第13話
散々泣いたせいで、似合っていないアイシャドウはきっと落ちてしまっている。
口紅も一度も塗り直していないため、ほとんどすっぴんに近いだろう。
とぼとぼと自宅までの道を歩きながら、言い訳の言葉を考える。
誘いを断ったことは父親と姉の耳に入っているのだろうか。
心配を掛けたくないため、ホテル前での出来事は知られたくないと思ってしまう。
しかし何が気に入らないのかと絶対に聞かれるだろうから、そうなった時どう答えればいいのか。
散々頭を悩ませていれば、背後から声を掛けられてぴたりと足を止めた。
「ネコちゃん?」
堪らなく愛おしい彼女の声。
驚きながら振り返れば、ラフなTシャツとジーンズを纏ったましろの姿があった。
シンプルな服装なのに、美人な彼女が着ればとてもオシャレに見えてしまう。
小さめなエコバッグを肩に掛けているため、どこかに買い物でも行っていたのだろう。
「やっぱり。綺麗な白髪で気づいたよ」
「夜でも目立っていいね」と、続けて寧々子が喜ぶ言葉を掛けてくれる。
この髪を綺麗だと言ってくれるだけで、少しだけ自分を好きになれるような気がするのだ。
こちらに駆け寄ってきたましろは、寧々子の顔を見てギョッとしたような表情を浮かべていた。
予想外の反応に戸惑ってしまう。
似合わないメイクのせいで不細工に見えているのだろうかと心配するが、涙と共にすでに流れ切ってしまっているのだ。
「ましろ先輩…?」
彼女の手がこちらに伸びて、そっと左頬に触れられる。
クールな彼女にしては珍しく、どこか動揺しているように見えた。
「ここ赤くなってる…それに、メガネもない」
鋭い指摘に、咄嗟に目線を逸らす。
外に出るときには決まって眼鏡を掛けていたため、彼女に不信感を与えてしまったのだ。
「…ねえ、ネコちゃん…私との誘い断って今日何してたの?」
言いたくないと、反射的にそう感じてしまっていた。
好きな人との誘いを断って、初対面の男性とデートをしていた。
おまけにホテルに連れていかれて、そのまま関係を強要されそうになったのだ。
万が一、軽い女だと軽蔑されてしまえば、ショックで平常心を保てる自信がない。
「それは…」
「前電話した時元気もなかった……なにか嫌なことがあったんじゃないの 」
そんな風に、優しい言葉を掛けないで欲しい。
いま、寧々子は冷静じゃないから。
あんな目にあって、ガラス細工くらい心が繊細になっている状況で、好きな人に心配されてしまえば縋り付きたくなってしまう。
ジワジワと涙が込み上げてきて、気づけば雫が頬を伝っていた。
「私で良ければ話してよ」
「でも……」
「どんな理由でも、ネコちゃんのこと嫌いになったりしないから」
溢れ出る涙を、優しい手つきで拭ってくれる。
本当は怖くて仕方なかった。
いつ訪れるか分からない発情期に怯えて、好きでもない相手と体を重ねる未来を想像するだけで息苦しくて仕方なかった。
心の奥底では、ましろと両思いになりたいと願い続けていらからこそ、心は悲鳴を上げ続けたのだ。
「……っ、ましろ先輩」
名前を呼べば、体を引き寄せられる。
彼女の温もりに包まれながら、更に涙を溢れさせていた。
髪をサラサラと撫でられて、それだけで胸がいっぱいになる。
この髪を、目の色を。
綺麗だと言ってくれるましろが堪らなく好きなのだ。
「……約束破ってごめんなさい」
「気にしないで」
「……お父さんに紹介された…同じ猫族の男性に会ってきたんです」
撫でてくれていた、彼女の手がピタリと止まる。
「…けど……ほ、ホテルに連れ込まれそうになって…抵抗したら、叩かれて…」
「…ッ」
「何もされなかったけど……でも、す、凄く嫌で」
次第にしゃくりまで上げ始めて、みっともなく泣きじゃくる姿なんてましろに見られたくないのに。
頬に手を添えられて、心配そうに顔を覗き込まれていた。
「同じ猫族の男性と…我慢して一緒にならなきゃいけないのに…っ、我儘言っちゃダメってわかってるのに…やっぱり嫌で…」
「恋人作るように言われてるの…?」
「発情期がくるまでには恋人を作りなさいって…けど、好きでもない人となんてシたくない…」
我儘な寧々子の想いを、ましろはジッと聞き続けてくれた。
否定的な言葉を掛けずに、優しく受け止めるように相槌を打ってくれる。
「……ねえ、ネコちゃん」
「なんですか…?」
「少しだけ我慢できる?」
「え…?」
返事をするよりも先に、ましろは寧々子の首筋に顔を埋めていた。
肌に生暖かい感触が触れて、そのまま吸い付かれる。
彼女が何をしているのか気づいて、必死に猫耳と尻尾を露わにしないように堪えていた。
「ま、ましろ先輩…!?」
「もう一箇所くらい付けとくか…」
「なにするんですか…?」
「ねえ、ネコちゃん」
グイッと顔を近づけられて、至近距離で彼女は寧々子が欲しくて仕方なかった言葉を吐いた。
「私と恋人になって」
「……へ?」
長年夢見続けた言葉だと言うのに、状況からそれが彼女の本心ではないと分かってしまう。
一体ましろがなにを考えているのか。
ちっとも分からないからこそ、寧々子はキスマークの付いた首をコテンと傾げていた。
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