第11話
ぎこちなく愛想笑いを浮かべる姿は、相手の男性からどんな風に映っているのだろう。
購入して、一度しか塗っていなかった合わない色の口紅を塗って、父親に紹介された猫族の男性とカフェでお茶をする。
メイクの練習をしたのはこのためじゃないと、反発心から似合わない化粧をしてきていた。
本当はましろと猫カフェに行くはずだった日に、好きでもない男性とデートをしている。
ひとつ年上の鈴音は気遣いが出来る好青年で、だからこそ罪悪感に襲われていた。
寧々子は絶対にこの人の事は好きにならなくて、好意だって抱かない。
「寧々子ちゃんの髪すごく真っ白だよね」
「白猫なので…」
「染めようと思った事ないの?」
予想外の返しに頬が引き攣る。
生まれてこの方白髪として生きて、幼い頃は亡き母親の髪色とお揃いだと、気に入っていた。
成長と共にコンプレックスと化してしまったが、染めようと思ったことは一度も無かったのだ。
「え…」
「目立つの嫌じゃないのかなって」
彼の言う通り、目立つことは好きじゃない。
嫌な言葉を掛けられないようにひっそりと生きて来たけれど、そんな風に言われると戸惑ってしまう。
「見てあの子、真っ白」
「すごー、あんな綺麗な白髪初めて見た」
「ウィッグかな?」
背後から聞こえてくる声に、咄嗟に顔を伏せる。
まだ悪口じゃないだけましだが、ひそひそと話されて気分が良いはずがなかった。
「ほら、悪口言われてるじゃん。メガネもさ、コンタクトの方がいいんじゃない?」
爽やかな好青年という印象が、会話を交わすごとに壊れ始める。
会話の波長は合わず、価値観だって合いそうも無い。
背後の女性たちは見たままを言っただけで、恐らく悪気はないだろうに。
しかし、言い返すのも面倒くさくて黙り込んでしまっていた。
猫族はただでさえ少ないのだから、多少相性が悪くても我慢しないと。
いい加減、腹を括らなければいけないのだ。
カフェを出る頃には辺りは夕暮れ時で、そろそろ解散の時間だろう。
何の疑問も抱かずに彼の後を付いていけば、ふと人通りの少ない道を通っていることに気づいた。
てっきり駅に向かっているとばかり思っていたが、間違いなくこの方面ではない。
「あの、どこ行くんですか?駅こっちじゃないですよね……?」
返事の代わりに、鈴音は寧々子の腕を強く掴んだ。
そして、ある建物の前で足を止める。
「え……」
看板に書かれた「HOTEL」という文字に、サッと血の気が引く。
彼がどういう意志でこの場所まで誘い込んだのか、今更ながらに気づいた。
「俺さ、たぶんもうすぐ発情期なんだよね」
こちらを見下ろす鈴音の目に、熱が灯っていることに気づく。
僅かに息を荒くさせて、獲物を見るかのように眼光が開いていた。
「……寄って行かない?」
料金表が視界に入って、それが生々しく感じてしまう。
一歩後ろに下がろうとすれば、掴まれていた腕に力を込められる。
「いいじゃん、寧々子ちゃんだって俺のこと好きじゃないだろ?」
「…ッ」
「俺だって他に好きな子いるからさ、でも…猫族同士じゃないと両親がうるさいし…」
彼も寧々子と同じなのだ。
相手のことはたいして好きじゃないけれど、猫族として割り切って親の紹介する相手を選ぼうとしている。
他に好きな子がいるのに、本能より理性を優先しているのだ。
「…鈴音さんは、嫌じゃないんですか…?好きでもない人と、そういうことするの」
「…しょうがないじゃん。俺たち猫族なんだから」
強引に鈴音が一歩踏み出したことで、寧々子も半歩前に進んでしまう。
「……鈴音さん」
きっと彼は達観してしまったのだ。
非情な現実に打ちのめされて、期待することをやめた。
どうせましろとは付き合えないのだから、彼の言う通り、理屈で納得しないといけない。
「行こっか」
分かっているのに、それ以上先に前に進めなかった。
自分が我儘を言っていることくらい分かっている。
子供じみた恋愛をしていると、分かっているけれど。
それでも、ましろ以外の誰かと体を重ねたくなんかない。
先に進まない寧々子に、鈴音が苛立ったような声を上げた。
「なに?早く行こうよ」
「……やっぱり、無理です…」
「ここまできて何言ってんの?一回すれば後はもう同じだから。最初だけ我慢してよ」
さらに怒りを露わにする鈴音に、段々と恐怖心がこみ上げてくる。
それでも、流されまいと必死に踏ん張っていた。
このまま彼に流されてしまえば、寧々子はきっと一生あの人の前で笑えないような気がした。
「やだっ…」
「はあ?何勿体ぶってんの」
「…やだ…ッ離して……!」
涙を溢れさせながら、掴まれていない方の手で必死に抵抗する。
彼から逃れようと無我夢中で腕を振りあげれば、偶然鈴音の頬に寧々子の手が当たった。
「…っなにすんだよ」
やり返すように、彼の手が寧々子の頬を打つ。
掛けていたメガネが落ちて、カシャンと嫌な音を立てた。
「お前たち、入んないならどいて?」
「てか女の子叩くとかサイッテー、あなた大丈夫?」
入り口前で揉めている2人を、カップルの痴話喧嘩だと思ったのだろう。
男女二人組に声を掛けられて、鈴音の手の力が緩んだ隙に勢いよく走りだす。
打たれた頬が未だにジンジンと痛みを上げる中、落とした眼鏡も拾わずに泣きながら足を進めていた。
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