23. 真面目な場でパフェは頼むべきではない

 土曜の昼下がり、星女近くのカフェで玖須さんと顔を合わせる。何やらおしゃれな雰囲気のカフェだが、空いていたため四人席に悠々と座ることができた。


「こんな声ですみません」


 マスクをした玖須さんは、完全な風邪声だった。

 ……時雨さんがのど飴持ち歩いてたのは、たぶんこういうときのためなんだろうなぁ。

 二年会ってなくて、会う気もなくて、それなのにのど飴は持ち歩いていた。染みついた癖というには少し、長すぎるだろう。

 というのは、俺が思うべきことじゃないけど。


「いや、こっちこそ体調悪いときにごめん」

「声以外は特に問題ありませんので、お気になさらず。そもそもわたしから誘いましたしね」


 口元は見えないが、目元だけでもやわらかく微笑んでいるのがわかる顔だった。優しい笑い方をする子だな、と思う。


 玖須さんが注文したのはカフェモカ。飲むときにだけマスクを下げて、話すときにはきちんとつける配慮をしてくれた。

 俺も飲み物だけにしようかとも思ったのだが、つい気になってパフェを注文してしまった。


「……もしよろしければ、瑞姫ちゃんの学校での様子を伺っても?」

「えっ、これ保護者面談的なやつだった?」

「誰が瑞姫ちゃんの保護者ですか。反抗期の子どもを持つ親の気持ちは少しだけ味わっていますけど」

「ああ……」


 反抗期の子ども。確かに、わかる……。言い得て妙である。

 納得しながら、うーん、と考える。


「学校での様子って言ってもなぁ……基本時雨さん、誰とも仲良くならないようにしてるし」

「……そうですか。やっぱり」


 玖須さんは、悔いるように静かに目を伏せた。


「つらそうにはしていませんか。寂しそうには、していませんか」

「……つまんなそうにはしてたかも。辛いとか寂しいとかは、見せないようにしてるんじゃないかな」

「そういう子ですものね、瑞姫ちゃんは」


 マスクの下で苦笑いする気配がした。

 ……ところで、なんかしみじみと話してるけど、この会合にはなんの意味があるんだろう。ここまで来ても教えてはくれないんだろうか。

 玖須さんにそう率直に訊いてみれば、ふふ、と可憐な笑い声が返ってきた。


「これは、そうですね。いわば準備期間です」


 テーブルの上に肘を置き、組んだ手に顎を載せる玖須さん。


「今は、わたしと長谷くんが『瑞姫ちゃんに内緒で二人で会う』ということが重要です。わたしも長谷くんも、瑞姫ちゃんをおびき出すための餌のようなものですよ」

「こんなんでおびき出せんの……?」

「意地っ張りですが、瑞姫ちゃんは単純なところがありますから」


 ありのままの事実を語るように、時雨さんは淡々と解説をした。


「わたしたちがこそこそ何かしているかもしれない、ということは瑞姫ちゃんに伝わっていますよね。その状況が続けば、瑞姫ちゃんはきっと不安になりますし、わたしのことを心配してくれますし、やきもちも焼いてくれるはずです。……どちらにかはわかりませんが。両方という可能性もあります。

 とにかく、不安にさせてしまうのは本意ではありませんが、そのうち痺れを切らし、て――」


 言葉が止まる。玖須さんは目を丸くして窓の外を見つめていた。

 つられてそちらを見るも、そこには何か目を引かれるようなものがあるわけではなく。

 視線を戻せば、玖須さんは嬉しそうな、悔しそうな、複雑な感情が見え隠れする目でつぶやいた。



「――思った以上に好かれているんですね」



 は? と首を傾げていると、こちらに近づく足音が耳に入ってくる。嫌に響いて聞こえるそれは、俺たちのテーブルの横で止まった。

 ……もう半ば見えてはいるが、そうっとその足音の主へと視線を向ける。



「……瑞姫ちゃん」



 ――玖須さんが名前を呼んだとおり、そこには時雨さんがいた。むっすりとした顔で。


「……え、時雨さん? な、なんでここに」

「春宮さん経由で湊本くんから聞いた」


 淡々とした返事。

 ……湊本がなんで場所と時間まで知ってんの? 俺そこまで話したっけ? まったく記憶にない。

 俺が言わなきゃ湊本に伝わるわけ……わけ…………。いや、待てよ。連絡先、自体は。


 玖須さんを見る。

 俺の視線に気づいて、彼女はにっこりと小首を傾げた。


「玖須さん!?」

「なんですか、長谷くん。おかしなことはしていませんよ」

「えっ、や、でも、え? どういうこと?」

「こういうことです。でもまさか、一日でとは……。想定していたよりかなり早かったですが、上手くいってよかったです」

「全然わかんねぇんだけど!」

「先ほど以上の解説が必要なら、またのちほど。今は――」


 警戒心というものを忘れさせるような、穏やかな微笑みを浮かべたまま。


「――瑞姫ちゃんを逃がさないことのほうが大切ですので」


 俊敏な動作で、玖須さんは時雨さんの腕を掴んだ。

 掴まれた時雨さんはといえば、「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げて腕を引こうと頑張っている。その努力虚しくまったく抜け出せずにいるので、罠にかけられてしまった子兎でも見ている気分だった。


「お、おう、そうだな、そういえば逃がさないって約束もしたんだった」


 俺ももう片方の腕を掴んでおくべきか……と一瞬思ったが、俺がやったらセクハラである。浮かしかけた腕を何事もなかったように元に戻す。

 玖須さんが逃がさないようにしてるなら、俺はなんもしなくて平気かな。約束違反になるか?

 通せんぼでもできたらいいんだが、他のお客さんの迷惑になりそうだし……。


 結局時雨さんは、玖須さんの腕を振り払うのは諦めたようだった。抵抗せずに、じっと立っている。

 なら、ひとまず俺の通せんぼは必要なさそうだ。


「瑞姫ちゃん、強く掴んじゃってごめんね。痛くない?」

「……」

「時雨さん、こっち見ないで玖須さん見てあげて。頑張れ。いける。頑張れ!」

「その、応援するならもう少し気合が入るようなものを……」

「えっ……俺、応援まで下手……?」


 真面目に応援したのに、気合が入らない応援って言われた……。

 ショックを受けていると、時雨さんが微かにふるふると震えていることに気がついた。

 笑い、ではない。

 不安そうに、時雨さんは眉を下げていた。



「な、なんで二人とも、そんなに仲良くなってるの」



「仲良くなってないよ」

「仲良くなってねぇよ」


 声が揃ってしまって説得力がなくなった。

 しかしこっちは、時雨さんがそう判断した理由すらまったくわからないくらいなんだが。


「長谷くんと直接ちゃんと話すのだって、今日が初めてみたいなものなんだよ。前には挨拶くらいしかしなかったし……」

「そうそう」

「それより瑞姫ちゃん、ずっと立ってると疲れちゃうでしょ。私の隣、よければ座って」


 ……四人席に座ったの、もしかしてこうなる展開も視野に入れてたってことか?

 時雨さんはかわいそうなくらいに視線をさまよわせて、やがてちょこん、と控えめに玖須さんの隣に座った。


「瑞姫ちゃん、ブレンドコーヒーでいい?」

「……うん」


 微かに、けれどしっかりと返事をした時雨さん。そんな彼女に玖須さんは一瞬顔を輝かせてから、すぐに真面目な顔を取り繕ったのだった。


 時雨さんの分の追加注文も済ませて、改めて最初に口を開いたのは、意外なことに時雨さんだった。


「……なんで二人で会ってたの? ここに私を引っ張ってくれば、それでよかったんじゃない?」


 うつむいた時雨さんは、俺たちのどちらとも目を合わせようとしない。

 正直いまいち状況を飲み込めていないので、答えたくとも答えようがない。それは……と口ごもったところで、「私がお願いしたの」と玖須さんが言葉を継いだ。


「瑞姫ちゃんを引っ張ってくるより、おびき出して捕まえたほうが確実性が高いもの。わたしと長谷くんがこそこそ仲良くしているふりをすれば、瑞姫ちゃんなら気になって来ちゃうと思ったの」

「……」

「瑞姫ちゃんは……わたしのこと、大好きなままでしょう? そうじゃなかったら、こんなに避ける必要ない。

 わたしが男の子と二人きりで会うとなったら、心配して来てくれるかなって。それに……長谷くんも、ちょっと特別、みたいだったから。余計にね」

「……」

「……騙すようなことして……ううん、傷つけるようなことして引っ張り出して、本当にごめんね」


 寂しそうに謝った玖須さんに、時雨さんは弾かれたように顔を上げた。――初めて、時雨さんと玖須さんの目が合う。


「っそんな、月ちゃんが謝ることなんて一つもない!」


 はっと口元を押さえ、時雨さんは周囲を確認した。ここでの大声は悪目立ちしすぎる。

 声を止めたら、勢いまで止まってしまったのだろう。時雨さんは途方に暮れた顔でまたうつむいてしまった。


 ……それにしても、俺が『ちょっと特別』ってなに?



「瑞姫ちゃん。わたしの話、聞いてくれる?」


 腕を掴んだまま、玖須さんが問いかける。

 時雨さんは俺のことを縋るように見つめてきた。これ、俺がいることでなんか役に立ってんのかな……? と疑問に思いながらも、こくん、と大きくうなずいてみせる。

 ゆらゆら揺れる瞳で黙っていた時雨さんは、なぜかぽつりと俺の名前を呼んだ。


「……長谷くん」

「うん?」



「長谷くんはもう……私のこと、好きじゃなくなった?」



「――めっちゃ好きだけど!?」


 いきなり何を言い出すのか。

 驚きすぎて、今度は俺が大声を出してしまった。つ、次に何を言われようとも、普通の話声の大きさで対応できるように身構えなければ。


 でも、と難しい顔で時雨さんは言葉を続ける。


「月ちゃんめちゃくちゃいい子だし、可愛いから……仲良くなったなら、月ちゃんのこと好きになっちゃうかもしれない」

「仲良くもなってねぇし、今のところ好きになる予定もない」

「予定は変わる可能性もあるでしょ」

「今関係あるのは『今』のことだろ。俺が今好きなのは時雨さんだって言ったじゃん」


「だ、だってそんなの…………」


 今まで溜め込んできたものが、何かに押し流されてこぼれ落ちたように。

 時雨さんは、苦しそうな顔で、言った。



「――正気じゃ、ない」



 一瞬なんと言われたのかわからなくて。

 は? と固まった俺を、玖須さんが哀れむように見ていた。

 ……息と同時に、思い切り声を吐き出す。


「はぁああ?? 正気じゃないのは時雨さんのほうだろ。俺は少なくとも、今の時雨さんよりは正気だよ」


 どういう思考回路でそんなありえないことを考えたのか知らないが、さすがにむっとしてしまう。


「時雨さんのこと好きじゃなかったら、ここにいねぇよ」


 ……俺がなんのために、超絶気まずい中学のクラスRINEにまで連絡を取ってみたと思ってるんだ。

 そんなこと時雨さんには言ってないから、これは俺の勝手な苛立ちなんだが。


 食べる機会を失っていたせいで、すっかり溶けているパフェを長いスプーンですくう。


「玖須さんと話して、さっさと正気に戻れ。終わるまで、ここで静かに見張ってるから」


 せめて少しでも、頼まれた役目をまっとうしなければ。

 ぱくんと口に入れたアイスはただの液体で、こういう場で頼むもんじゃなかったな、と反省する。

 時雨さんは俺のことをしばらく見つめていたが、やがて諦めたように――玖須さんを真っ直ぐに見た。




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