17. 息をするような告白に、心をこめて

 酔っ払い時雨さんの可愛さについ調子に乗ってしまったが、そろそろ真面目にならなければ。

 とはいえ、もうあんまり飲まないほうがいいんじゃないかと思うのも事実だった。甘酒でこんな酔う人いんの?


 一応は諦めたのか、時雨さんは手を伸ばすのをやめ、むすっとした顔で座っている。


「やりすぎた、ごめん」

「べつに。長谷くんは正しいことしてるし」

「そうか……?」


 好きな女の子をいじめて楽しむ小学生男子みたいになってたんだが。

 首を傾げていれば、時雨さんは火照った頬に手を当てる。


「もういいよ。それ、長谷くんが飲んで」

「……は?」

「私が飲まないほうがいいのはたしかだろーし。でも残すのももったいないでしょ」

「マジで酔ってる」

「酔って……ないはずなんだけど……」


 自分でも自信なくなってきちゃってんじゃん。でも自覚が出てきたってことは、逆に酔いが覚めてきたってことか?

 飲めるわけがないので、「後でちゃんと返すから」と言っておく。


「でも虫入ったらやだし」

「いや一月に虫は……そんなに……」

「あっ、でも間接キスになっちゃうか」


 お、俺があえて言わなかったことを……!

 きっと普段の時雨さんなら口にしない、というかそもそも飲んで云々自体絶対言い出さない。

 酔うって怖ぇな……。やわらかモードの時雨さんだったからここまでになっているのかもしれないが。


「それによく考えたら、長谷くんは甘酒苦手だもんねぇ。飲ませたらかわいそうだね。長谷くんがもう大丈夫そうって思ったときに渡して」

「うっす……」

「ありがとー」


 この状態の時雨さんと一緒にいるの、まずい気がするな。ぎゅって抱きしめたくなる。

 紙コップを潰さない程度に手に力を込めて、は~~と息を吐く。そろそろ話を戻そう。


「俺が言うようなことじゃないだろうけど、玖須さんはたぶん、時雨さんと仲良しのままでいたかったと思うよ」

「……知ってる。私のほうが月ちゃんのことわかってるんだから」


 つきちゃん。

 仲の良さそうな呼び方に、本当に友達いたんだな、なんてなんとなく感慨深くなる。

 しかし俺の表情に何を思ったか、時雨さんははっと口元を押さえ、「私酔ってる……」とうなだれた。今の言葉のどこかに、時雨さんがそう思う要因があったらしい。


 つきちゃん……つき。月?


 そういえば、と思い出す。時雨さんは月が好きだと言っていた。

 もしかして、月が好きってより――玖須さんのことが好きだから、月も好きなのか?


 そうだとしても、こんな反応をするってことは突っ込まないでほしいんだろう。考えてしまったこと自体が失敗だった……。

 素知らぬ顔、ができているかはわからないが、そんな顔ができるように努めて、返事をする。


「玖須さんのことはなんにもわかんないよ。時雨さんが、意外と自分のことになると馬鹿なんだなぁってわかっただけ」

「……どうせ馬鹿ですよぅ」

「いや、俺なんかに馬鹿って言われていいのか? 俺だぞ」

「自分で言っておいてなあに、それ」


 むむ、と時雨さんはむくれた顔をしている。

 だって俺だったら、俺なんかに馬鹿って言われたくない。……そこまで自虐的なことを言うのはよくない、というのはさすがにわかるので、「意味は特にないけど……」とぼかしておく。

 けれど時雨さんは、そこで追及をやめてくれなかった。


「長谷くんは確かにちょっと……お馬鹿な面もあるかもしれないけど。今だって何も言わないでくれたりする長谷くんが、私より馬鹿なわけないでしょ」


 あえて突っ込まなかったの、バレてた……。

 酔っていても、時雨さんの目は真摯だった。本気でそう思ってくれていることがわかって、くすぐったいような居心地の悪さを感じる。


「……時雨さんだって、俺がなんにも訊かないでほしいときとか、訊かないでおいてくれるじゃん」

「そんなことくらいで、月ちゃんを傷つけてる馬鹿さがチャラになるわけじゃないし」

「でも俺は、すごい嬉しかった。俺にとっては『そんなこと』じゃなかったよ」


 嫌な女の子を演じていたときですら、時雨さんは一切そういうことをしなかった。


 人のふれられたくない部分を察して、そのうえで本当に一切ふれないでくれる。――そんな人は、いったいどのくらいいるだろう。

 ……まあ、湊本はたぶんそうだ。だからこそ友達になった。

 だけどやっぱり、ほとんどいないと思う。

 そう感じるのは、俺の運が悪いだけの可能性もあるが。


 時雨さんを好きになったきっかけや理由は全然違うものだった。

 にもかかわらず、俺が一番大切にしたいことを大切にしてくれる人だったことには、何か運命的なものを感じてしまう。

 でもそういう人だったからこそ、さらに好きになってしまったわけで。振られたときが絶対しんどくなるんだよな……。



 少しきつめに時雨さんの言葉を否定してしまった俺に、時雨さんはばつが悪そうに視線を下げた。


「……ごめん」

「……こっちこそ、なんかムキになっちゃってごめん」


 話が逸れてしまった発端は俺。時雨さんと玖須さんの話をしていたのに、なんでこんなことに。

 でもこれ以上、二人の話に俺が言えるようなこともないだろう。

 だからふと思いついたことを口にする。


「俺も、えーっと……大した話じゃねぇんだけど、話していい?」

「おかえしのつもりならいらないよ」

「俺が話したいだけだよ」

「……それも、今はいい」


 やさしく、時雨さんは首を横に振った。



「人の大事な話は、酔ってるときに聞いちゃだめでしょ」



 ――好きだなぁ、と強く思った。

 思った瞬間、声に出ていた。


「やっぱ俺、時雨さんのことめちゃくちゃ好きだな……」


 あははっ、と時雨さんは嬉しそうに笑う。嬉しそう、というのは俺の願望かもしれないが。


「ほんとに長谷くん、私のこと大好きだねぇ」

「……そうだよ」


 最初の告白で死ぬほど緊張したのが嘘みたいだ。もう今じゃ、息をするように好きだと言える。

 いつから俺は、時雨さんに好意を伝えることにためらわなくなっていたんだろう。……なんか、大分最初からの気もするけど。

 でも確かに一番初めは、すごくすごく緊張していたはずだった。



 時雨さんは目を細めてふわりと笑う。


「光栄です。好きになってくれてありがとう……っていうのも、随分言わないようにしてたから、なんとなく恥ずかしいな」


 はにかむ時雨さん。

 以前はきっと、告白を受けるたびにありがとうと返してきたんだろう。そして、それは『嫌な女』に合わないからやめた。


 ……言ってもらえて、よかったな。それだけでもう、俺の気持ちが報われたような気になる。

 振られるなら今がいい、と思うくらいに。


 今この瞬間なら、たぶん笑顔で終わりにできる。

 悲しい思い出じゃなくて、楽しかった思い出にできる。



「物好きだよね、長谷くんも」


 だけど時雨さんは、しみじみとそう言うだけだった。


「物好きではねぇと思うけど」

「そうかなあ。だって、顔だけで好きになったならわかるけど……嫌な私とあれだけ話してまだ好きなんて」

「……あれだけ話したからだよ。確かに嫌な感じもあったけど、最初っからやりきれてなかったじゃん。のど飴とか」

「それを言われると反論に困るんだよね」


 へにょんと眉を下げた時雨さんに、いじめすぎたかな、と反省してフォローを入れる。


「まあ逆に言えば、ちゃんと話さなきゃその辺はわかんねぇだろうから。擬態は割とうまかったんじゃね?」

「なんでだろ、長谷くんに言われても安心できない」

「そこでなんでだろって言ってくれんのが、やわらかモードの時雨さんの優しさだよな……」


 やわらかモードってなに、と時雨さんはくすくす笑った。

 しかしすぐに顔を引き締めて、その割には「ええっと……」と格好のつかない声を出す。


「やわらかモード、ここで解除しておく。せっかく嫌な子モードで割と上手く擬態できてたのに、ボロが出るようになったら困るから」

「……今後もそのスタンス崩さないつもりっていうんなら、そうするべきだな」


 そのほうが時雨さんの人生が上手く回るというのなら。

 でもだからって、玖須さんとの関係までこのままにするのは違うんじゃないか、と思ってしまう。



 俺が口出しできることじゃないことは重々承知だが、一つだけ訊いてみることにした。


「時雨さんは……玖須さんと、また楽しく話せるようになりたい?」


 仲直りしたい? というのは違うだろう。喧嘩というより、時雨さんがただひたすら不器用なだけ。


 しばらく返事はなかった。

 沈黙の長さは、たぶん、それだけ時雨さんにとって玖須さんが大切な存在であることを表していた。




「――もう無理だよ」



 ぽつり、弱々しい声が返ってくる。


「わざとひどいことしたし、今更また仲良くしたいとか虫がよすぎる。月ちゃんにはもう、私は必要ない」


「友達って、自分にとって必要あるかないかで価値が決まるもんじゃねぇと思う」


 あ、やば。これは完全に口出しだ。


 反射的に言ってしまってから、すぐにそう後悔する。重々承知とか言っといて、なんも承知してねぇじゃんか俺……。

 どう前言撤回しようか悩んでいる間に、時雨さんは軽くむすっとした顔で口を開いた。


「……めっちゃいいこと言った感出すのやめなよ。恥ずかしいよ」

「今まで言われた中で一番キツいかもそれ……!」


 嫌な子モードでも、時雨さんの本心だろう。マジでキツい。


 とりあえず酔いは覚めたっぽいな、と判断して、甘酒の紙コップを差し出す。

 すっかり忘れていたらしい時雨さんはきょとんとして、それから「ありが……」とお礼を言いかけて固まった。モード切り替えに失敗したみたいだ。可愛い。


「…………ありがと」

「あ、オッケー判断出たんだ」

「出てないけど、長谷くんだから判定甘くしたの」

「そ、それは……光栄です……」


 俺はもうどっちのモードも知ってるからってことだろうけど、心臓に悪い言い方だ。

 おかげで地味に、さっきの時雨さんを真似したみたいになってしまった。


 時雨さんは紙コップの中をじっと見つめる。虫が入っていないか確認しているのだろうが、物思いにふけっているようにも見えた。

 やがて、半分ほど残っていた甘酒をぐいっと一気に飲み干した。


「なんで!? 大丈夫!?」

「一応、何回か言ってるけどアルコールはいってないからね」

「でも一気飲みはよくねぇじゃん……」

「なんかノリでやっちゃった」

「疲れた? もう帰るか」


 紙コップ捨ててくるよ、と手を出せば、時雨さんは首を振って立ち上がった。自分でゴミ箱に向かおうとするので、転んだりしないように隣についていく。

 やっぱり足取りはしっかりしている時雨さんは、ゴミ箱に紙コップを放り入れて、俺を振り返った。


「……月ちゃんとのことは、もう一回考えてみるよ」

「……そっか」


 心底ほっとした声が出た。気づいた時雨さんが、無言で苦笑いをする。


 もう一度考えたって、時雨さんは同じ答えにたどり着いてしまう気もするけれど。

 それでもこれ以上は本当に何も言えないから、俺はただ、時雨さんがより幸せになる選択を選べますようにと願うだけだ。


 ……無病息災なんてつまんねぇことじゃなくて、こっち願えばよかった。

 あとでお賽銭追加して、もっかい願おう。




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