16. 時雨瑞姫の、大好きな友達
私にだって、友達がいた。
――どんな綺麗なものも瑞姫ちゃんと見たいけど、それを見てる瑞姫ちゃんが一番綺麗なんだろうな。
真っ直ぐな言葉を、とびっきりの笑顔で伝えてくれる女の子だった。
私なんかよりずうっと素敵な女の子なのに、男を見る目はなかっ……いや、違う。たぶん、きっと、私が何かしてしまったのだ。何か、だめなことをしてしまった。
すごくすごく気をつけて、気を張っていたけど、それでも何かしてしまったのだろう。
中高一貫の女子校では、男子と出会う機会は少なかった。
とはいっても私は通学途中とかによく告白を受けていたし、時には同じ学校の女の子からの告白もあった。だけど、よくわからないから全部断ってきた。
私がわからないなら、きっと月ちゃんもわからないだろう、となぜか勝手に思っていて。
だから、中三の夏。
月ちゃんが、絵画教室で出会った高校生と付き合い始めたと聞いたとき。
足元が崩れるような感覚がした。
初めての彼氏に、月ちゃんは目に見えて浮かれていた。ずっとご機嫌で、ほっぺたを薔薇色に染めていて、それはもう可愛かった。
……私が、ときめきを知りたいと願った理由。
そんな彼女に、瑞姫ちゃんにも会ってほしいな、と頼まれたらいやも応もなく了承する。
だけど会って一瞬で、これはだめかもしれない、と思った。私に告白をしてくる人と同じ目をしていたから。
でも月ちゃんの彼氏がそんな人だと思いたくなくて、気づかないふりをして。月ちゃんに怪しまれない程度に、冷たい態度を取って。
――二度目に会ったのは、うちの中学の文化祭。
皆もいる目の前で、そいつは私に告白をしてきた。……まだ別れていないはずの月ちゃんもいる、目の前で。
そこからは大騒ぎ。
すぐさま振ってもそいつはしつこいし、そうやって気を引きたいだけだろとか意味のわからないことを言うし、月ちゃんは泣いてしまうし、私はみんなから悪者にされるし。
みんなに嫌われるのは別にどうでもいい。
だけど……大好きな月ちゃんを傷つけてしまったことが、死にたくなるくらいつらかった。
彼女は決して私のことを悪く言わなかった。はらはらと綺麗な涙を流しながら、ごめんと、泣いてしまったことに謝るくらいだった。
みんなに対して、悪いのは全部あの男で瑞姫ちゃんはなんにも悪いことしてない、と毅然と主張してくれたのも、月ちゃん本人だった。……結局みんな、月ちゃんの言葉すら聞いてくれなかったけど。
ちょうどよかったのだろう。
きっとなんでもよかったのだ。完璧な私を貶めることができるなら、なんでも。
私を貶めたい子と、長いものに巻かれるタイプの子と、私に興味がない子と……私のことを大好きでいてくれた月ちゃん。
大切な宝物みたいだったものを、どろどろのぐちゃぐちゃにしたのは私だった。
優しい彼女が、私を詰ることができるように。――なんて、ちがう。そんなの、言い訳。
私はただ、彼女が私のせいで傷つくのなら、それに足る理由が欲しかっただけなのだ。
なんにもしていないのに傷つけてしまうなんて、耐えられなかった。
だったら、それだったら、私は嫌な女になる。
みんなに言われたとおりの
月ちゃんを泣かせてしまっても、こんな自分なら仕方ないと思えるように。
それからは月ちゃんを避けた。徹底的に避けて、一言も話さないようにした、
だって話そうとしたら、謝ってしまう。
月ちゃんのことが大好きなの、ずっと友達でいたいの、って。縋ってしまう。
優しい月ちゃんは、私のことを許してくれるだろう。……彼女の中では、許す、許さないの問題ですらないのかもしれないとは思う。
それでも、誰よりも、私が私自身を許せなかった。
だからって月ちゃんを無視して、さらに傷つけて、本末転倒じゃないかとも思ったけど、張った意地はどうにもならなくて。
結局逃げるように外部の高校を受験して、今に至る。
月ちゃんの連絡先を、私はまだ消せていない。それどころかブロックもできていないし、トークも消せていないし、ミュートにもしていない。
小学生の頃からの付き合いだけど、お互いの家の場所を知らなくてよかった、と心底思う。
知られていたら、きっと。月ちゃんは私の家に突撃しにきただろう。
通っていたのは私立の小学校だったから、公立みたいに学区で目星がつくこともない。
月ちゃんは毎日車で登下校していて、放課後に遊ぶなんてこともなかった。厳しいおうちだった。
中学に上がったら、休日に美術館とかオーケストラコンサートとか、そういうのだったら一緒に行くお許しが出たけど、そのくらい。
あの男と会ったのだって、私が月ちゃんの絵画教室の時間に合わせてこっそり行っただけだ。
……イブの日、何してたのかな。
放課後、寄り道してもよくなったのかな。いろんなところに自由に遊びにいけるようになったのかな。
楽しいことがたくさんできていたらいいな、と思う。……そんなことを願える立場ではないのだけど。
消せない通知は、時折増える。溜まっていく。
一つ増えるたびに安堵して、自己嫌悪して、それでもやっぱり、月ちゃんが私のことを覚えてくれているのが嬉しくて、縁を断ち切ることができない。
ときめきを知りたいのだって、月ちゃんの気持ちが知りたかったからで、月ちゃんに近づきたかったからで――それを今もなお続けている時点で、私はだめなのだ。
私はまだ、月ちゃんのことが大好きだった。
* * *
――という話を、長々と長谷くんにしてしまった。こんなの、酔っているときにしかできない。
いや、酔ってないけど。アルコール度数ゼロで酔うはずないし。
月ちゃんの下の名前は言わないようにした。あれです。恥ずかしいから。
あの、ほら、私、意味深に月見草の種買ったり、好きなもの訊かれて月って答えちゃったり……しちゃったから……。
月ちゃんのことが大好きなこと自体は全然、ちっとも恥ずかしくないんだけど、それに伴う行動が恥ずかしいっていうか。ね。
長谷くんがわかってないなら、わざわざ気づかれる可能性が上がることはしたくない。
あと、月ちゃんに言われた言葉も長谷くんには言ってない。
なんかもったいないから……。私にくれたものなんだから、ひとりじめしたい。
ちょっとどきどきしながら、長谷くんの反応を待つ。なんだかむずかしい顔してる。
何か反応をもらいたくて話したわけじゃないけど、人がどんな感想を持つのかは気になった。
待っている間に、甘酒を飲む。おいしい。甘いけど、苦手な甘さじゃない。いっぱいのめる。ぽかぽかあったくなるのもいい。
お酒は、たぶん私は大人になっても飲んじゃ駄目だなって思う。弱いくせしていっぱい飲みたがって、誰かに迷惑かけそう。あ、でもひとりでのめば大丈夫かなあ。
そんなふうに余計なことをつらつら考えていたら、長谷くんがぼそりと言葉をくれた。
「……それは不器用すぎだろ、時雨さん。そうやってさらに傷つけてどうすんの」
「……うぅー」
正論。
パンチされた気分。
わかりきっていたことを第三者、しかも長谷くんみたいな子から言われると、かなりダメージがくるんだな、ということがわかった。
でも、なんで、と言われるよりよっぽどマシだった。……っていうか、言われると思ってた。
自分でもわかってる。思考回路がおかしいって。ふつう、こんなめんどくさいことしないって。
だから、ダメージはあるけど――それと同じくらいに安心もしてしまった。
長谷くんは、理解してくれて、その上で正論をぶつけてくれたのだ。
「だって、やだったんだもん……」
「……酔ってる?」
「よってない」
「それ、ちょっと貸して」
「? どうぞ」
まだ半分くらい甘酒が残ってる紙コップを、長谷くんに手渡す。そのまま長谷くんは、紙コップをすーっと私から遠ざけてしまった。
「えっ、なに」
「飲み過ぎだと思って……」
「アルコール入ってないってば」
「あとは酔い覚めてからな」
「うぅぅ」
「酔ってる……」
「酔ってないよ!」
長谷くんは呆れた顔をしているけど、それはなんだか、すごく優しい顔だった。月ちゃんが私によく向けていた顔に似て――いや似てない似てない。長谷くんが月ちゃんに似てるわけない!
思い浮かんでしまった言葉を慌てて振り払って、紙コップに手を伸ばす。遠ざけられる。
伸ばす。反対側に持っていかれる。
伸ば、そうとした瞬間に長谷くんは立ち上がって、絶対に届かない高さに紙コップを上げた。
「そこまでする!?」
思わず、ぴょんっと飛び上がって取ろうとしてしまった。届かないことはわかってたけど、なんとなく。猫が猫じゃらしに反応してしまうようなものかも。
そんな反射的な行為に、長谷くんはぷっと吹き出した。
「あははっ、かわいい」
……その『可愛い』は、全然嫌な気分にならない『可愛い』だった。まあ、長谷くんのことを知ってからというものの、長谷くんからの褒め言葉は全部そうなんだけど。
こういう人だったらよかったのにな、と思う。
――月ちゃんの彼氏が長谷くんみたいな子だったら、きっとこんなことにはならなかった。
他の女の子になんて見向きもしないで、一途に、月ちゃんを大切にしてくれただろう。
……長谷くんが月ちゃんの彼氏とか、想像しただけでぜっったい嫌だけど。
うわ、やだ、本気でやだな。でもその他の男子よりは長谷くんのほうが全然マシ……でもやだ。なんかもやもやする。
もやもやをそのまま顔に出して、むっと唇を尖らせる。
「……真面目なお話してたのに、長谷くんはなんで私にいじわるするの」
「真面目なお話に酒は必要なくね?」
また正論!
むすっとした私にくすくすと笑う長谷くんは、いつもよりなんだか大人っぽく見えた。……甘酒も飲めないくせに!
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