13. 隠しごとには踏み込まない

 時雨さんが調べてくれたイルミネーションは、電車で二十分ほどのところにある公園で行われるものだった。

 着いたらちょうどライトアップされる頃だね、なんて話しながら移動して、電車を降りて。



 ――改札を出たときのこと。




「……瑞姫ちゃん?」




 唐突な呼び声に、びくん、と時雨さんの肩が跳ねる。目を見開いて、けれど決してその声の方向を振り向かない。時が止まったように、固まって動かなくなった。

 代わりに俺が振り向く。


 そこにいたのは、有名なお嬢様学校の制服を着た女の子。この辺りの学校ではないが、その特徴的な制服は……中学のときの知り合いの女子が憧れていたから、覚えている。

 大抵の学校が冬休みに入っているだろうに制服を着ているのは、部活か補講でもあったんだろうか。


 俺と目が合ったその子は、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。


「急に話しかけてすみません。わたし、瑞姫ちゃんの友達で……」


 ――『友達』。

 それを聞いて、直感的に思う。


 きっとこの子が、さっき口にしかけた『友達』、なんじゃないか。



「……デート中にお邪魔して大変申し訳ないんですが、少し瑞姫ちゃんとお話ししても大丈夫でしょうか」

「デ、デートじゃないので……。俺は大丈夫っすけど、時雨さんはどうですかね」


 俺たちってデートしてるように見えるのか……!? こんな釣り合わないのに!?

 と動揺してしまったが、そりゃあイブに二人でいたらデートだと思うものだ。当然だった。


 ありがとうございます、と律儀に頭を下げて、女の子は時雨さんのほうを向いた。時雨さんには訊かないのか。……訊いても無駄だと、わかっているのかもしれない。

 彼女はそわそわと、どこか焦ったように口を開く。


「瑞姫ちゃん、久しぶり」

「……」

「今じゃなくていいから、少し話せないかな」

「……」

「もう本当に、気にしてないの。というか最初から気にしてなかった。

 だから気にしないで、なんて瑞姫ちゃんには無理なんだろうけど、それでもわたしは、瑞姫ちゃんと前みたいに話せるようになりたい」


 必死さのにじむその訴えに、いつのまにか真顔になっていた時雨さんの表情はぴくりとも動かない。

 動かない、というより。……動かさないように、時雨さんもきっと必死だった。


 だって、泣きそうに見えた。



「……ごめん長谷くん。先帰る」


 女の子のほうを一瞥もせず、時雨さんはきびすを返す。「瑞姫ちゃん!」と叫ぶ声なんて耳に入らないとでも言いたげに、すたすたと階段を上がり、ホームへと消えていった。

 ……あんな顔してる時雨さんほっとけないし、本当なら送っていきたかった。しかしついていける雰囲気でもない。

 俺はただの、クラスメイトだから。


 女の子のほうに目をやる。

 時雨さんよりもよっぽどわかりやすく泣きそうなその子は、俺の視線に気づいて「お邪魔をしてしまって本当にすみません」とまた頭を下げた。

 わたしはこれで、と去ろうとするのを、思わず呼び止める。


「……ええっと、ごめん。俺は時雨さんのクラスメイトの、長谷です」


 クラスメイト、の部分で、彼女の目が少し丸くなった。


「……わたしは、玖須くすと申します。先ほども言いましたが、瑞姫ちゃんの……友達、です」


 玖須さんは、寂しそうに笑う。


 何があったんだろう。

 ついに、そう考えてしまった。考えたくないのに思考が先走った。

 ……考えたくないと思うこと自体、考えてしまっていた証なんだが。


 呼び止めたものの、何かを言いたいわけでも、訊きたいわけでもない。

「あー、その……」と視線を泳がせる俺に、玖須さんは先手を打った。


「もし何か訊きたいんだとしても、お話しできることはありませんよ。ごめんなさい。瑞姫ちゃんが話していない瑞姫ちゃんの話を、私が言うわけにもいかないので」

「……うん、訊きたいわけじゃない」


 それが犯罪でもない限り、他人ひとの隠してることに踏み込んでいい人なんていない。


 ――たとえば、密かに好きになった相手がいたとして。

 その相手本人すら、秘密を暴くことは許されない、と、俺は思う。

 大切にしまっておいたものを無理やり引きずり出されるだけならまだマシ。大抵の場合、そういうことをする人は、引きずり出したうえでめちゃくちゃに壊すのだ。


 ……というのは、壊されたことがある人間の戯言なのかもしれないが。



 余計なことを頭から振り払う。


「あの、玖須さん」


 時雨さんのことを諦めないでほしい?

 ……時雨さんは、きっときみと仲直りしたがってる?


 そんなこと、言えるはずがなかった。

 俺は時雨さんの友達ですらなくて、時雨さんのことなんて何にも知らなくて。

 こんなときにできることは何もないし、何かをしたいと願うことすら、おこがましかった。


「……ごめん、なんでもない。俺も、もう帰ります」

「はい。こちらこそ本当に申し訳ありませんでした」


 お互いに軽くお辞儀をして別れようとしたところで、「あ」と玖須さんが小さく声を上げる。


「あの……最後に一つだけ訊いてもいいでしょうか?」

「……俺が答えてもよさそうなことなら」

「ありがとうございます。もしもいいと判断していただけたのなら、通っている学校だけ教えていただければ嬉しいです。……絶対に無理に押しかけたりはしないと、お約束するので」


 少し悩む。俺はこの子のことを知らないし、本当に約束を守ってくれるような子なのかもわからなかった。

 もし、約束を破られたら。……時雨さんは傷つくことになるかもしれない。

 それに一応個人情報だし、本人の預かり知らぬところで勝手に教えちゃ駄目だよな。


「ごめん、言えない」

「……いえ、ありがとうございます。そういう方が瑞姫ちゃんの傍にいてくださるんだと思うと、少しだけ安心しました」


 そう微笑む顔は、やっぱり寂しそうだった。

 傍になんていない、とは、思っても言えなかった。


 今度こそ本当に別れて、俺は改札を通るためにICカードを取り出した。けれど思い直して、すぐにしまう。

 ……せっかくここまで来たんだし、一人でもイルミネーション見ていこう。



 そう決めて見にいったイルミネーションは綺麗だった。

 だけど、もしここに時雨さんがいたら――それを見ている時雨さんのほうが綺麗だっただろうな、と思った。



     * * *



 その日の夜、俺は深呼吸をしてから、RINEの通話ボタンを押した。緊張で心臓が速打っている。

 電話をかけた相手は時雨さんだった。

 出てくれないかも、と思ったが、数回のコール音ののちに繋がった。


『……なに? アポなしの電話とか、迷惑なんだけど』


 冷え切った声。

 電話越しだからそう聞こえるだけかもしれないが、こんな声を向けられたのは初めてで、たじろいでしまう。最初のときだってここまでじゃなかった。


「あっ、そういうもんか。ごめん、誰かに電話かけんの初めてで……」

『それで、用件は?』


 必要なこと以外は聞きたくないのか、ばっさりと俺の言葉を遮る時雨さん。ぴりぴりとした雰囲気が、電話越しにも伝わってきた。


 用件。

 ……やっぱり、なきゃ電話しちゃ駄目だったよな。

 今ここで捻り出せばいいのだろうが、俺にそんな器用なことはできない。



「……声聞きたくなったから、はあり?」



 正直に訊いてみた。

 本当に、何を話せばいいのかなんてわからなくて。それでもどうしても電話がしたかったのは、声が聞きたかったから以外にないのだ。


『へぇ、電話越しに口説こうってこと? いいよ、付き合ってあげる。寝るまでならね』

「え、いや別に口説こうとは……」

『……長谷くんは意識してないときのほうが上手くいきそうだよねえ』


 ため息の音。耳に息を吹き込まれたように感じて、ばっとスマホを耳から遠ざける。

 その拍子につるんと手が滑って、「わ、わっ」と慌てて持ち直そうとしても失敗。あえなく床へと墜落した。わーっ保護ガラスシートにヒビ入った!


「ごめん、今の音うるさかった!?」

『……その声のほうがうるさいよ』


 あ。

 ……時雨さんの声、優しくなった。

 なぜかはわからないが、なんとなくいつもの時雨さんに戻ったような気がしてほっとする。


『いいよ、わかってる。今日のことでしょ。いきなり先に帰っちゃってごめんね』

「いや……その……」

『でも話せることはないかな。今日ちょっと疲れちゃったから、これでバイバイでいい?』


 この声が聴けたのなら、確かにもう通話を切っても問題はない。

 でも、これで終わりにはしたくなかった。



「……し、時雨さん。元旦空いてる!?」



 口からこぼれ落ちたのは、そんな誘い。

 ちょっとの沈黙の後、ぷっと吹き出す音が聞こえた。


『あっははは! 元旦まで私と一緒にいたいの? まあいいけど、初詣? それなら元旦は嫌かな。人混みはできるだけ避けたいし』

「え、マ、マジ? 初詣一緒に行ってくれんの?」

『行きたかったんじゃないの?』

「行きたい!」


 マジか! マジか~!

 誕生日に会えただけじゃなくて、初詣まで一緒に行けるとか。そろそろ俺の幸運の煽りを受けて、この町一帯が彗星で吹っ飛ぶとかあるかもしれない。

 弾んでしまう声で、時雨さんと初詣の予定を立てる。冬休みの最後の平日に行くことが決まった。


『それじゃ、また初詣で』

「あっ、時雨さん、」


 名残惜しくて、また名前を呼んでしまう。

 何かないか。もうちょっと話せる話題……。


「そうだ! 今日の作戦、まだその一しかやってねぇんだけど……」

『……そういえば、確かにその一とか言っちゃってたね』


 どうしようかな、と時雨さんがつぶやく。やった、考えてくれるらしい。

 んー、と小さく唸っていた時雨さんは、やがてぽつりと言った。


『……私、長谷くんにいっぱいひどいことしたり言ったりしてるけど、どう思ってる? できれば正直に答えてほしい。これが、作戦その二』


 今までとはまったく方向性の違う作戦だった。というかそもそも、これを答えたところで時雨さんがときめく可能性はあるのか……?

 よくわからなかったが、立ててくれた作戦に従う以外の選択肢はない。

 しかし……最初にまず確認したかった。


「……なんかひどいことされたっけ?」


 そりゃあたまに失礼っぽいことも言われたけど、お互い様だし。

 それに言葉ならまだしも、何かをされたとかは本当に覚えがない。時雨さんにとってはどれがひどい行為だったんだろうか。


『……そこから伝わってなかったかあ』


 気の抜けたような声だった。


「気にしてたならごめん……?」

『ほんとだよ。別に謝りたいとか思ってたわけじゃないけど、長谷くんがわかってないなら謝れもしないじゃん』

「すいません……」

『……長谷くんには、してもしなくても変わんなかったのかもね。じゃあ、もういいかな』


 もういいかな、って……つまり俺にもう飽きたってことか!?

 で、でも今初詣行く約束したばっかだし、少なくともその約束は守られるよな!?


 覚悟をしていなかったわけではないが、なんの予兆もなかったので心が一気にひゅっとなった。

 なぜか時雨さんは俺のことを面白がってくれていたが、俺は本来面白味のない奴だ。取り柄も特にないし、ここまで飽きられなかったことがむしろ奇跡。


「そ、そっか……。今までありがとう」

『はい? ……ああ、違うよ、そういうことじゃない』

「違うの!?」

『違う違う。ごめん、紛らわしい言い方しちゃったね?』


 よかったぁぁ、と脱力する。いや、ただの延命だからよくもないのかもしれないが。


『それじゃ、今度こそまたね』

「うん、遅い時間にごめん」


 通話を切る。

 ……時雨さんと電話しちゃった! おまけに初詣の約束までできた!!!

 達成感やら感動やらでにやにやしつつも、スマホをロックする。暗くなった画面で目立つヒビは、操作に不便はないもののやっぱり少し邪魔だ。


 予備の保護シートに替えるか?

 ……いや、もし今後も時雨さんと電話する機会があるとしたら、また落とすこともあるかもしれないしなぁ。

 少し悩んだが、結局替えないことにした。


 また時雨さんと電話できますように!




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