24. 時雨瑞姫は、わかっていた
――月ちゃんと長谷くんが、私に内緒で会う。
そう湊本くんから(正確には春宮さんから)聞いたとき、どうして、と思った。
なんで私に内緒で?
……月ちゃんと私の問題なのに、なんで、私をそこに入れてくれないの。二人きりで会う必要なんてある?
長谷くんのことは信頼しているけどやっぱり月ちゃんが心配で、でもたぶん、二人きりで会おうと言い出したのは月ちゃんのほうで、内緒にすると決めたのもきっと月ちゃんで、長谷くんはそれに応じて、それで……それで。
わけがわからなくて、いてもたってもいられなくて、気づいたら二人のもとへと向かっていた。
月ちゃんはさすがだ。私のことをよくわかっている。強引に引っ張っていくより、この方法のほうが私を捕まえるだけで済むから簡単だ。
――そういう作戦だった、ということはもう理解した。
それでも、二人のやりとりを思い出すと……なんだかもやもやする。
仲が良さそうだった。長谷くんは、私といるときよりも気安そうだった。私が来なければ、あのまま二人で何かを楽しく話していただろう。
引っ張ってでも連れてくって、言ってくれてたのに。
結局私がこの場に引きずり出されたのは事実だけど、それは少し話が違う。それじゃあ、私をこの場に連れてきたのは長谷くんじゃなくて月ちゃんということになる。
……長谷くんは私との約束よりも、月ちゃんの作戦を優先した。
(長谷くんが好きなのは、私でしょ)
なのになんで。
そんな謎の思考が頭をよぎって、それから、そっか、と納得した。
私のこと、好きじゃなくなったのかもしれない。
いくら顔が良くても、こんなひたすらに意地っ張りで拗らせた面倒な女、愛想を尽かすのが当然だ。
月ちゃんのほうがずっと素敵な女の子。たまにびっくりするほど鋭い一言が飛んでくることもあるけど、私は月ちゃんのそういうところだって大好きだ。
長谷くんは、月ちゃんに惹かれたのかもしれない。
……そうだったらいいな、と思った。
そうだったら、長谷くんが私のことじゃなくて月ちゃんのことを好きになったのなら、なんとなく。
月ちゃんと向き合うための気持ちが、少し楽になる気がした。
「玖須さんと話して、さっさと正気に戻れ。終わるまで、ここで静かに見張ってるから」
だけど、そんなことはなかったらしい。
ふてくされたように溶けたパフェを食べ始めた長谷くんに、私はようやく観念して、月ちゃんと向き合った。
久しぶりに見る月ちゃんの顔。……写真ですら見ないようにしていたから、本当に久しぶり。さっき一瞬だけ目が合ってしまったけど、顔をしっかり見る余裕なんてなかった。
見ているだけで胸が詰まって、声が出なくなる。月ちゃんがマスクをつけてなかったら、もっと過剰な反応をしてしまったかもしれない。
私に甘い月ちゃんは、それがわかっていたように優しい表情で先に口を開いた。
「わたし、大丈夫だよ。こう言っても無駄かもしれないけど、瑞姫ちゃんはなんにも悪くない」
私が長谷くんに言えなかったその言葉を、月ちゃんはあえて口にした。
違う。なんにも悪くないわけがない。
仮に、あの男に好かれたこと自体に非はなくとも、あの後からの私の態度はひどいものだった。
「……でも私、ずっと。月ちゃんにわざとひどい態度取ってた」
「わたしのために、またなんだか空回ってるんだろうなぁってわかってたから大丈夫」
腕を掴んでいた月ちゃんの手が、するりと動く。手を繋がれて、その冷たさに泣きそうになった。
普段、月ちゃんの手は温かいのだ。それがこんなに冷たい。
月ちゃんも緊張している。たぶん、怖がってもいる。
それでも、ここにいてくれている。
――わかってた。
月ちゃんは、わかってくれてるってわかってた。
だからなおさら合わせる顔がなかったのだ。
そんな一方的に負担をかけるような関係性、友達じゃない。
私ばっかり月ちゃんにいろんなものをもらってきて、返すどころか泣かせてしまって、それが情けなくて、嫌われるわけがないのにどうしても怖くて、避け続けて。
なのにどうして。
どうして、まだ友達でいてくれようとするんだろう。
「それに瑞姫ちゃん、あれから他の子にはちょっとひどいことも言うようになったけど、わたしのことはひたすら無視しただけでしょう」
「だけって……」
「だけだよ。寂しくも悲しくもなかったって言ったら嘘になるけど、ひどいことはされてない」
ちがうよ。ひどいことだよ。
そう言うのは、月ちゃんの感じたことを否定することになる。
助けを求めるように長谷くんを見れば、長谷くんは口パクでがんばれ、と言いながらグッと拳を握った。
……別に声出してくれてもいいのに。
それでも少しは力になって、そうっと月ちゃんに視線を戻す。
月ちゃんは、私を安心させるようににこりと笑った。
「ね、瑞姫ちゃん。わたし、本当に大丈夫なんだよ」
「……でも月ちゃん、すごい泣いてた」
月ちゃんの言葉のすべてに、でも、としか返せないことが情けない。
「まあ、彼氏の浮気? が判明した直後だとね……好きだったのは確かだから」
苦く笑って、今度は月ちゃんが「でも」と続ける。
「わたしと付き合ったまま瑞姫ちゃんに告白するような人、わたしのほうから願い下げだもの。次の日にはなんとも思ってなかったよ?
瑞姫ちゃんをこんなふうにしたっていう意味では、ひどい目に遭えばいいのになぁって思うけど。転んで骨を折るくらいはしてほしいよね」
長谷くんが月ちゃんを二度見した。
わかる。びっくりするよね。
お嬢様然とした月ちゃんからそんな過激な発言が出るとは、月ちゃんのことをよく知らない人は誰も思わない。
「……その後も、つらそうな顔してたでしょ」
「だって瑞姫ちゃんがつらそうだったから。あの人のことは関係ないよ」
あっさりと言われて、息を呑む。
……あの男のことが本当に好きだったことを知っている。だから、引きずっているんだと思っていた。
「原因ってことなら、関係ないとも言えないけど……。もう一回念押しさせてね。あの人のこと、もうなんとも思ってない。だから瑞姫ちゃんが、あのことについて負い目を感じる必要は一切ないの。あれから、今までのことだって」
真剣だった月ちゃんの目元が、ふっと和らぐ。
「思い込みがちょっと激しくて、一人で突っ走っちゃうところ、そこも瑞姫ちゃんの魅力ではあるけど、いざ自分に対して発揮されちゃうと困るんだって思い知っちゃった」
「ご、ごめん」
「……ううん。時間が解決してくれるだろうって楽観視しちゃったわたしが悪いの。どうせまた高校もクラスも同じだから、そこでゆっくり元どおりになれるかと思ってて」
「ごめん…………」
外部受験をすることは、本当に直前で決めた。
受かったことも担任にしか伝えていなくて、誰にも言わないようにお願いしていたから……月ちゃんが知ったのは、四月。高一になって、最初に教室に行ってからだろう。
どれだけのショックを与えてしまったのかと考えれば考えるほど、最低なことに、やっぱりこの場から逃げたくなってしまう。
だけど、繋がれた手は冷たいままで。
長谷くんが、心配そうに見つめてくれていて。
ここでまた逃げ出したら、月ちゃんを好きだと思う資格すらなくなるから――繋いだ手に、力を入れた。
「……私、月ちゃんが大好き」
握り返される手。
「こんなこと言う資格はないと思ってる。でもたぶん、月ちゃんなら、こんなことに資格とか必要ないって言ってくれるのもわかってる」
声も手も、震えた。
私と月ちゃんの間に起きたことは、普通の友達だったら疎遠になって終わるものだ。
仲のいい友達だったら、もしかしたら笑ってすぐに元どおりに戻れるもの。私たちだって、私が面倒な奴じゃなかったらそうできた。
でも、私は私を許せなかった。
今だって許せていないけど――でも、でも。
無理だった。
だって、目を合わせてしまった。顔を見てしまった。言葉を交わしてしまった。冷たい手に、ふれてしまった。
こうなることがわかっていたから、私は月ちゃんのことを徹底的に避けたのだ。
「月ちゃん、」
いきが、しんぞうが。
とまりそう。
息も心臓も、月ちゃんに止められるなら別にいい、と思う。だけどそしたら月ちゃんが悲しむし……長谷くんも、きっと悲しむ。
――そうだ。長谷くん。
長谷くんが、見守ってくれている。
そう思うと少しだけ、息がしやすくなった。
今ならちゃんと、声が出る。
震わせずに、真っ直ぐに伝えられる。
息を吸う。
「――今までごめん。もう一回、私と友達になってくれますか? なってくれるなら……私は月ちゃんと、ずっと友達でいたい」
言ってしまった、と思う。
ずっとずっと、これを言わないために、頑張っていたのに。……これを言ったら、私の望むとおりになってしまうとわかっていたから、頑張っていたのに。
結局私は月ちゃんのことが大好きで、意地を張り続けられないくらい好きで、友達でいたいのだ。
私の身勝手な言葉に、月ちゃんは大きくうなずいた。
「もちろん。わたしだって瑞姫ちゃんが大好きだもの。でも、一つ約束してほしいな」
優しく笑って、彼女は言う。
「わたしのこと、嫌いにならない限り、もう避けたりしないで。わたしと会話するのを、何があっても怖がらないで」
「……うん。ほんとに、ごめんね」
「わたしもごめん。……腕、痛くない?」
繋がれていた手が解かれる。もう少し繋いでいたかったけど、必要がないのだから仕方ない。
痛くないよ、と答えるとき、自然に笑みが浮かんだ。
もう大丈夫。私は、月ちゃんの前で笑える。
「……いっぱい喋らせちゃってごめんね。飴いる?」
月ちゃんは、一瞬目を丸くして。それからとても嬉しそうに笑って、「もらっていい?」と手を出してきた。
その上にいつもの飴の袋を載せてから、長谷くんを見やる。手持ち無沙汰にならないためか、ちまちまとパフェを食べていた彼は、私の視線に気づいて目を瞬く。
……きっと私は。
月ちゃんと二人きりだったら逃げてしまっていた。少しの対話で済む問題に向き合えず、一生後悔するところだった。
だから、長谷くんがいてくれてよかった。
第三者なら誰でもよかったわけじゃない。
情けないところを見られるのなんて今更だ、と思える人じゃなきゃいけなくて。
『……それは不器用すぎだろ、時雨さん。そうやってさらに傷つけてどうすんの』
――私のことを好きだからって全部を肯定せず、駄目なところは駄目だと言ってくれる人じゃなきゃいけなかった。
そして、こういうときに、本当にただ黙って見守ってくれる人。踏み込んでほしくないラインを、きちんと守ってくれる人。
長谷くんじゃなきゃ、駄目だった。
「……長谷くん、ありがとう」
「んえっ!? ど、どういたしまして?」
面食らった長谷くんが、首を傾げる。
「いやでも、俺いる意味あった?」
「っふふ、ちゃんとあったよ。だから、ありがとう」
「ならいいけど……」
納得いってない様子の長谷くんに、「ほんとにあったからね」と念を押す。感謝の気持ちが伝わらないのは、少しかなしいから。
ゴミ屑にもできなかった汚いものは、綺麗に洗い流されて、少しだけ形を変えて戻ってきた。
月ちゃん以外の友達は、やっぱりいらないけど。
もし長谷くんが私をときめかせられなくても、長谷くんとなら――友達になりたいな、と思った。
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