20. 分が悪い勝負にも乗らなければならないときがある

 放課後。時雨さんは、約束どおり公園に来てくれた。

 ただし、俺と目を合わせないためにか、首だけ横を向いた状態で。めっちゃ歩きづらそうだな。


「時雨さん、来てくれてありがとう」

「…………」


 むっすり、その横顔は黙り込んでいる。口元はマフラーで見えないから、雰囲気だが。

 大変申し訳ないが、もう一度念押しで脅しておく。


「ちなみに、時雨さんがちゃんと俺のこと見て本音で話してくれなきゃ、また明日学校にメガホン持ってくからな」

「……なんでメガホン」

「時雨さんにだけ恥ずかしい思いさせて、俺がなんもねぇのはずるいだろ。相討ちみたいなのがいいと思って」

「相討ちって……」


 あ、声ちょっと震えた。たぶん普通だったら笑ってくれてた場面だ。

 たった数日話していなかっただけで、時雨さんの声を随分久しぶりに聞いたような気がした。授業中の発言は聞いていたのに。


「……時雨さん、こっち見て」


 顔を覗き込みにいきたいのをぐっとこらえて、ベンチに座ったままお願いする。

 逡巡するような気配がした後、時雨さんは隣のベンチに座り、ちら、と視線だけこちらに向けてきた。


「ありがとう。あとこれ、寒いから」


 さっき買っておいたブラックコーヒーを渡すと、時雨さんは無言で受け取ってくれた。

 プルタブを開けることなく、手袋越しに両手で握る。そしてまた、視線だけ俺に。


「……なんで急にこんなことやろうと思ったの?」


 ……時雨さんがこっち見て、俺に話しかけてくれた!

 少し前まではそれが普通だったのに、そんなことに感動してしまう。でも考えてみれば、好きな子と目を合わせて会話ができるってすげえことなんだよな……。


「長谷くん?」


 時雨さんが名前を呼んでくれた。もう今日はこれで終わりでもいいかも、なんて馬鹿な考えが浮かんだのを即座に振り払う。

 せっかく来てくれた時雨さんの時間を無駄にするわけにはいかない。


「ご、ごめん。ええっと……RINEで説明したとおりなんだけど」

「……私の本音が聞きたいから? 余計なお世話だよ」


 冷たくて厳しい声。

 そうなんだよなぁ、と苦笑いする。紛れもなく余計なお世話。下手したら時雨さんは傷ついて、俺は彼女に嫌われる。

 それでも――それでも、俺はここで踏み込みたかった。



 隠したがっていることを無理に暴くことはしたくない。

 でもその隠し事を、心の奥底では暴かれたがっていたら?



 もちろんそんなの、他人が判断できることじゃない。俺のこの予想が外れていたら、俺は人に一番したくないことを、世界で一番好きな女の子にする最低野郎だ。

 いや、脅してる時点でもう最低なんだが。


 俺と友達になりたくない云々が本音かどうかは置いておいても、玖須さんと元どおり仲良くしたがっているのは確実である。

 それっぽい言葉はすでに引き出しているし、過去話からは、時雨さんがいかに玖須さんのことが大好きか……というか、未練を持っているかが伝わってきた。


 だけど時雨さんはきっと、これ以上何を考えたって、出した答えを撤回しない。

 ……そんなのもう、誰かが無理やり引きずり出して認めさせて、行動させなきゃどうにもならないじゃないか。

『それっぽい言葉』じゃ足りないのだ。

 ちゃんと、はっきりとした言葉を引き出したかった。


 ――引き出したいと、思ってしまった。



「うん、ごめん。余計なお世話だよな」

「わかってるならやめて。長谷くんらしくないよ」

「……うん。ありがと」

「なんでそこでお礼?」

「俺のことわかってくれてて嬉しかったから」


 視線が逸らされた。

 どういう反応かわからなかったが、気分を害したようには見えないので続けていく。


「まずは、玖須さんとの問題についてもう一回聞きたい。合わせる顔ないって言ってたけど、そういうの抜きにした本音聞かせて」


 結局、どれだけ考えても時雨さんの本音を引き出す方法なんて思いつかなかった。

 だからもう、できる限り言葉を尽くして、全力で真摯に向き合うしかない。真摯には真摯を返してくれる子だから、案外上手くいく……という可能性にかける。


『玖須さんと、また楽しく話せるようになりたい?』

 俺のその問いに、時雨さんは『もう無理だよ』と言った。

 なりたくない、とは言っていない。むしろ、『今更仲良くしたいとか虫がよすぎる』とその逆に近いことを言っていた。


 そこの本音をきっちりと、時雨さんの口から聞きたかった。

 それが今日の目標の最低ライン。……聞き出せない限り、本当に俺なんかが余計な行動しちゃ駄目だしな。


「こっち、見て」


 黙り込む時雨さんに、もう一度ゆっくりとお願いした。俺のことを見てくれるまで辛抱強く待つ。

 やがてまた視線だけ、こちらへ控えめに向けられた。


「申し訳ないとか罪悪感みたいなのは一旦置いといてさ。のか、教えて」

「……聞いて、どうするの」

「それが叶えられるように全力で協力する」


 即座に答えた俺に、時雨さんの瞳が揺れる。


「長谷くんにできることなんてなんにもない」

「話聞くくらいはできるし、時雨さんの背中めちゃくちゃ押しまくるのもできるし、万が一上手くいかなかったときに慰めるのも……たぶん……できる……と思う……」

「……無責任。結局なんにもできないって言ってるのと同じじゃん」


 でも時雨さんが行動すれば解決する問題だと思う……というのは、さすがに言えなかった。そんなの、時雨さんが一番わかっているだろうから。


「あっ、あとは、玖須さんとの話し合いから時雨さんが逃げないように押さえつけるのもたぶんできる!」

「そもそも私、話し合いの場なんか行かない」

「引っ張ってでも連れてく」

「……月ちゃんの連絡先も知らないくせに」

「そ、それはなんとかする」

「私は絶対教えないよ? というか……」


 一度言葉を止めた後。

 時雨さんは、何かを悔いるように続きを吐き出した。


「ついこの前、ブロックして消しちゃったから。わかんないし」

「俺がんばる……」


 やっぱりそこがネックなんだよなぁ。

 ……いや、でももう時雨さんに俺の目論見はバレてるんだし、知り合いに片っ端から訊いてみるか?

 星女の子とお近づきになりたいナンパ野郎と思われて嫌厭されるかもしれないが、時雨さんと湊本、あと春宮さんに嫌われなければそれは別にいい。


「とりあえず、学校中の人に星女の知り合いいないか聞いてみるよ。そこから玖須さんに繋がるかもしれねぇし」

「……そこまではしなくてもいいんじゃない?」

「そこまでしないと駄目だろ」


 でも、と時雨さんの眉が下がった。

 しっかりと顔ごとこちらを向いて、目を合わせて、彼女は言葉を続ける。



「……それで長谷くんが、悪く思われちゃったりしたらやだよ」



「………………じゃあそれはしないけど、とにかく頑張る。どうにかする」


 俺の評価なんかどうでもいいんだよ、と切り捨てることはできなかった。

 だって、久しぶりに目を合わせてまで言ってくれたのだ。この心配を受け入れなかったら、たぶん時雨さんを好きでいる資格もない。


 時雨さんはほっと表情を緩ませた後、慌てて澄まし顔を取り繕った。

 そして少し黙り込んだ後――俺の目を真っ直ぐ見たまま口を開く。


「さっき言ったこと全部、できるならやってみせて。本当にできたら、おとなしく月ちゃんと話してあげる」


「……言ったな!?」


 分が悪い勝負だ。

 だけど、負ける気はなかった。負ける気はしない、と言えたらもっと格好がついたのだが、あいにくその自信はそれほどない。あるのは諦めない自信だけだった。


「やっぱり時雨さん、玖須さんと前みたいに仲良くできるならしたいんじゃん」

「そんなの、したいに決まってるでしょ」


 拗ねたように。開き直ったように。

 時雨さんはそう言ってから、決まりが悪そうに口元をマフラーで隠した。


「……長谷くん、ひどい。言いたくない本音言っちゃったじゃん」


 そう言う時雨さんの声に、しかし責める色はまったくなかった。むしろどこかすっきりしたように聞こえて……よかった、と心底安堵する。

 このやりとりは、やっぱり時雨さんを傷つけるものではなかったようだ。


「ごめん」


 だけど一応謝っておくと、「いいよ、別に」と本当に全然気にしていなそうな返事が来た。


「でも自分だって、友達と話さなかったくせに。私にだけ月ちゃんと話せっていうのはないんじゃない?」

「俺はマジで話さなくていいと思ってるからな……。あいつも今は楽しくやってるだろうし、俺だって湊本といるの楽……というか楽しいし」


 ふぅん、という相槌は、俺の言葉を信じていないわけではなさそうだったが、少しだけ不満そうでもあった。

 そんな反応されても、どう考えてみたってこれが俺の本心なんだよなぁ。

 仲は良かったが、どうせ違う学校に行けば疎遠になるくらいの仲だった。むしろ今、話したいことがあんだけど……とか連絡を取ったら、なんか変な勧誘でもすんのかと思われそう。



「……それで?」


 促すように、時雨さんが話を変える。 


「まず月ちゃんとの問題……ってことは、次は長谷くんとのことについての話があるのかな。いいよ、一旦保留で」

「え、まだなんの交渉もしてねぇ……っていうか保留ってどういうこと?」


 困惑して首を傾げれば、時雨さんは手の中のコーヒーを弄ぶ。


「……友達はやっぱり無理そうだから、チャンス延長するだけ」


 ……友達がいらない、と思ってしまっているのは俺も同じことなので、ここではさすがに何も言えなかった。

 同じと言っても、俺は時雨さんならと思っているが、時雨さんのほうは玖須さん以外の例外を作りたくないのだろう。


「また時雨さんが飽きるまで?」

「そうだね。そうしようか」

「了解、そっちも頑張る」

「口説こうとか身構えなくていいよ。自然に過ごして」


 ……自然に過ごしたら、それはもう普通に友達と変わりないんじゃ?

 怪訝な顔をする俺に、時雨さんはマフラーの下でくすりと笑った。笑顔も、随分久しぶりに見た気持ちになる。


 マフラーで隠れてなかったらもっと嬉しかったんだけどな、と思っていると、時雨さんは手袋を外してコーヒーのプルタブを開けた。

 そしてマフラーを下げてくれたおかげで、顔が見えるようになる。笑みの名残があって、ぶわっと嬉しい気持ちが湧いてきてしまった。

 ……やっぱ、笑っててほしいよなぁ。


 口元が緩んでしまうのをごまかすため、ちょっと気になったことを訊いてみる。


「……そういえば思ったんだけど、友達は絶対嫌でも彼氏ならいいの? そこの違いって何?」


 親しい関係性、という意味では、そこまで変わらないような気がする。いや、恋人のほうが関係が深い分、さらに嫌がりそうなものだ。


 友達がいらないのに時雨さんに告白した俺は、別に彼女が欲しかったわけではない。両思いでもないのに密かに好きでい続けるのはキモいし、告白してさくっと振られて、気持ちを整理したほうが楽だと思っただけ。

 ……キモいっていうのは俺に限る話で、密かな片思いは別に悪いものじゃないとは思う。っていうか片思いって基本、密かなもんだしな。


 でも俺にも、あわよくば、という思いは元々あったのたろう。

 そうじゃなきゃ、時雨さんをときめかせるためにあれこれするはずもなかった。


 時雨さんはコーヒーを一口飲んで、それから「うーん……」と思案した。



「……彼氏とかいたことないからわかんないや」



 ――そうもごもご言う時雨さんは、可愛かった。ばつが悪いのか、ちょっと頬が赤くなっているのも可愛い。

 俺も彼女とかいたことないから、わからない仲間だ。時雨さんを仲間認識とか失礼すぎるが、まあ今更だろう。


 このなんでもない関係か、恋人しか話すことすらできないというなら、今までどおり頑張るだけだった。

 ……まずは玖須さんとの問題解決しなきゃなんもできねぇけど。




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