10. 時雨瑞姫の、ゴミ屑にもなれない友情について

 ――友情だったはずのものがどろどろに汚れ、ぐちゃぐちゃになって転がっていた。ゴミ屑にもなれないなんて、かわいそうに。


 そう心の中で吐き捨てる私は、もう二度と友達なんて作るものか、と意地を張った。

 張る意味のない、意地を。


 私はただの意地っ張りで、どうしようもない臆病者だった。





(……いないほうが楽、かあ)


 自室でごろごろとしながら、長谷くんの言葉を思い出す。

 正直、意外だった。長谷くんは結構友達が欲しいタイプの人間だと思っていたから。

 大勢でいるのが好きそうというか、明るくて賑やかな場所が似合いそうというか。


 ……でも考えてみれば、友達が一人しかいないなんて意図的にそうしなければほぼありえないことだ。

 長谷くんの性格は確かに好き嫌いが分かれるかもしれないが、好きになるのが一人しかいないなんてこと、普通ないだろう。


(長谷くん、いい子だもんな)


 デリカシーはないけれど、境界線をわかってくれているというか……踏み込んでほしくない部分には踏み込んでこない。

 人のそういう部分を、きっとすごく大切にしてくれる子。




 ――友達がいないほうが楽。


 彼がその結論に至るまでに、いったい何があったのだろう。

 訊いてほしくなさそうだったから、何も訊かなかったけれど。踏み込まないでもらっているのに、私が踏み込むわけにもいかない。



 私のほうはよくある話だ。


 友達の彼氏が、自分のことを好きになったりとか。色目を使ったんだと誤解されたりとか、学年中の……一人を除いた女の子に総スカンを食らったりとか。


 そんなよくある話。

 私は可愛くて、でも、そういうことが起きたって仕方ない。

 嫌われるに足る理由がのだから。


 だったら最初から、友達なんていらない。

 長谷くんと違って、それが楽とは思わない。やり方が悪いせいで、私は敵が多いから。

 もっと人当たりをよくしたほうがよかっただろうか。……でもそれで好かれてトラブルが起きると面倒だし、やっぱり嫌われるほうが簡単なのだ。



 むくりと体を起こして、冬に常備しているのど飴の袋を出す。


『お礼言いたいなってずっと思ってた』


 長谷くんを長谷くんとも認識せずにやっていたことにお礼を言われてしまって、なんだか面映かった。

 あれはただ、ガラガラの声が聞き苦しかったからやっただけで、別に善意から来る行いとかではない。善意でやるなら、あんな怪しまれるかもしれない渡し方なんてしないし。

 そりゃあ、ちょっとかわいそうとは思ったけど。いわば同情で、善意では、ない。


(……ばかだな、長谷くん)


 すぐに忘れてくれればよかったのに。

 彼は言わなかったけど、たぶんあれが私を好きになった理由の一つでもあるんだろう。

 あんなのが。


 ……あんなので好かれてしまうから、本当にたまったものではない。

 十人が十人綺麗と言う容姿じゃなくて、十人が十人、まあ可愛いと言えなくもないんじゃない? くらいの反応をする容姿がよかった。

 そしたら誰も、私に恋なんてしない。

 それでよかった。


 それがよかったのに。




 のど飴を出して、口に入れる。甘い。あんまり喉に効く気はしないけど、あの子はこれが好きだった。

 そう思うと同時に、長谷くんの言葉が頭に蘇る。



『だから俺、飴の中でこれが一番好き』



 ――はたと気づいた。

 なんかさっきから私、長谷くんのことばっかり考えてない? うわ、なんだろ、こわ。


 なんだか悔しくなって、ゴミを捨ててから彼とのトーク画面を開く。

 メッセージを送るのがいつも私からというのも、なんとなく少し気に食わない。私のこと好きなんだったら、話したいことがあったりしないの?


 すっ、すっ、指を動かしてメッセージを送る。


『長谷くんって何が好き?』


 これがどういう意図を持つ質問か、長谷くんはすごく焦りながら考えるだろう。

 そのテンパりようを思い浮かべて、わずかに溜飲を下げる。

 長谷くんの返信は遅めだし、とりあえず明日の予習でもしようかな、と教科書を取り出したところで通知音がした。おお、早い。


 表示されたのは、五文字。


『時雨さん?』


 ……どういう返事?

 返信を打つ。



『なに?』


『ごめん、呼んだわけじゃなくて』

『時雨さん』

『って答えたみたいな感じ』

『なんだけど、そういう答えを求められてるのかわなんなくて』



 文字から焦りが伝わってくる。


 ――理解して、思わず吹き出してしまった。

 つまりこの質問を、いつもみたいな作戦だと思ったんだろうか。

 そこで私を挙げるのはまあいい方向性だとしても、なんではてなつけちゃうの? 台無しじゃん。



『普通に好きなもの聞いたんだよ』

『ちなみに特に意味はないかな』

『でも発想はいいね。明日も喉飴あげる』



 既読がついても返信が来ない。たぶん、恥ずかしさに悶えてるんだろうな。

 今度こそ英語の教科書を開いて、明日やりそうな範囲の和訳を進める。

 三段落分終わったところで、やっと返信が来た。



『ありがとう』



「……あははっ」


 色々スルーして、のど飴のお礼だけ言うことにしたらしい。

 ごめんね、と送ろうとしてしまって、打った文字列を消す。罪悪感に耐えられなくなるようなことはしてないんだから、謝るのは駄目だ。

『どういたしまして』とだけ送って、予習に戻る。はー、すっきりした。



 ――さて、私はいつ長谷くんに飽きるだろうか。




 口の中で小さくなった飴を噛み砕く。


 いつも食べていた、チョコが食べたい。

 ……自分が食べられやしないのに、私のために用意されていた、あの苦いチョコが。

 食べたかった。



     * * *



 翌日の放課後、約束どおりのど飴をあげれば、「マ、マジでくれんだ……」と長谷くんは少し恥ずかしそうな顔をした。


「約束したでしょ」

「あれは約束っつーか……いや、約束だな。ありがと……もらいます」


 受け取ってすぐに口に入れる長谷くん。初日あげたやつは大事そうにして、その場では食べなかったのにな。もう特別感もなくなってしまったんだろうか。

 まあ、こんなものを大事にされても困ってしまうから、すぐに食べてくれるならそのほうがいい。


「昨日の答え、決まってなさすぎて笑っちゃった。はてなくらいはどうにかできなかったの?」

「いきなりあんな質問来たからビビったんだよ……」

「深読みしちゃったか~」

「あっ、あと気づいたんだけど、俺結局時雨さん以外に答えてないよな!? 時雨さんはもちろん好きなんだけど、他に好きなものなら、えーっと……動物全般とか、漫画とか、プチプチとか!」

「ふふ、プチプチ……」


 そこにプチプチが並ぶの、まさに長谷くんって感じがする。

 長谷くんの好きなものが本当に気になっていたわけでもないけど、答えてくれたのだから一応記憶の中に留めておくことにした。少なくとも付き合いがあるうちは、何か役に立つこともあるかもしれない。


「時雨さんの好きなものは?」


 ぴたり、と自分の動きが止まってしまったのがわかる。

 私の好きなもの。……すきなもの。

 予想できていた質問だった。訊き返しやすい質問をしてしまったのは私だし。


 なのに、一番に思い浮かんだソレに、息が苦しくなった。

 あーあ。

 内心で大きく、わざとらしくため息をつく。


 ……私、まだこんなに好きなんだ。




「……月、が好き」

「……あ、もしかして、だから月見草買ったの?」

「うん、そうだね」

「あの月見草、もう芽出たりした?」

「種まきは三月だから、まだ先かなあ」


 まだ先、でも、きっと今もその頃も、なんにも変わっていないんだろう。



「……でも確かに、時雨さんって太陽より月が似合うかも」


 なんとなく感慨深げに、長谷くんが言う。


「静かだし、神秘的? だし。まぶしいけど、目が焼けるほどじゃないっていうか……いつまでも見てられる感じ」


 ……やっぱり長谷くん、口説こうって意識してないときのほうがそれっぽいこと言うんだよなあ。

 だから最近は、あえて普通におしゃべりしようと持ちかけることも増えた。そのほうが一ミリくらいは、私をときめかせてくれる可能性が上がりそうで。


「月、似合うかな」

「めっちゃ似合う」


 どんな言葉より、その言葉に何より嬉しくなってしまうのだから、駄目だなあ、と思った。





 消えない通知。消せない通知。

 たまに増えるたびに、愚かにも安堵してしまう通知。


 それが消せないから――友情だった汚いモノは、ゴミ屑にもなれないのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る