18. つまらない昔話を聞いてもらう

 ――神頼みというものは、基本的に叶わないものだ。自分が頑張ればどうにかなるタイプの問題じゃなければ、なおさら。



 冬休み明け初日。ちょっと久しぶりの公園。

 後から来た俺が隣のベンチに座るのを待ってから、時雨さんは真剣な顔で話を切り出した。


「やっぱり月ちゃんとはこのままがいい。……長谷くんとこうやって話すのも、もうやめる」



 ――そういう答えを出すのは、さすがに予想外だった。


 現状より悪化してんじゃねぇか! と思わず叫びたくなる。いや、俺と話さなくなることを悪化と呼ぶのは自信過剰がすぎるかもしれないが。

 もう一回考えてもらったのは失敗だったかもしれない、と俺は顔を引きつらせた。


「……なんでか、訊いてもいいか?」

「……月ちゃんには、どう考えても合わせる顔がないし。長谷くんとは、このままだと友達になっちゃいそうだから」

「はい?」


 前半はわかる。やっぱりそういう結論になったか、と残念に思う。

 けど後半。……後半、何?

 唖然とする俺に、時雨さんが続ける。


「私は友達いらないし、長谷くんだっていらないでしょ」


 ……俺は時雨さんなら別に、平気なんだけど。

 でも俺のことはついでのように言っただけで、時雨さんにとっては『私は友達いらない』がすべてなのだろう。

 だから黙って話を聞く。


「長谷くんに告白されてから、もう二ヶ月くらい? チャンス期間としては十分すぎたよね」

「……それは、確かに」


 たぶん、こんなにチャンスをもらえた奴は他にいない。

 二ヶ月間、放課後ほぼ毎日少しのお喋りをして、クリスマスに会ったり初詣に行ったりまでして。それでも一度も、俺は時雨さんをときめかせることができなかった。


「……長谷くんなら、」


 ふ、と時雨さんは小さく笑う。



「もしかしたら、って思ってたんだけどなあ」



 その微かな笑みは寂しそうで、何もかもを諦め切っているように見えた。


「やっぱり私には、ときめきとか全然わかんないみたい」


 ……俺に人をときめかせる才能があれば、時雨さんにこんな顔をさせなかったんだろうか。少女漫画に出てくる男や、ラブコメの主人公みたいに。

 そんなものになりたいと思ったこともなかったのに、今はなれないことがひたすらに悔しい。


「そこは俺が下手だっただけだろ」

「意識してるときはね」

「……意識してないときは上手かった?」

「さあ、どうでしょう」


 うそぶいて、時雨さんは目を伏せる。


 綺麗で、可愛くて、優しくて、めんどくさいくらいに不器用で頑固で臆病な子。

 俺は時雨さんのことを以前よりほんの少しだけ知れたけど、だからこそ今、突き放されるのだ。


「……まあ、仕方ないな」


 出された条件を達成できなかった俺が悪い。振られるなら今がいい、と思ってから少し経ってしまったが、今ならまだ、ぎりぎり大丈夫だ。

 友達ですらないんだから、この不思議な関係が終われば、疑う余地もないただのクラスメイトに戻るだけ。授業なんかで必要がない限り、話せなくなるのも当然。


 ……けど。

 話すことすらできなくなるのは嫌だ、と思ってしまった。

 ぎりぎり大丈夫、ではなかったのかもしれない。

 やっぱり少し、親しくしすぎた。未練がましくてみっともないことこの上ない。



 なんて、ぼんやりと時雨さんを見ながら考えていたら。

 ――気づいてしまった。


 傷ついた顔を、している。



「……もしかして時雨さん、俺があっさり諦めすぎて寂しかった?」


 思い浮かんだ考えを、俺はそのまま口にしてしまった。

 ぽかん、と目を瞬く時雨さん。「さみしかった?」と初めて聞いた単語のように、たどたどしく繰り返す。



 そうして数瞬後――その顔が、赤く染まった。



「えっ、う、む、むしろ楽で嬉しいけど!?」



「…………そっかぁ」


 いやめっちゃ動揺してんじゃん。


 笑ってしまいそうになるのを必死にこらえる。やば、嬉しい。

 ぱくぱくと何か言いたそうに口を動かしていた時雨さんは、真っ赤な顔のまま勢いよく立ち上がった。


「~~っ帰る!」

「あっ、待って! もう話さねぇってことなら、最後に俺の話聞いてくんない!?」


 駆け出そうとしていた時雨さんが止まる。……この流れで止まってくれんの、優しいな。

 しぶしぶと座り直し、「話って、この前の?」と訊いてくれた。


「うん。いい?」

「……長谷くんが、話したいなら」

「ありがと」


 今度は耐えきれず、ほんの少しだけ笑ってしまう。俺が話したいなら、こんなタイミングでも聞いてくれるんだ。

 いや、むしろこんなタイミングだからかもしれない。……もう俺とは話さない、と固く決めているのなら、これが最後のチャンスだから。

 それを無下にするのは、時雨さんの良心が許さなかったのだろう。



「――中学のとき、好きな子がいたんだけどさ」


 この話を今の好きな子である時雨さんにするのもどうかと思うが、どうせもう、話せなくなるのなら。

 聞いてほしかった。





 友人の好きな子を好きになった。友人とその子はどう見ても両思いで、お似合いだったから、何をするつもりもなかった。

 俺はただ、気持ちを隠してただけ。

 それが駄目だった。


 無事に二人が付き合い始めて、心から祝福もして、しばらく経ったある日のこと。


「長谷って、私のこと好きなの?」


 唐突な質問に、俺は固まった。「え、う、その……」と思いきり動揺して、言葉が返せなかった。

 なんでだか忘れたけど、あのときはあいつがいなくて、たまたま二人きりで。


 だから――あの子も、気が緩んでいたのだろう。



「うわ、やっぱそうなの? キモ……。ハルくんと仲いいから優しくしてあげてただけなのに、そういうのやめてよね」



 いつもの優しい顔は忌々しく顰められ、可愛らしい声が毒のような言葉を吐いた。

 一瞬何を言われたのかわからなかった。それだけ、俺が好きになった普段のあの子とはかけ離れていたのだ。


 理解してから、ショックを受けるよりも先に心配になった。友人のことも、この子のことも。

 ハルに、俺が告げ口するとか思わないんだろうか。しねぇけど。……いや、したほうがよかったり、すんのかな。こういう子と付き合うのって、ハル的にどうなんだろ。


 そんな逡巡は、すぐに意味を失った。


「……何してんの?」


 嘘だろ、と思った。こんな物語みたいなタイミングで、当人がちょうどよく現れることってあるか?

 何してんの、と訊きつつも、俺たちのやりとりが聞こえていたらしい友人は、あの子の言い訳も聞かずに即座に別れを切り出した。



 気にすんなよ、むしろ早いうちに気づけてよかった、と笑った顔が、痛かった。

 付き合えることになって、嬉しそうにしてたくせに。幸せそうにしてたくせに。

 俺がいなきゃ、もっと長くそんな気持ちのままでいられたのに。


 隠していたものを、気まぐれのように暴いて壊したあの子が悪い。そう思う気持ちもあったけど、それでもやっぱり、そもそも。

 ……のうのうと好きなままでいて、隠し切れなかった俺が、一番悪いんだろう。あの子からしたら確かにキモい。


 そのせいで友人は彼女を失って(遅かれ早かれそうなっていた気もするが)、俺は友人を失った。

 ただ単純に、気まずかった。気にすんなって言われてもそんなの無理だ。


 彼女がどう吹聴したのか、噂じゃ俺は完全に悪者にされていた。

 友人が変わらず接してくれてたから、そこまで信じる人もいなかったが……あることないこと言われるのが嫌で、一部の人の中で友人まで悪者にされ始めたのが嫌で、俺はもう、いいや、と思ったのだ。


 もういいや。

 もともと人付き合いは苦手なほうだったし、こんなことがあるくらいなら――友達なんていないほうが楽だ。


 ハルを含め、友人たちから距離を取って、必要最低限のこと以外誰とも話さず、残りの中学生活は過ぎ去った。

 楽しくはなかったけど、すごく楽だった。

 だから、これでいいと思った。


 これが、いいと思ったのだ。





「……っていうのが、俺が時雨さんに聞いてほしかった話。反応しづらい話してごめんな」


 できるだけ短く淡々とまとめたが、伝わっただろうか。

 時雨さんはうつむいていた。そりゃあ反応に困るよなぁ……。


 あれから俺は友達を作らなくなった。湊本みたいな、絶対めんどくさいことにならないと確信できる相手を除いて。

 あとは人の隠し事に踏み込まないよう、気を張るようになった。この変化はよかったんじゃないかと思う。人として大事な力を身につけられた。


 誰かを好きになることもしばらくないんじゃないかなって思ってたから、時雨さんを好きになったときにはびっくりした。

 まあ、時雨さんなら大丈夫だろうと安心もしたけど。

 俺には湊本しか友達がいないから、好きな人が被ることもない。時雨さんは他人に興味なさそうだから、俺が告白でもしない限り、何も関わりがない。


 でもさすがにそろそろ好きでい続けるのもキモいだろうし、気持ちを捨てるためにと告白した結果が、今の状況である。人生ってどう進むかわかんないもんだよな……。

 まさかこんな話を、時雨さんにできるとは思わなかった。


「引き止めてごめん。帰ろっか」

「……長谷くんは」


 時雨さんが顔を上げる。全力で不満げな、への字口と眉間のしわ。

 そんな顔でも、時雨さんは綺麗だった。


「長谷くんは、なんにも……」


 悪くない、と、きっと言おうとした。だけど時雨さんは唇を噛んで、言葉を止める。

 君は何も悪くない。その言葉が届かないことは、彼女自身、わかりきっているのだろう。


 俺たちは、そういうところがちょっとだけ似ていた。


「……ありがとう」

「……私、なんにも言ってない」

「うん、言わないでくれてありがとう」

「何も言わないなんて、誰にでもできることでしょ。ありがとうはもったいないよ」

「そうかな」

「……そうだよ」


 こんなふうに、心を尽くしてくれるのが嬉しい。

 好きになったのが時雨さんでよかった。

 これが初恋ならなおよかったのだが、あの初恋を否定してしまったら、俺があいつを傷つけたことまで否定することになるから、できなかった。


 黙り込んでしまった時雨さんに、小さく笑って立ち上がる。

 時雨さんには申し訳ないが、時雨さんとは対照的に晴々とした気持ちだった。


「それじゃあ、また明日。今日は俺が先帰るな」

「……また明日」


 律儀に返してくれるのが、少しおかしかった。しかも、『また明日』。

 同じクラスだから明日も会うのが自然だが、反射的とはいえ、明日もこの贅沢な日常が続きそうな挨拶をしてくれたことが嬉しい。

 続くなんて、ありえないだろうけど。




 歩き出しながら考える。


『……もしかして時雨さん、俺があっさり諦めすぎて寂しかった?』


 図星を指されたような、時雨さんの反応。

 踏み込みたくはない。……踏み込みたくは、ない、が。


 ――やっぱりここで終わりにもしたくないというのは、わがまますぎるだろうか。




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