第5話


 パチリと目を覚ませば辺りは暗闇に包まれていて、状況を飲み込むことが出来ずにいた。


 起き上がろうとすればすぐに背中に何かがぶつかって、自分が箱か布切れの中に閉じ込められているのだと理解する。

 

 『……ッ!?』


 一体ここはどこなのかと恐怖心に駆られていれば、耳に届いてきた声に驚いて目を見開く。


 「じゃあ、ここ分かるやついるか?分かんないなら先生が当てるぞ」

 『え…?』


 男性と思わしき声は、まるで学校の先生のようなことを喋っている。


 「猫ノ山、答えろ」

 「えー、わかんないです」


 姉の声まで聞こえてきて、少しずつ状況を飲み込み始める。

 暗闇の中で体に手を這わせれば、頭には猫耳がピョコンと2つ付いていて。


 『お姉ちゃんについて来ちゃったんだ……ッ』


 今朝、乾燥機から出たばかりの姉の体操着があまりもポカポカと心地よさそうで、好奇心に負けて猫の姿で眠ってしまったのだ。


 そして、まさかリュックサックの中で妹が寝ているなんて思いもしない姉によって、体育着と一緒に高校まで運ばれてしまった。

 

 リュックサックに仕舞い込んだ体育着の上に妹がいたなんて、当然気づくはずもない。


 間違いなく、寧々子の落ち度だ。

 

 どうしよう…と焦っていれば、丁度教室内に授業を終えるチャイムが鳴り響く。

 一気に室内が騒めき始めて、ファスナーの開く音と共に眩しい明かりに包まれた。

 

 「お腹すいたー、早くパン食べたい……ッはあ!?」


 特徴的であるオッドアイの瞳を見るのと同時に、姉は勢いよく開けたばかりのリュックサックを閉めてしまった。


 再び視界が真っ暗になって、姉の焦ったような声が聞こえてくる。


 「寧々香、どうした?」

 「先食べてて!」


 暗闇の中勢いよく揺れ出して、おまけに姉の荒い息遣いも聞こえてくる。


 暫くして再びファスナーを開けられれば、場所が教室から裏庭へと移動していた。


 体を両手で持ち上げられて、ようやく狭い鞄の中から出ることが出来た。


 「なにしてるの!?」

 『体育着がぽかぽかで気持ちよかったから、その上で寝ちゃってて…』

 「気づかずに持ってきちゃったのか…」


 項垂れる姉に対して、じわじわと罪悪感が込み上げる。


 普段から心配をかけてばかりで、今日も寧々子のせいでいらぬ気苦労を掛けてしまったのだ。


 『ごめんなさい…』

 「来ちゃったものは仕方ないし…このまま放課後まで我慢できる?」

 『ひとりで帰れるよ…?』

 「絶対ダメ!オッドアイの白猫なんて目立ちまくりだから!」


 今すぐ人間の姿に戻ることも出来るが、白髪のオッドアイの生徒なんて在籍しているはずもなく、間違いなく不審者として警備員に引き止められるだろう。


 そもそも、猫の姿から人間の姿に戻った時は裸なのだ。


 「とにかく、生徒指導のゴリラ野郎にはバレないように!前校舎裏で猫飼ってた子いたんだけど、バレて保健所送りにされたって」

 『保健所…!?』

 「だから私のカバンの中でじっとしてて…」

 「誰がゴリラ野郎だ」


 地を這うような低い声が聞こえて、恐る恐る振り返る。


 「…あ、と、戸崎先生…」

 「……ニャーニー聞こえたからまさかと思えば…猫ノ山、生徒指導室行くぞ」


 どうやら、彼が生徒指導のゴリラ野郎らしい。

 猫姿の寧々子の声は人間には理解できないため、鳴き声にしか聞こえないのだ。


 「逃げて」

 『え…』

 「いいから、早く逃げて!」


 切羽詰まった姉の声に釣られて、弾かれるようにその場から走り出す。


 必死に校門を探すが、行事で数回しか訪れたことがない校舎の勝手が分かるはずもない。


 それでも必死に手足を動かしていれば、運の悪いことに辿り着いたのは人の多い購買だった。


 咄嗟に引き返そうとすれば、首根っこを勢いよく掴まれて、そのまま持ち上げられてしまう。


 「猫だ」

 「まじだ、しかもオッドアイじゃね?」

 「すげえ、初めて見た。高そう」

 

 好奇心に満ちた男子生徒3人組に囲まれて、ギョッと目を見開く。

 手足をばたつかせて必死に身を捩るが、一向に離してはくれなかった。


 「ニャア、ニャア!」

 「かわい~、めっちゃ喜んでる!」


 これのどこが喜んでいるように見えるのか。

 必死に威嚇しているつもりでも、怖くないのかヘラヘラしている。


 段々と怖くなり始め、鳴く声が小さくなり始めた時、凛とした女性の声が場に響いた。


 「離してくれる」

 『…ッ』

 

 半ば強引に寧々子を彼らから引き離したのは、想いを寄せる彼女だった。


 暖かな腕の温もりに包まれて、安心感からそっと体を擦り寄せる。


 「この子私の猫だから」

 「立野の…?」

 「そう。荷物に紛れ込んじゃったみたいで」

 「まじ?まあどう見ても野良猫の見た目じゃないか。ごめんな、勝手にベタベタ触って」


 彼らが去っていくのを見送って、ホッと息を吐く。

 怖い人ではなかったようだが、何か悪いことをされるのではないかと恐ろしくて堪らなかったのだ。


 「大丈夫?」

 「ニャア」


 返事をすれば、優しく頭を撫でられる。


 また、彼女に助けてもらった。


 まだあれは寧々子が小学六年生の頃。

 猫の姿で散歩をしていた時に、気性の悪い中学生に絡まれていじめられていた時。


 偶然通り掛かって、助けてくれたのがましろだった。


 ひどく怖かっただろうに、場に割り込んで寧々子を助けてくれたのだ。


 そして中学生になって、ましろと再会して。

 彼女の内面にある優しさに惹かれてしまうのはあっという間だった。


 誰も知らない寧々子の初恋は、彼女のことを知れば知るほど色濃くなってしまっている。 


 未だにドキドキと胸を高鳴らせていれば、彼女は腰元に巻いていたカーディガンで寧々子を包み込んでしまった。


 「ちょっと我慢しててね」


 状況が理解できずにぽかんと放心していれば、続いて姉のものではない鞄に連れ込まれる。


 ゆっくりとファスナーが閉められて、暗闇の中で彼女が歩み始めたのを振動で感じていた。


 「先生、法事なので早退します」

 「わかった、早く行きなさい」


 じわじわと冷や汗がこみ上げ始めて、ようやく事の重大性を理解する。

 身を捩っても当然出られるはずもなく、鳴き声を上げても鞄から出して貰えない。


 こんな状況にも関わらず、鞄の中に仕舞い込まれたハンカチから漂う柔軟剤の香りに、胸をときめかせてしまう自分が情けなくて仕方なかった。

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