第22話

 

 時計の針が12時を越える前に、エコバッグに猫缶やミルクを詰め込んで、三毛猫のいる公園にやって来ていた。


 あと数時間もすれば保育園帰りの親子や、放課後を迎えた小学生がやって来てしまうため、人の少ない時間にこそこそとやってきたのだ。

 

 全日制の高校に通っているましろは、当然平日のこの時間は学校へ出かけてしまう。


 寧々子と同い年の学生は、こんな真昼間にうろついたりしないのだ。


 三毛猫の産んだ子猫は皆すくすくと成長しているようで、美味しそうにぺろぺろとミルクを舐めていた。


 その姿を三毛猫と共に優しく見守っていれば、思い出したように三毛猫が声を上げた。


 『寧々子様、あの方と一緒に暮らすことになったそうですね』

 「知ってたの…?」

 『寧々香様から聞かされました。お付き合いしているとも…』


 頷いてしまおうか悩んだが、せめて三毛猫の前では本音で話したい。


 礼儀正しくしっかりしているため、口が堅いだろうと信頼もあった。


 「それは違うの…私が猫族の男性と付き合うように言われたから恋人のフリしてくれただけで…」

 『なるほど…』

 「一緒に暮らすようになったのもね、ましろ先輩が吸血鬼だったから…吸血パートナーになったってだけ。けど全然吸ってくれないの」


 近寄ってきた子猫を優しく撫でながら、今まで貯め込んでいた不可解な点を次々と零れさせてしまう。


 「……なんでましろ先輩は私の血、吸ってくれないのかな。しかもね、ましろ先輩自分のこと化け物とか言うんだよ?」

 『寧々子様はどう思っているのですか?』

 「綺麗で優しくて、本当に素敵な人」


 憧れかつ理想でもあって、最近はそんな彼女の時折見せる笑みにこっそりと癒されている。

  

 誰に対しても、寧々子は胸を張ってましろの良さを力説できる自信があった。


 『生きていく上で、誰しも傷ついてしまうものです。寧々子様が猫族として苦労されたように…ましろ様も、吸血鬼として苦しい思いをしたのかもしれません』

 「…私が、吸血鬼の悩みなんて理解出来るのかな」

 『理解しなくて良いじゃないですか。ただ、寄り添い合えれば』

 「……ッ」


 大人な三毛猫の言葉が、どこか腑に落ちる。

 猫族も吸血鬼も、世間一般的に見れば普通ではなくて。


 まっしろな髪色と、左右で色の違うオッドアイを好奇な目で見られるたびに、寧々子も自信をなくしていった。


 同じように、彼女も何かあったのだろうか。

 苦し気に自分を化け物だと卑下するほどの出来事。


 もし、それで今も彼女が苦しんでいるのだとしたら、一体寧々子に何が出来るのだろう。





 ドライヤーを終えて、乾いた髪に仕上げとしてオイルを馴染ませる。


 猫っ毛なため、ボリュームダウンしないように軽めのオイルを愛用しているのだ。


 余ったオイルを前髪に軽く付けていれば、クッションに座っていたましろがこちらに手を伸ばしてくる。


 リビングで髪を乾かしている間、風でなびく白髪をましろはジッと眺めていたのだ。

 

 「ネコちゃんの白髪って本当に綺麗だね、柔らかくてふわふわする」


 さらさらと髪を梳かれるたびに、胸がジンと暖かくなる。

 ずっと、この髪色が好きじゃなかった。


 幼い頃は誇りに思っていたのに、周囲から心無い言葉を掛けられるにつれて自信がなくなっていったのだ。


 だけど好きな人から褒めてもらえると、少しだけ目線を上げたくなってしまう。


 「……ましろ先輩に言われると、自分の髪も目も…好きになれる気がするんです」


 誰が何と言おうと「これはましろ先輩が褒めてくれたものなんだぞ」と、跳ねのけてしまいたくなる。


 好きな人が褒めてくれるから、自分のコンプレックスも少しずつ受け入れられるような気がしてしまうのだ。


 「なにそれ、ネコちゃん可愛いのに」

 「……かわいいって…」

 「よく言われるでしょ?」

 「厨二病とかコスプレとかは言われますけど…」

 「こんなに綺麗なのに?」


 髪に触れていた指が頭部に映って、「いい子いい子」をするように撫でられる。


 「もっと自信持ちなよ」


 たった今、自信が僅かだけどこみ上げてくる。

 あなたが綺麗と言ってくれたから、可愛いと褒めてくれたから。


 それだけで、今までの悪口なんて吹き飛ばしてしまいそうだった。





 相変わらず2人で寝るには狭いベッドで、僅かに体を触れさせながら横たわる。


 カーテンの隙間から僅かに街頭の明かりが漏れる室内は、隣にいる彼女の表情がよく分からない。

 

 結局、この日もましろは寧々子の血を吸ってはくれなかった。


 冷蔵庫に入った血液パックを見るたびに、嫉妬してしまいそうになるのだから寧々子はかなり重症かもしれない。


 「…今日も吸わないんですか?」

 「もう血液パック飲んだから」

 「私の血は飲みたくないですか…?」

 「…怖くないの?」

 「え…」

 「吸血鬼から血を求められて…普通、怖いでしょ」


 暗闇の中で、彼女の声が不安そうに揺れている気がした。

 

 「怖いだなんて、一回も思ったことないです」

 「…なんでよ。化け物から血吸われるなんて嫌でしょ?」

 「嫌じゃないに決まってるじゃないですか」

 「どうしてよ……ッ」


 寧々子の言葉が受け入れられないのか、ましろの声が更に震えてしまう。


 少しでも触れれば、泣いてしまいそうな声。

 安心させるように、今度は寧々子がましろの髪に触れていた。


 ハリがある綺麗な黒髪を、なるべく優しい手つきで撫でる。


 「…何があったんですか」

 「……ッ」

 「吸血鬼として…ましろ先輩はどんな辛い想いをしたんですか」


 暫くの沈黙が立ち込めた後、彼女がポツリと言葉を漏らす。

 次第に目は暗闇に慣れ始め、彼女が瞳から涙を零れ落としていることに気づいた。


 「独り言だから、返事しないでね」


 ジッと耳を傾けていれば、ましろが衝撃的な言葉を口にする。


 「…昔、母親を襲ったの…血が飲みたくて」


 心の中で大きな傷となっているトラウマを、言葉を途切れさせながら打ち明けてくれる。


 きっと、思い出すのも辛いだろうに。


 「………小学生の頃にお母さんが事故で死んで…その時に、実は母親が愛人だったってことが分かったの。それから父親に引き取られたけど…旦那が外で作った吸血鬼の子供を……人間の女性が愛せるわけない」


 母親が亡くなってからは父親に連れられて本妻と3人で暮らすようになったが、仕事柄家を空けることが多かったせいで、必然的に本妻と2人きりになることが多かった。


 美味しそうに血を飲むましろを酷く不気味がって、何度も心無い言葉を吐かれたと彼女が言葉を続けた。


 暴力は振るわれなかったが、心が悲鳴を上げるほどの酷い言葉を容赦なく浴びせられる日々を送っていたのだ。


 「今考えれば虐待なんだけど…中学3年生の頃父親が出張に行っている時に…血液パックを隠されたの。凄くお腹が空いて…1日我慢したけど、気づいたら母親の血を吸おうとしてた」


 吸血鬼の飢餓状態は、人間の何倍もの苦しみだと保健体育の授業で習ったことがあった。


 半日で体調を崩して、1日も経てば倒れてしまうこともある。


 理性を失って、自分が生きるために血液を求めた行動に出てしまうのだ。


 「化け物って…気持ち悪い、気味悪いって…散々罵倒されてさ。それから強制的に家を追い出されて…今までずっと、一人で暮らしてるの」


 期間にすれば3年以上。

 誰もいないこの部屋で、ましろはずっと一人だった。


 深すぎる傷を癒すことも出来ずに、ろくに治療もしてもらえずにどんどん悪化させて、根深いところまで傷がついてしまっている。


 「ご飯も…作ってもらった事なくて…吸血鬼なんだから必要ないでしょって…」


 これが、この子の心の傷だ。

 母親を亡くして、新しい母親には散々虐げられてきた。


 長いこと己の存在を否定され続けたからこそ、自分を化け物だと卑下してしまう。

 吸血行為をする自分を、受け入れられないのだ。


 「……あの時、吸血パートナー関係を結ぶことになった日……血を吸えば、ネコちゃんが離れていくと思った……軽蔑されて、そしたらもう2度と私とパートナーになりたいなんて言い出さないと思ったのに、なんで……ッネコちゃんは私にそんなに優しいの」

 「……ッ」

 「……吸血鬼なのに…血を吸うのが怖い…化け物って……ネコちゃんに思われたくない」

 「思わないです…」

 「…独り言だから……何も言わないで」


 彼女は決して慰められたいわけじゃない。

 ただ、話を聞いて欲しいのだ。


 誰にも話せずに抱え込み続けた秘密を打ち明けて、心を軽くしたがっている。


 ずっと、ましろは強い人だと思っていた。

 正義感が強くて、面倒見の良い大人の女性だと。


 だけどましろも高校生で、まだまだ甘えたいざかりの女の子。


 決して強いわけではなく、強いふりをしているだけの、深い傷を負った女の子なのだ。

 

 寧々子がましろに褒められて、猫族である自分を少しだけ好きになれたように、ましろにも吸血鬼である自分を僅かでも受け入れてもらいたい。


 吸血鬼である彼女の苦悩を完全に理解できないからこそ、寄り添いたいと思うのだ。

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