張って中学校に通えていた。

 ましろの姿が見られるかもしれないと、それだけを楽しみに足を運んでいたのだ。


 「懐かしいな…」


 体育着姿で汗を流す姿を見て、その時の記憶が蘇る。

 同時に初めて抱いた甘酸っぱい恋心を思い出して、キュッと胸を締め付けていた。

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