09. 苦いコーヒー、甘い飴

 湊本に、湊本春宮カップルのおかげで時雨さんへの話題提供に成功したお礼を伝えたら(ついでに時雨さんとの今までのやりとりについてもちょっとふれた)「君たち変なことやってるね」と呆れられた。

 やっぱりこれ、第三者から見ても変なことなんだな……。わかってたけど。


 そしてテストが終わってからというものの、普通のおしゃべりだけをすることが増えた。ふと思い出したように口説いてみてよ、とか、ちょっとした作戦だとかを言われるが。

 単純にネタ切れなのかもしれないが、それならもう飽きたと言ってくれてもいい頃だ。

 ……この状況が続くのは、正直よくわからない。



「テストの結果、どうだった?」


 おまけに時雨さんのほうから話題を振ってくれる始末。

 なんなんだ、これ……。

 戸惑いながらも、とりあえずは返事をする。


「まあ、結構よかったよ」

「徹夜した甲斐あったね」

「う、その節はほんとに申し訳ない……」

「しかも覚えてないんだもんねえ」


 本当にそれがもったいない。

 一回の徹夜であんなにもダメになるとは思ってなかったのだ。毎日九時間寝ていた弊害である。いや、九時間寝るのはいいことなんだが。



 返ってきたテストの順位は、基本的に全教科クラス内五位前後だった。まあ及第点。

 現国だけやっぱりちょっと低い。出てくる範囲がわかってるのにこれだから、模試は散々なんだよなぁ。


「時雨さんはどうだった?」

「んー、大体いつもどおりだったかな」


 ということはクラス順位総合一位か二位だろう。噂では去年はずっと一位をキープしていたようだが、今年は同じクラスに秀才優等生がいるので。

 さすがだなぁ、と尊敬の眼差しを向けると、時雨さんはつまらなそうな表情を浮かべた。……あんまり好ましくない反応をしてしまったらしい。


 たぶん謝るのも違うので、別の話題を考える。



「……そういえば時雨さんって、友達いる?」


 俺は湊本しか友達がいないが、時雨さんはどうなんだろう。

 誰かと親しげに話しているところを学校で見たことはなかった。他の学校にはいるのか、それとも本当にいないのか。


 軽く、本当に少しだけ、時雨さんが眉根を寄せる。


「……口説き文句の一言目としては割と最悪だけど?」

「うあっ、ごめん。今のは口説こうとしてたわけじゃなくて、ちょっと気になっただけで……」


 同じことを前に時雨さんから訊かれたから、俺が訊いても問題ない気がしていたが、よく考えなくても普通に失礼な質問だ。

 慌てて撤回しようとしたが、それより時雨さんが答えるほうが早かった。



「友達は、いらない」



 いない、ではなく、。きっぱりと言い切った。

 怖いくらいに美しいその笑顔は、それでもなぜか、どこか寂しそうにも見えた。


 俺は、時雨さんが隠そうとしていた何かにふれてしまったのかもしれない。

 それならさっさとまた話題を変えるべきだ。


 そうわかっているのに――うっかりそのまま言葉を返してしまった。


「……うん、いらないよな」


 時雨さんが目を見開く。



「いないほうが、楽だよな」



 楽と、楽しいは違うけど。

 たとえ楽しくなくても、楽なほうがいい。

 そう考えていた割に、一人だけ友達を作ってしまったわけだが。湊本みたいな奴がいなかったら誰とも友達にならなかっただろう。


 でもこういうのはたぶん、中二病とか高二病みたいなものだ。

 どうせ大人になれば、なんだ、大したことなかったな、と気にしないで済むようになる。



 だって実際、大したことないはずなのだ。


 俺が気にしすぎてしまっているだけの、たわいないこと。気にする価値もないはずの、くだらないこと。


「――変な話題出してごめん!」


 にっこりと笑って、話を打ち切る。

 探るような視線が向けられたが、時雨さんはただ、「うん」とうなずいた。


 よかった。

 時雨さんが、こういう子で。



「もうすっかり十二月だし、最初にこれ始めた頃より寒くなったよな。時雨さん、寒くねぇ? 確かあっちのほうに自販機あったし、あったかい飲み物とか買ってこようか?」

「……コーヒー。無糖のやつ」

「大人だ、すげえ……。了解」


 俺も頑張って飲んでみようかな。

 駆け足で買って帰ってくると、ベンチに座ったままの時雨さんはなんだかぼうっとしていた。


「ごめん、お待たせ」

「……ううん。ありがと」


 時雨さんは自然な動作で鞄から財布を取り出した、が。お金を出す前に、はっとした顔で俺のほうを伺う。


「? お金は別にいいよ」

「いや…………貸し借りが嫌なの。だから払います。お金出してもらうのが悪いなって思ったんじゃなくて、貸し借りが嫌だから」

「お、おう。嫌ならもらうけど」


 小銭をもらって、隣のベンチに座る。

 握った缶からじわじわと温かさが染みてきて、ほう、と息が出た。時雨さんも似たような反応をしている。

 コーヒーの缶が、俺の手の中にあるやつより大きく見える。手ぇちっさいなあ。


「長谷くん、コーヒー飲めるの?」

「どうだろ……。牛乳なしで飲んだことねぇから」

「そんな感じだと思った」

「思われてたかぁ。かっこ悪い?」

「かっこつけたいなら、私の前でパンケーキとか食べちゃ駄目だったんじゃない?」

「ほんとだ……。今更か」


 会話が途切れる。

 時雨さんが手袋を外して、プルタブを開けて缶を傾ける。一口飲んでから訊いてきた。


「……湊本くんは、いい友達?」

「うん、いい友達だよ」


 適度にこっちに無関心で、春宮さん以外とは浅く狭い付き合いしかしなくて、その春宮さんにはめちゃくちゃ一途。

 ……まあ、友達と思ってるのはこっちだけかもしれないが。それくらいのほうがいいんだよな。


 俺も缶を開けて、一口飲んでみる。


「うげ、にが……」

「だめそう?」

「だめそう……でも飲む」


 少なくとも暖を取ることはできる。つらいものは一気に済ませてしまおうと、ごくごくと飲んだ。熱い液体が喉を通り落ちていく。

 最後の一滴まで飲み干して、ぷはっと口を離す。


「に、にがぁぁ」

「ふふ、よくできました。ご褒美あげる」


 どうぞ、と差し出されたのは、またのど飴。口直しにはありがたかった。

 この前ののど飴はまだ大事に持ち歩いているが、今回はもう食べてしまおう。


「ありがと、助かる」

「かっこつけさせちゃった私の責任だから」


 それは違くね? と思うが、時雨さんが言うならそうか、という気にもなる。

 袋を開けて、ころん、と口の中に放り込む。甘くて美味しい。


「時雨さん、のど飴いっつも持ち歩いてんの?」

「冬場はね。……でももう、やめようかな。意味もないし」


 きっと以前は、意味があったことだったのだろう、と思う。


 どこかやけになったような言い方。笑い方も。

 そんなふうに笑ってほしくない、というのはちょっと踏み込みすぎだ。


 だけど、本当はやめたくないのに、無理やり理由をつけたような顔をしていたから。



「俺のご褒美にくれるなら、意味あるんじゃない?」


「……それは、私からのご褒美がもっと欲しいってこと?」

「またそういう感じになっちゃったごめん違う!! そうじゃなくて!」


 そうじゃ、なくて。

 ……持ち歩く意味が欲しいなら、俺がそれになる?

 なんて、おこがましい。それが実質的に言いたいことだとしても、言ってしまったら全部終わってしまう気がする。このよくわからない状況が、全部。


「……いや、その……そういう、ことでいいから。だから、やめなくていいと思う」


 結局思いつかなくて、しどろもどろに肯定するほかなかった。絶対怪しまれるだろうが、時雨さんなら突っ込んではこないだろう。

 案の定、時雨さんは「そっか」とだけつぶやいた。


「じゃあ、続けようかな」

「うん、そのほうがいいと思う。あー、あと、あとさ。えっと……時雨さんって……」


 口ごもる俺を、時雨さんは怪訝そうに見つめる。

 これを訊くのは、相当の勇気が必要だった。十中八九そうだと確信していても、もしも万が一違ったら普通に恥ずいし。

 コーヒーの熱とは違う熱が、顔を覆う。



「……あの、去年も俺に、のど飴くれた?」



「去年?」


 何かを思い出そうとするように、時雨さんの目が動く。そして一瞬だけ――あ、という顔をした。

 しかしすぐさま真顔で、時雨さんは首を横に振った。


「あげてない」

「……そっか」

「……あげてないって言ってるんだけど」

「うん、そっか」

「っていうか誰からもらったのかもわからない飴なんて、普通食べないでしょ」

「クラスでもらったならクラスメイトから以外ないじゃん。なら別に怪しいもんでもないし」

「…………」


 むっすり、時雨さんは黙り込んでしまった。わかりやすくて可愛くて、少し笑ってしまいそうになる。




 ――去年の冬。


 俺が風邪を引いて、喉をやってしまったとき。運悪く英語の和訳で当てられてしまって、ガラガラの喉でめちゃくちゃ頑張って読み上げて。


 それで、授業終わり。

 いつのまにか、机にのど飴が載っていたのだ。それが出現する前に俺の机の横を通り過ぎた人は、誰もいない。

 そしてそのときの隣の席は、時雨さんだった。


 ……もしかして、と思っても仕方ないだろう。

 のど飴を持っておろおろと時雨さんを窺うも、時雨さんはこちらを一瞥もしなかった。それが余計に、飴をくれたのが時雨さんだということを表している気がした。

 だって普通、めちゃくちゃ見られたら一瞬でもそっちを見てしまうものじゃないか?

 本当に一切見てくれなかったのが、絶対に見るまい、と意識しているように感じてしまった。



 これが、時雨さんのことを好きになった一番のきっかけ。

 とはいっても、この前同じのど飴をもらうまで、時雨さんかどうか確信できていなかったわけだが。勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしい思いをするところだった。


「あれ、すごい嬉しかったんだよなぁ。時雨さんじゃないなら誰がくれたのかわかんないけど、お礼言いたいなってずっと思ってた」

「……そう」

「だから俺、飴の中でこれが一番好き」

「ふぅん」


 不自然なくらいこちらを見ない時雨さんに、あのときの時雨さんをまた思い出して、今度こそ笑ってしまった。




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