第8話


 ましろの家を飛び出して、早1週間。

 結局あれから連絡をする勇気も出ないまま、ただ時間だけが経過していた。


 久しぶりに姉がましろを含む仲良し5人を自宅に連れてきても、積極的に話しかけることも出来ずにいる。

 

 定位置であるソファに腰掛けているましろは、以前に増して元気がないように見えた。


 「ましろ、最近どうかしたの?」

 「可愛がってた猫が逃げ出したんだって」 

 「えー、可愛そう」


 その猫が寧々子だったことを知りもしない姉の友人らは、「元気出しなよ」と優しく励ましの言葉を掛けていた。


 「寧々香、レモンティー取ってきていい?」

 「どうぞー。一番上の段に入ってたはず。ましろ、本当レモンティー好きだね」


 頻繁に家を出入りしていた彼女達は、猫ノ山家の間取りを把握しているのだ。

 迷うことなくキッチンへ向かったましろの後を、勇気を出して追いかけていた。


 あの日寧々子が姉の荷物に紛れ込んでしまったせいで、彼女にいらぬ悲しみを与えてしまったのだ。


 せめて、何か出来ることをしたかった。


 「あの、ましろ先輩」

 「どうかした?」

 「私も猫好きだから…良かったら、今度猫カフェとかいきませんか」


 僅かな勇気をかき集めて、好きな人を遊びに誘う。

 

 寧々子の言葉に、ましろはそっと口角を上げて見せるが、それは以前猫の寧々子に向けたものとは違う。


 所詮は、猫の姿でないと満面の笑みを引き出すことはできないのだ。


 「…ネコちゃんは本当にいい子だね」


 そっと手を伸ばして、頭を優しく撫でられる。

 子ども扱いをされていたのだとしても、彼女の手つきに胸をときめかせてしまうのだ。


 「私でよければ、一緒に行ってくれる?」


 何度も頷きながら、頬が紅潮していくのが分かった。

 どんな服を着ていこうかと、早速そんなことを考えていれば、ふとましろの瞳に宿る色に気づく。


 悲しみを滲ませた、どんよりとした色が彼女の瞳に映っているような気がした。


 あの家に一人で暮らしている彼女は、寂しくないのだろうか。


 所々聞き取れなかったが、化け物扱いをされて実家から追い出されたのだと彼女は零していた。


 聞きたいのに、寧々子が聞けるはずもない。

 猫の寧々子として盗み聞いたことを、人間の姿で尋ねられるはずもなかった。





 



 無地の紙袋を片手に、うろ覚えの中足を進めていた。 


 本当は可愛らしい紙袋に入れて返したかった所だが、下手に寧々子であると勘付かれないためにも、やはり無地が一番だろう。

 

 彼女の家から抜け出すときにこっそり借りたTシャツとハーフパンツ、そしてビーチサンダルを返すために、ましろの暮らすマンションへ向かっていた。


 角を曲がれば見覚えのあるマンションが見えてきて、ホッと胸を撫でおろす。


 明るい所で見ると、オシャレな外観がより際立って見えた。


 「ここに一人暮らしって…」


 クレカを渡されていると言っていたし、実家はかなりお金持ちなのだろうか。


 容姿も綺麗で、スタイルだっていい。


 おまけに性格も良いあの子が、どうして化け物呼ばわりをされて追い出されたのか不思議で仕方なかった。


 「お姉ちゃんも何も言ってなかったもんな…」


 今よりもっと距離が縮まれば、教えて貰えるのだろうか。

 知りたいと思うが、打ち明けて貰える自信は無い。


 エレベーターで目的階まで到着して、足早にましろの暮らす部屋の前まで向かう。


 彼女と鉢合わせをする前に帰ろうと、玄関扉のドアノブに紙袋を掛けた。


 用は済んだと帰ろうと振り返れば、驚いたようにこちらを見やる女性の姿がそこにはあった。


 「ネコちゃん…?」


 制服姿で戸惑ったように立ち尽くしているのは、部屋の主であるましろ。


 後ずさりをすれば、強めの力で腕を掴まれてしまう。


 「なんでここに…?」

 「お、お姉ちゃんから、その…伝言頼まれて…」


 咄嗟に頭に浮かんだ言い訳を零せば、ましろの眉間にキツく皺が寄る。


 荒い手つきで部屋の鍵を解錠した彼女は、そのまま部屋の中に寧々子を押し込んだ。


 バランスを崩して靴を履いたまま倒れ込めば、起き上がるよりも先にましろが覆いかぶさってくる。


 「ましろ先輩っ…」


 彼女のロングヘアが頬に触れて、それが僅かに擽ったい。

 

 「嘘」

 「…え」

 「私の家に、寧々香が来たことないの」


 無難な言い訳のつもりが、墓穴を掘ってしまった。

 

 押し倒されている状況も相まって、ドキドキと心臓が早鳴ってパニックを起こしてしまいそうだ。


 「……なんで嘘ついたの?」


 下手なことを喋ってもまた墓穴を掘ってしまいそうで、必死に言葉を探す。


 うろうろと視線を彷徨わせるばかりで何も答えない寧々子にしびれを切らしたのか、ましろはグッと顔をこちらに近づけてきた。


 「…答えないなら、キスするけど」

 「き、キス…?」

 「キスされたくないでしょ?早くして」


 こんな状況だと言うのに、欲がこみ上げてくる。

 人間の姿でましろとキスが出来る機会なんて、この先一生こないと思っていた。


 「……ッ」


 自分が酷くずるいことは分かっている。

 それでも、このチャンスを逃したくない。


 「い、言いたくないです……ッ」


 可愛げのない言葉を吐けば、呆れるようにましろが髪をかき上げる。


 ゆっくりと顔が近づいて、そのまま唇に柔らかい感触が触れた。


 たった一瞬、僅かな間の口づけに、体の奥底から熱がこみ上げてくる。

 頬はおろか、耳まで赤く染め上げている自信があった。


 愛おしさを噛みしめていれば、耳と尾骨のあたりが疼き始める。


 そして、気づいた時には猫耳と尻尾を生やしてしまっていた。


 本来猫族は猫か人間の姿にしかならない。

 しかし、自分の感情が抑えられないくらい感情を溢れさせてしまった時。


 自制心を失って。見た目は人間の状態で、猫耳と尻尾を生やしてしまうのだ。


 「は…?」


 酷く戸惑ったように、ましろが声を漏らす。

 力が緩んだ隙に逃げ出そう体を起こすが、彼女の方が上手だった。


 尻尾の付け根をギュッと掴まれて、途端にビリビリとした快感が体に走る。


 背中を軽くしならせながら、ぺたんとその場にへたり込んでしまっていた。


 「んにゃっ…ッぁ」


 尻尾がスカートを押し上げているため、捲れ上がって下着は丸見えの状態。


 おまけに情けない声まで聴かれて、恥ずかしくて仕方ない。


 性感帯である尻尾の付け根を掴まれて、声を押さえることが出来なかったのだ。


 「ネコちゃん……?」

 「あ……」


 咄嗟に猫耳を両手で抑えるが、誤魔化せるはずもない。

 一族の秘密を、人間の女性に知られてしまった。


 しでかした事の重大さに、どんどん血の気が引いていく。


 顔を青ざめさせながら、寧々子はショーツが見えないように必死にスカートを抑え込んでいた。

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