第18話


 私服に着替えてリビングへ戻れば、ましろがビクッと肩を跳ねさせる。

 どこか落ち着かない様子で、きっと気まずいのだろう。


 同性の裸なのだから、もっとあっけらかんとしてくれてもいいのに。

 その方が、寧々子だって意識せずに済む。


 「えっと…さっきはごめん」

 「いえ…」

 「殆ど見てないから、安心して」


 ばっちり目があったから、間違いなく裸は見られていた。

 あの時の感情を思い出して羞恥心で泣きそうになりながら、ローテーブルを挟んだ反対側に腰を掛ける。


 「さっき何言いに来たんですか…?」

 「実家からクッキーの詰め合わせ送られてきたから、ネコちゃん食べるかなって」


 渡されたクッキー缶は、パッケージからして高級感が漂っていた。

 デパートのスイーツコーナーにありそうな見た目に、本当に貰ってもいいのだろうかと遠慮が生まれてしまう。


 「ましろ先輩は食べないんですか?」

 「私が食べるよりネコちゃんが食べる方がいいでしょ」

 「そういえば実家からって…ましろ先輩って上京して来てるわけじゃないですよね?中学は私と一緒でしたし…」

 「あの人たちも都内に住んでる」


 だったらなんで、別々に暮らしているのか。

 どうして、両親から化け物と呼ばれて家を追い出されたのか。


 「……あの、ましろ先輩…」


 聞きたいけど、踏み込んでいいのか。

 誰だって、触れられたくない過去の一つや二つあるだろう。


 それを中途半端な関係の寧々子が聞いて良いものかと戸惑っていれば、室内にインターホンの音が鳴り響く。


 「なにか頼んでたっけ…」


 不思議そうに玄関に向かった彼女が、暫くしてから段ボールを抱えて部屋に戻ってくる。

 

 「前通販で頼んでた服だった」


 そう言って、ゆっくりとましろは荷物をテーブルの上に置いた。

 チラリと品物に視線をやれば、そこに貼られた伝票の品名に目を疑う。


 「え……」


 品名、血液パック。


 それがどういうことか。

 何を意味しているのか。

 この世界で生きているものであれば、聞かずとも皆分かってしまうだろう。


 ましろはこちらに気づいていない様子で、分かりやすい嘘を並べていた。


 「夏服でさ、届くの楽しみにしてたんだよね」


 血液パックは政府から希望する吸血鬼に無償で配給される物。


 血液を主食にする吸血鬼にとって欠かせないもので、吸血鬼の健康な生活の維持を目的に、希望する者には無償で配布されるのだ。


 そのために人間は定期的に献血を義務付けられており、寧々子だって以前に献血へ行ったばかり。


 「……ッ」


 なぜ、ましろが自分を化け物だと言っていたのか。


 実家から追い出されて、一人でこの家に暮らしているのか。


 パズルのピースがピタリと一致したように、今まで不可解だった点が全て繋がったような気がした。


 「…ましろ先輩は、吸血鬼なんですか」


 勇気を出して尋ねれば、彼女の目が見開かれる。

 そして、戸惑ったように声を震わせ始めた。


 「何言って…」

 「そこ…品名のところに、血液パックって書かれてます」


 慌てて段ボールを隠そうとする、彼女の手を掴む。

 ギュッと目を瞑って、寧々子は勇気を振り絞った。


 「……お願いがあります」


 脳裏に浮かんだのは姉の言葉。

 好きな人相手だったら、手段を選ぶな。


 意地でも相手の懐に入り込んで、メロメロにしてやれ、と言った姉の助言を今こそ活かす時だと思ったのだ。


 「私を…先輩の吸血パートナーにしてください」


 深々と頭を下げながら、自分の中にこんな積極性があったことに驚く。


 吸血パートナー関係は、吸血鬼と吸血される人間の間で結ばれる制度だ。


 恋人や友人など、相手は何でもいい。


 性別はもちろん、双方が16歳以上であれば結ぶことができるのだ。

 

 パートナー制度で結ばれた二人は手厚く補償される。

 結婚とはまた違う、吸血鬼と人間の間だけで結ぶことができる、いわば契約のようなもの。


 「好きなだけ、私の血吸っていいですから」

 「…ネコちゃん、自分が何言ってるか分かってる?」


 首を縦に振って見せれば、さらに戸惑ったようにましろの瞳が揺れる。


 「血吸われるのなんて普通嫌でしょ…?」

 「ましろ先輩になら…嫌じゃないです」

 「どうして」

 

 好きだからですと伝えたかったけれど、今言うのは違うような気がした。


 このタイミングで伝えたとしても、きっと彼女の胸には響かない。


 結局、いつも通り当たり障りない言葉を吐くことしか出来ないのだ。


 「……た、沢山ましろ先輩にはお世話になってるから…なにか、恩返ししたくて…」

 「じゃあ、試させてよ」


 体を押されて、優しくカーペットの上に押し倒される。

 覆い被さってきた彼女は、いつにも増して不安そうに見えた。


 「本当に吸うけど…っ」

 「ましろ先輩にだったら、構いません…」

 「……痛くても知らないからね」


 ブラウスのボタンを幾つか外されて、露わになった鎖骨にキスを落とされる。


 ロングヘアが肌に触れる感触も相まって、擽ったさから身を捩った。


 「んっ…」


 リップ音をさせながら何度か吸い付いた後、彼女の口が寧々子の首筋に移動した。


 位置は確か、以前キスマークを付けられたのと同じところ。


 そこに歯を突き立てられて、チクンとした痛みに襲われる。


 「……ッ、んっ」


 体から血をトクトクと吸い込まれていく感覚。


 何よりも美味しそうに血を飲むましろの吐息と、時折漏らす声に胸がドキドキと早鳴っていた。

 

 口元を拭いながら、そっと彼女が顔を上げる。

 どこか熱にうなされたような瞳から、逸らすことが出来ない。


 「……ネコちゃんが言ったんだから、どうなっても知らないよ」


 ただ吸血されているだけなのに、恥ずかしくて堪らなかった。


 吸血の際にブラウスが乱れて、僅かにブラが見えてしまっているからこそ、余計に羞恥心を煽られたのだ。


 「明日書類貰ってくるから」

 「え…」

 「吸血パートナー関係、結ぶんでしょ」

 「いいんですか…?」


 尋ねれば、ましろが意味ありげな笑みを浮かべてみせる。


 口元に寧々子の血がついていて、その姿が酷く妖美だった。

 

 「…これからどうなるんだろうね」


 寧々子も、ましろも。

 2人の関係がどう変化していくかなんて、ちっとも分からない。


 それでも何も進まなかった状況から、抜け出すことは出来た。


 前に進めるかもしれないきっかけを、掴み取ることが出来たのだ。


 そっと首筋に手を当てて、先程の舌の感触を思い出す。


 血を溢さないようにペロペロと首筋を舐められたせいで、僅かに体は火照ってしまっていた。


 好きな人が美味しそうに自分の血を飲んで、その生き血が彼女を生かす。


 これほど光栄で、興奮することなんてきっと他にないだろう。

  

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