第12話


 電車を乗り継いで最寄り駅に到着する頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。

 

 街頭に照らされた道を歩きながら、何度も後ろを振り返る。


 鈴音が追いかけてきてはいないかと、未だに恐怖心を拭いきれないのだ。


 明らかに取り乱した様子で自宅に戻れば、間違いなく姉と父親に心配される。悩んだ末に、自宅近くの公園のベンチに一人で座っていた。


 「あ、メガネ……」


 自然と溢れ出ていく涙を拭おうとして、眼鏡をあの場に置いてきてしまったことを思い出す。


 決して安物ではないため、無理をしてでも拾ってくるべきだったろうか。


 ぶたれた頬は未だに熱を持っていて、そっと手を添える。


 まさか、手を挙げられるとは思わなかった。

 欲をぶつけられて、拒否をすれば叩かれる。

 

 悔しさと惨めさで更に涙を溢れさせていれば、足元にふわふわとした毛の感触が触れる。


 「あ…」


 この公園に住み着いて、以前子猫が生まれたばかりの三毛猫だ。

 酷く心配したように鳴いた後、寧々子の隣にちょこんと座り込んでくる。


 『寧々子様、どうされましたか』

 「……っ、ちょっと、色々あって」

 『体震えてます。寧々香様も探しておられました…見つけたら教えて欲しいと』


 出会いの場をセッティングしてもらったのに、結局上手くいかなかった。

 どんな顔で帰ればいいのか分からず、ここで時間を潰しているのだ。


 ゆっくりと首を横に振れば、三毛猫が優しい口調で核心的な言葉を吐く。


 『寧々子様はあの方が……私にご飯を持ってきてくれる、あの女性が好きなのでしょう』

 「……なんで知ってるの」

 『時々ご飯を貰いにお家に行っていた時…寧々子様があの方に熱い視線を送っているところを何度も見ました』


 傍から見て、そんなに分かりやすかったのだろうか。

 想いを悟られないように必死にだったが、あまり上手く出来ていなかったのかもしれない。


 『想いは伝えないのですか』

 「女の子同士で…私、猫族だよ?好きになんかなってもらえないよ」

 『そういうものですか?』

 「猫になれる人間なんて…普通じゃないもん」


 納得がいっていないのか、三毛猫は首を傾げていた。


 『……この世には色々な種類の人間がいます。生き血を求める人、猫になれる人。噂では空を飛べる人間もいるそうです』

 「…空を飛ぶなんて凄いね…」

 『寧々子様は、もしあの方が人間ではない別の種族でしたら普通じゃないと思いますか?普通じゃないからと……恋愛対象から外してしまうのですか?』


 もし、ましろが人間ではない別の種族だったら。

 普通じゃないと、彼女を毛嫌いするのか。


 到底あり得ない問いに、勢いよく首を横に振る。


 たとえましろが吸血鬼だろうが、犬族だろうが。また別の何かだったとしても、この恋心は微塵も色褪せたりしないだろう。


 『同じですよ』

 「同じ…?」

 『好きな相手であれば、相手がどんな種族だろうと気にならないものです。寧々子様が好きになるお方ですから…そんな些細なことに難癖付けるような、狭い心の持ち主ではないでしょう』

 「当たり前だよ。ましろ先輩は優しくて、格好良くて…あんなに可愛くて綺麗なのに、正義感だって強い凄い人…」

 

 必死に力説しながら、改めて彼女への想いを噛みしめる。

 愛想笑いをしない、強い彼女の内面が堪らなく好きだ。


 ふとした時に見せる優しさに、寧々子は虜になったのだ。


 『なにが普通と思うかなんて、人によって違います。普通も偏見も、所詮は紙一重ですから』

 「三毛猫さん、大人だね…」

 『子供が産まれて達観したのかもしれません』


 あれほど重苦しくなっていた心が、少しだけ軽くなる。

 三毛猫の言葉は、不思議とスッと胸に溶け込んでくるのだ。


 『寧々香様から実は聞いてたんです。好きでもないお相手と会ってきたんでしょう』

 「…けど、逃げ出しちゃった」

 『寧々子様が選んだ道なんですから、それでいいじゃないですか』


 励ますように、三毛猫が前足を寧々子の手に添えてくれる。

 柔らかい感触に、顔を綻ばせた。


 『何を選ぶかは寧々子様の自由です。何が正しいか、間違っているか…全て寧々子様が納得して決めた道なら、それでいいんですよ』

 「…ありがとう、三毛猫さん」


 寧々子の笑みを見て、三毛猫は安心したのかベンチを降りて、そのまま茂みの方へ入っていった。


 友達でも、恋人でも、家族でもない。

 

 程よい距離間の三毛猫の言葉だからこそ、余計に胸に響いたのかもしれない。

 



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