第7話
好きな人のベッドに横たわりながら、感じるのは罪悪感だった。
猫好きの彼女の家に上がり込んで、あろうことか同じベッドの上で眠ろうとしている。
人間時の姿では一生味わえないだろう瞬間を、グッと噛みしめていた。
「今度ネコちゃんのベッドも買いにいかなきゃ…それに、名前どうしようかな」
家の間取りは1LDKで、リビングとベッドルームで別れている。
この家には、ましろ以外誰もいないのだ。
室内には彼女の荷物しか置いていなかったため、恐らくここで一人暮らしをしているのだろう。
「…ずっとね、ひとりで暮らしてたから…ネコちゃんが来てくれて嬉しいよ」
「ニャア…?」
「……私………だから、化け物扱いで一緒に暮らしたくないって…追い出されちゃってさ。まあクレカ渡されてるし、お金には困ってないんだけど」
切なげに眉を寄せる彼女を見て、これは寧々子が聞いてはいけない話だと思った。
酷くデリケートな話を、猫相手だからましろは打ち明けてくれた。
きっと、寧々子相手では教えてくれなかっただろう。
二人はそんな深い問題を話し合えるような仲ではないから。
少しでも元気を出して欲しくて、舌を出してからペロペロとましろの手を舐める。
「ふふ、ザラザラする…」
彼女の顔が近づいて、一瞬だけ寧々子の口元に触れる。
たった一瞬、僅かに振れた感触に、胸の奥底から愛おしさがこみ上げた。
一生知ることはないだろうと思っていた好きな人の唇の感触。
これが人間時の姿であれば、どれほど良かっただろう。
「………ネコちゃんは、ずっと私と一緒にいてね」
それだけ言い残して、ましろが瞼を閉じる。
暫くしてから寝息を立て始めたのを確認して、寧々子は一人でベッドから降りた。
こっそりとクローゼットからTシャツと短パンを拝借して、目を瞑って人間時の姿に戻った。
「…今度返しに来ます」
勿論、眠っている彼女から返事は無い。
大慌てでましろの服に着替えて、靴箱からビーチサンダルを引っ張り出して、部屋を飛び出す。
サイズが合っていないため歩きづらく、転びそうになるのを堪えながら夜の道を一人で歩いていた。
本当は、一緒にいたかった。
あのままずっと、ましろの側にいたかった。
彼女の方から、ずっと一緒にいようと言ってもらえたのに。
「……ッ」
だけどそれは猫としてであって、寧々子に好意を寄せてくれているわけじゃない。
欲張りな寧々子は、いつか苦しくなるだろう。
自分と同じ思いを返して欲しいと、そんな欲を出してしまう。
好きな人を騙して欺き続ける罪悪感に、耐えられる自信もなかった。
「……キスしちゃったよ」
少なくとも、寧々子にとってのファーストキスはましろだ。
同じように好きになってもらえなくても、この先付き合えなかったとしても。
初めてのキスがましろというだけで、耐えられるような気がした。
いつか発情期が訪れて、好きでもない相手と行為をするように迫られたとしても。
この夜のことを思い出せば、きっと乗り越えられる。
そうやって必死に自分を鼓舞するが、所詮は強がりでしかない。
「…好きになってもらいたいよ」
猫としてではなくて、寧々子として。
好意を抱いて欲しくて仕方ない。
ましろ以外と体を重ねたくない。
彼女以外の唇の感触なんて、このままずっと一生知らずに生きていきたい。
「寧々子!」
切羽詰まった様子で寧々子の名前を呼んだのは、姉の寧々香だった。
ずっと探し回っていたのか、息は乱れて額には汗が滲んでいる。
「なにしてたの」
「お姉ちゃん…」
「どこいってたの!どれだけ心配したか…」
「………ごめんなさい」
姉の寧々香は寧々子を酷く可愛がってくれているからこそ、心配してくれている。
帰り道の間ずっと厳しい言葉を掛けてくれているのも、全て寧々子のことを想ってくれているからだ。
「帰ったらお父さんにも謝るんだよ」
コクリと頷いているものの、姉の話はちっとも頭に入ってきていなかった。
脳裏にはずっとましろの姿があって、彼女への恋心で胸がはちきれてしまいそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます