25. 運命のような、奇跡のような
話し合いも終わったようだし、俺はそろそろお役御免だろう。
役目があったとは到底思えないが、時雨さんにあんなふうに言われたら信じるしかなかった。
これ以上は邪魔だろうし、とさりげなく帰るタイミングを見計らっていたところで、玖須さんが立ち上がった。
「それじゃあわたし、今日のところはこれで失礼するね」
「えっ、月ちゃんもう帰っちゃうの?」
「普通俺が出てくとこじゃね!?」
俺たちの反応に、玖須さんが小さく笑う。
「ごめんね、瑞姫ちゃん。わたしも名残惜しいんだけど……また今度、ゆっくりお話ししよう。急ぎのお話は済んだしね。それで、長谷くんとも話してあげて。たぶん何かあるでしょう」
……時雨さんとか俺みたいに友達少ない奴って、その友達の察しがよくなきゃだめみたいなのあんのかな。いや、俺にはこの場面で俺に話すことがあるとは思えないのだが。
だけど時雨さんは、痛いところを突かれたように言葉に詰まっていた。
そんな時雨さんに、玖須さんは「がんばってね」と何かを渡した。
黒い包みに入ったチョコ。たぶん、甘いものが苦手な時雨さんでも食べれるビターのもの。
「……これ、」
時雨さんは目を見開いて、それからくしゃりと泣きそうな顔をする。
――というか、泣いた。
泣くとしたらもっと前のタイミングだと思っていたから、完全に不意打ちだった。
ぎょっとする俺とは対照的に、玖須さんは驚きもせずに優しく微笑んでいた。
「うぅぅゔぅ……っ、ごめん。月ちゃん、ほんとに、ごめん」
「うん。気にしてないよ」
「わたし、これ……ず……ずっと、ったべたかったの……!」
「うん、ありがとう。飴、嬉しかった」
……やっぱこれ、玖須さんじゃなくて俺が帰るべきじゃないかなぁ。
いたたまれない思いで身を縮めていると、すぐに泣き止んだ時雨さんが恥ずかしそうにちらっとこちらを見た。見てませんよアピールのために急いで目を逸らす。
「……それじゃあ、今度こそ、またね。連絡する」
「う、ん……あっ、ま、待ってごめん月ちゃんついこの前ブロックしちゃったほんとにごめん!!」
「ふふ、逆に『ついこの前』なんだ? それだとちゃんと、全部読んでくれてそうだね」
「……全部読んでた」
「届いてたならよかったな」
ということで時雨さんと連絡先を交換して、玖須さんは帰っていった。
なんか、とてつもない友情を見せつけられたような気がする。友情っていうか……愛?
ちょっと赤くなった目で、時雨さんが俺のほうを見る。
……何言われるんだろう。緊張する。
やがてぽつりと、だけど意志の強い声で、時雨さんは言った。
「友達は月ちゃんがいればいい」
まあ、そこに関してはすぐに考えが変わるものでもないだろう。
それが時雨さんにとって楽で、幸せな選択なのだろうから、俺ができるのは「そっか」とうなずくことだけだった。
「けど……」
微かに目を伏せてから、時雨さんは上目遣いで俺のことを見つめた。
「は、長谷くんとなら、なりたいな、と思う」
照れたように、せっかく合っていた視線が背けられる。
今の言葉はきっと、俺に向けられた信頼とか、そういうもの。俺がそれに値する人間かはわからないが、時雨さんにとってはそうなのだと思うと……何だろう。なんていうか。
ちょっと、泣きたくなるくらいに嬉しかった。
遠回しに振られたのだろう、とも思う。
友達になりたいというのは、つまり恋人にはなりたくないということだ。
普通ならショックを受けるべき言葉だったのかもしれない。だけど、時雨さんと付き合えるなんて最初から本気では思っていないのだ。俺なんかが時雨さんと釣り合うわけもないんだから。
もう二度と話せなくなるかも、というところまで一度落ちたのに、時雨さんから、友達になりたいと言ってもらえた。
……俺だって時雨さんとなら友達になりたいと思う。
なら俺がやることは一つ。
この邪魔な恋心をどうにか消し去る。それができるまで、友達にはなれない。
だって、友達になりたい相手にそういう気持ちを向けられたままって……キモい、だろうし。いや、時雨さんならそんなこと思わないのだろうが、俺自身が、どうしても、キモいと思ってしまうから。
友達にはなりたいけど、気持ちを切り替えられるまでもう少し待っていてほしい――と答えようとしたときだった。
「だから」、と予想外の言葉が時雨さんの口から飛び出してきた。
「……それが嫌なら、早く私のこと口説き落としてね」
「………………へ」
だから? それが嫌なら? ――時雨さんのことを、口説き落とす?
まず、『だから』って。なに? どう繋がってるんだ。友達になりたいなら友達になりたいで終わりでいいのに。俺は別に、嫌なんかじゃないのに。
むしろ、これじゃあ。
――時雨さんが、俺と、友達じゃないものになりたがってる、ような。
…………いや、いやいやいやいや、勘違いかもしれない。
少なくとも俺はそこら辺の男とは違って、時雨さんに普通に接せられても勘違いしないと約束したのだ。勘違いするな。するな。
ありえない想像を振り払うために、ぎゅうっと太ももをつねる。調子乗んなよ俺。
……でも『口説き落としてね』とか、そんなさぁ……!? 他にどう解釈したらいいんだよ! 口説き落としてほしくない相手には言わねぇだろ!?
ってことはつまり、いや、勘違い、勘違いだから、鎮まれ俺の喜び!
「……なに?」
挙動不審になっていたのか、時雨さんが訝しげに俺のことを見る。
「えっ、い、いやー……勘違いだったら恥ずいからいい」
「なに」
「いいって」
「なに!」
なんでそんなムキになってるんだ。可愛いけど。
でもこんなふうにせっつかれたら、言ってもいいのかな。言って反応を見てみたいが、嫌われないだろうか。
これで失望されてさよならってことになったら……想像だけでしんどい。軽々しく勘違いしてはいけない。
「時雨さん、俺に勘違いしてほしくないだろ?」
「……『勘違い』って、そういう?」
眉根を寄せて、時雨さんはちょっと考えて。
そしてあっさり「気になるから、言うだけ言ってみて」と促してきた。
「……聞いたら時雨さん、後悔するかもしれねぇけど」
「月ちゃんのこと以上に後悔することなんてないんだから、もうこれから先どんなのが来たって大丈夫」
「……俺のこと、嫌いになるかも」
「恩人なんだから、そう簡単に嫌いにならないよ」
「俺って時雨さんの恩人なの!?」
「そうだよ、わかってなかったの?」
拗ねたように、時雨さんは少しだけ唇を尖らせた。
……恩人。恩人かぁ。
そんな大層な存在だというのなら、確かにちょっとくらいじゃ嫌われないのかもしれない。言うだけ言ってみるか。
「えっと、じゃあいくつか訊くんだけど……さっきのって、早く口説き落としてほしいって時雨さんが思ってるってこと?」
「うん。今ってなんか色々曖昧で気持ち悪いじゃん」
軽く肯定されて、心臓が跳ねる。
まだ、まだだ。決定的じゃない。曖昧で気持ち悪い状態を終わらせたいからってだけで……でもそれって、友達になるだけでも解決するじゃん……?
「く、口説き落とされたほうが、時雨さんにとって都合がいい?」
「都合がいい……って言うのかはわかんないけど、すっきりはすると思う」
「友達になるより、そっちのほうがすっきりする?」
「そう……かも?」
よくわかっていないような顔で、時雨さんは首を傾げた。
実際、よくわかっていないのだろう。時雨さんの話を聞く限り、初恋もまだだし。恋愛偏差値とかいうものがあったとしたら、きっと俺以下だ。
「あの、さ」
口の中が、カラカラに乾いていた。グラスの水は飲み切っていて、溶けたパフェも食べ切ってしまっていて、口を潤わせられるものは何もない。
せめてもと、ごくんと唾を飲み込む。
「……それって、俺のこと、好きってこと……なんじゃないかと…………」
「――え?」
時雨さんの、こんなに間の抜けた顔を初めて見た。きょとりと、いっそ幼いと感じるまでに目を丸くし、口も小さく開いたまま固まっている。
そして、じわじわと、しかし確かに――
「時雨さん?」
「……」
「時雨さ~ん」
「……なに」
「……顔、赤いけど」
「っいつもはそういうの突っ込まないくせに!」
恥ずかしさがキャパオーバーしたのか、時雨さんは声を荒げる。そして店内であることを思い出したのか、はっと声を小さくした。
「よ、よくわかんないけど、仮にそうだったとしてもまだ付き合わないからね。長谷くんにときめいたことなんて一回もないし。最初に出した条件クリアするまでは付き合ってあげられないよ」
「一生付き合えねぇ気がする……」
「……一回くらいできるでしょ。タイムリミットなしにしてあげるから」
え、と目を瞬いてしまう。
タイムリミットなしってことは、本当に一生待っててくれるってことか?
……それってなんか、プロポーズみたい、な。いや、全然そんなつもりないんだろうけど、だって一生って、一生じゃん。
「……なんで黙るの」
「……いや…………ほんとにタイムリミットなしでいいの? マジで一生かかってもいい?」
「そんなに失敗し続けるつもり?」
呆れたようにため息をついた時雨さんは、「じゃあわかった」と腕を組む。
「タイムリミットは今日」
「今日!? 一気に縮まりすぎじゃね!?」
「無理だったら友達ね」
「どっちに転んでも嬉しいやつじゃん……」
失敗しても友達にはなれると思うと、気持ちが楽だ。いや、こんな心持ちで臨んじゃいけないんだろうけど。
でも今日って、無理だろ。これはもう、俺とは友達になりたいっていうアピールなのか? ……あんな反応しておいて?
「……なんでもいいから、とにかく言ってみて」
むすっとした時雨さんに急かされて、慌てて頭をぐるぐる回す。
でも考えてわかるようなことだったらとっくにクリアしてんだよな!! 考えても無駄なんだから、とりあえず……ええっと……えっと…………。
「あっ、そうだ、イルミネーション!」
思い出したことがあって、ぱっと顔を上げて時雨さんを見る。
「イブの日、結局一人でイルミネーション見たんだけどさ」
「……ごめん」
「えっ、あ、ちが、謝らせたいわけじゃなくて!」
前置きミスった!! これだから俺は駄目なんだ。
気まずそうにする時雨さんに俺のほうからも「ごめん!」と謝って、言葉を続ける。
「そんでその、一人で見ても綺麗だったけど……時雨さんと一緒に見れてたら、イルミネーション見てる時雨さんのほうが綺麗だっただろうなって思った」
「なんか、全部そうなんだよ。綺麗なもの見るたびに時雨さんのこと思い出すんだけど、どんな綺麗なものでも、たぶんそれ見てる時雨さんのほうが綺麗だろうし、そっちを見たいなって思う」
「前は、時雨さんのほうが綺麗だなって思うだけだったんだけどさ。いつの間にか、そう思うようになってた。だって絶対綺麗だし……綺麗な時雨さん見れたら幸せだし……。綺麗っていうのは見た目だけの話だけじゃなくて、なんかもう、全部ひっくるめての話で」
「……っていうかこれ、伝わってる? 綺麗と見ると思うでごちゃごちゃしててよくわかんないことになってね? 大丈夫?」
自分で話しててよくわからなくなった。同じ単語をいっぱい使って話すの、よくないな……。
反応が特になかったので時雨さんも混乱しているのかと思ったが、特にそういうわけでもないようで、「大丈夫」とちょっと硬めの声が返ってくる。
「……月ちゃんから、何か聞いた?」
「え、玖須さん? なんで?」
「いや……聞いてないなら、いい」
いい、って顔してないんだけど。まあ、突っ込まないほうがいいところなんだろう。
「長谷くん、いつもの下手くそはどうしちゃったの?」
「えっ、今の及第点だった?」
めちゃくちゃぐだぐだだったと思うんだけど!?
「及第点っていうか……うーん……」
悩ましげな声を出した時雨さんは。
何かを諦めたように、そして同時にどこか嬉しそうに、息を吐いた。
「いいよ、ときめかなかったけど、長谷くんといると楽しいから付き合ってあげる」
「……楽しいの?」
「楽しくなかったら、こんなにチャンス延長してないでしょ」
それは、確かに。面白がってくれてるとは思ってたし、楽しんでくれてるようにも、見えてたし。
だけどいざ本人からはっきりと口にされると、なんだかよくわからなかった。
だって、俺と一緒にいて楽しいって……何だ?
「さ、最初から楽しかった?」
「最初も、まあ楽しかったかな。というよりは……面白かった?」
「いやでも俺の告白、かなりキモかっただろ?」
「そう? 気持ち悪い告白っていうなら、もっと……いや思い出すだけで気持ち悪いからやめるけど、長谷くんのは全然よかった。いいところも悪いところも、ちゃんと私自身をよく見てくれてるんだろうなって思えたし」
そうだ、時雨さんならそりゃあ多種多様の告白を受けているに決まっている。
その中の最低の告白と比べて、という評価はあれだが、だとしても、時雨さんにとって気持ち悪くないならよかった。
そっか。
――キモく、なかったのか。
どっと、不思議なくらい重たく、安堵が胸の中に広がる。
どうしてこんなに安心したのかわからないけど。
でも、よかった。……ほんとによかった。時雨さんにとっては、キモくなかったんだ。
「というか! 付き合ってあげる、のほうに何かコメントはないの?」
時雨さんが少しだけむくれる。
「へ。……あ、つき、えっ、マジで?」
ときめかなかったのに!? そんな前言撤回ありなのか!?
唖然とすれば、時雨さんはちょっとじと目で俺のことを見てくる。
「ほんとは私と付き合いたくなかったりする?」
「付き合いたい!」
時雨さんがいいなら、という言葉をつけるのも忘れて食いついてしまった。その勢いに時雨さんがくすくすと笑う。
「……長谷くんは、付き合ったら私と何がしたい?」
「へあ」
いきなりとんでもない質問が来た。
何が。彼女になった時雨さんと? したいこと?
……………………びっっっくりするほど想像がつかない。
え、だって、キスとかすんの? 時雨さんと? この綺麗な人と俺が? なんで?? 付き合ってるから? なんで!??
「そ、そういうのは、なんか……まだ……自然に任せるっていうか……」
「顔真っ赤」
「時雨さんだってまだちょっと赤いし!」
「私も?」
きょとんとした時雨さんが、両頬に手を当てる。うわ、そのポーズ可愛い。
「……あー、たぶんこれは、恥ずかしいとか照れてるとかじゃなくて……なんか、嬉しくて体温上がっちゃってるのかも」
「…………俺と付き合えるのが嬉しいってこと?」
「ちょっと違うなあ」
違うんだ……。ハズい。
そのままの流れで本当の理由を教えてくれるのかと思ったのに、時雨さんは小さく笑うだけ。俺が首を傾げると、ますますその笑みを深めた。
「何が嬉しかったかは、内緒ね」
そう言えば俺が突っ込めないことを知っている、ずるくて可愛い人は、俺の微妙な顔を見て「あははっ」と軽やかに笑い声を上げたのだった。
◇ ◇ ◇
――どんな綺麗なものも瑞姫ちゃんと見たいけど、それを見てる瑞姫ちゃんが一番綺麗なんだろうな。
似ている言葉だったから、というわけではない。
月ちゃんと同じような目を持っている人だから、というわけでもない。
でも、それが嬉しいと思ったのは確か。
だってなんだか――ちょっと奇跡みたいだと思ったのだ。
まだ恋はわからないけど、私は長谷くんのことが好きで、月ちゃんのことはもちろん大好きで、そんな大好きな二人が二人とも、私のことをそんなふうに見てくれている。
それが、なんだかすごく、嬉しかった。
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